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大和路

「蜜柑様、お加減はいかがでしょう?」


 護衛役のくノ一、夜霧の心配のこもった声に、蜜柑は明るい口調を作る。


「蜜柑と呼び捨てるように言ったじゃろう?」


「柳生様は、私達の関係を把握されています。呼び捨てなどしたら、却ってなにごとかと怪しまれましょう」


「それもそうじゃな」


 寝床で笑みを含んだ蜜柑は、軋む身体を一挙動で起こした。


「粥をお持ちしました。ご無理はなされなくとも」


「いや、食べるのじゃ。体力を取り戻さなくてはな。……気分が悪くなって、身体が自由に動かないなどとは情けない」


「初めての長旅でお疲れなのでしょう」


 それだけではないと、蜜柑は感じている。伊勢の大河内城で、女性であること、また出自と夫の名乗りを理由に侮蔑を受けたことが、彼女の胸中を波立たせ続けていた。


 彼女はかつて父親である堂山頼近によって、女性であることを理由に剣術の道を閉ざされかけた経験があった。


 その父親が戦死した戦さの際には、女であるからと参加を許されず、また、抵抗のために城兵をまとめようとしたところで、母親に世継である弟を道連れにする形で自害され、絶望の淵に突き落とされたこともあった。


 どちらも自暴自棄になりかけたのだが、剣術修行が禁じられようとした際には師匠である上泉秀綱の直談判によって、落城と自死を覚悟した際には、夫となる新田護邦の叱咤によって、それぞれ道が開けたのだった。


 そして、新田家中の空気は、彼女のそのような過去を思い返さずに済む状況をもたらしていた。けれど、久々に悪意に直面した上に、滅ぼした当の相手に、九鬼一族の動静を訊ねるという失態をしてしまった。彼らを危険に晒したかもとの想いが、ダメージとなっているのは確かである。


 本来、剣を尊ぶ柳生家での滞在は心躍る時間のはずなのだが、体調とあいまってやや気分が沈んでいる蜜柑であった。


「皆の様子はどうじゃな」


 勝浦水軍の女頭目の亜弓、里屋の主従と加藤段蔵は別行動を取っており、この地にいるのは新陰流の面々と蜜柑の護衛を務める忍者二人となっている。


「柳生の若殿である宗厳様はすっかり秀綱様に心服している様子で、日々教えを受けておられます」


「ほう……。新当流の使い手という話だったが」


「塚原卜伝殿の直伝ではなく、お弟子さんから教えを受けていたようです。秀綱殿も卜伝殿からの影響は強いそうで、剣術談義に花が咲いていました。先日は、筒井氏との小競り合いに、三人で出かけたようですよ」


「うぅ……、行きたかったのじゃ。せっかく、月のものが落ちついておるのに、体調がままならんとは」


「大事なお身体なんですから、他国の揉め事に加わることもないでしょうに」


「よその地域の戦さぶりは、今後の参考になりそうじゃからなあ」


 護衛対象の装われた朗らかさに、夜霧は笑みを含んだ吐息を漏らした。気力を取り戻しつつあるのは、なによりなのだけれど、と考えながら。


 かつての大和国では、興福寺と春日大社の寺社勢力が大きな影響力を持ち、その二派に分かれつつも、世俗的な欲得やら仁義やらも絡み、混沌とした状況が生じていた。そんな中で、柳生氏は興福寺勢力の代表格となる筒井氏に屈服させられる形で従属することになった。


 そこに、畿内を掌握している三好勢の一翼を担う松永久秀が侵入し、制圧を目論んだ。幾つかの地場勢力が松永方に転じ、柳生もその勢力の一つであった。


 結果として、周囲の豪族衆との小競り合いをしつつ、松永久秀の元に出仕している、というのが現状となる。ただ、連日のように戦さがあるわけでもなく、通常は所領で過ごしており、若殿と呼ばれる柳生宗厳やぎゅうむねとしは剣術に精を出す流れとなっている。


 武将が剣術によって個体戦闘能力を高めたとしても、戦さの結果への寄与度は必ずしも高くない。けれど、その剣理は戦術にも調練にも通ずるところがある。……ただし、柳生宗厳の場合は個人として打ち込む対象としての剣術であるようだった。


 一行が柳生の里に到達してすぐ、この地の領主の世継である柳生宗厳と、新陰流の高弟である疋田文五郎との間で剣が合わせられた。力量差は明らかで、柳生家厳やぎゅういえよし・宗厳親子は新陰流の一行を歓待し、宗厳は弟子入りを懇願したのだった。筋が良いと見た上泉秀綱は、受け容れて滞在を決めた。蜜柑の不調ぶりを見て、京に入る前に少しゆったりする時間を作りたかったとの思考もあった。


 滞在はまもなく十日に及ぶが、蜜柑はほとんどの期間を寝床で過ごしていた。けれど、ようやく体調は上向きつつある。


 粥を食べ終えた彼女は、木剣を携えて道場へと向かった。師匠と兄弟子たちがいるかと期待したのだが、そこにいたのはこの地の領主、柳生家厳だった。


 一礼して退去しようとした蜜柑だったが、穏やかな声がかけられた。


「蜜柑殿でしたな。体調が戻られたようでしたら、ごあいさつさせていただきたい」


 そう言われてしまっては、後戻りは難しい。蜜柑は道場の中央へと進み出て、柳生の当主に正対する形で着座した。六十代ではあるが、精悍な顔つきからは力強い印象が湧き出している。


「新田蜜柑と申します。こうして逗留させていただきながら、あいさつが遅れて失礼いたしました」


「柳生の当主、家厳と申す。体調が優れない状態で無理をされては、こちらが困ってしまいます。我が家だと思って、ゆっくり養生されてくだされ」


 厳しい顔つきながら、その声音には優しい響きがある。あいさつのみで退出しようと思っていた蜜柑だったが、家厳は言葉を続けた。


「蜜柑殿も、新陰流の使い手だそうですな。……息子の剣技はかなりのものかと思っておりましたが、親の欲目だったようです」


「手合わせの後に、すぐに弟子入りを申し出られた心根は素晴らしいと思います。なかなかできることではありません」


「左様、その率直さは息子の美点だと言えます。そこが欠点ともなりかねませんが……。蜜柑殿も、剣に触れるようになったのでしたら、稽古をつけてやってください」


 蜜柑が小さく息を呑んだ。


「女の身のわたしが……、よろしいのじゃろうか」


「もちろんです。疋田文五郎殿からは、秀綱殿の技を継承しつつ、粘りのある剣を使われると聞いています。戦陣働きで、攻めかけてくる豪族共を成敗し、盗賊鎮撫に力を尽くしておられるとか。蜜柑殿との交流は励みになるでしょう。まあ、三十を過ぎた息子に、余計なお世話かもしれませんがな」


 相手の沈黙に、少し首を傾げた柳生の当主は、やや声量を落として言葉を続けた。


「この柳生に、女性が剣を振るうことを蔑む家風はありませぬ。かつて筒井に攻め寄せられた時には、鎧をつけて戦陣に加わった者もおりましたしな」


「そのような方がいらしたとは……」


「ええ、幼い我が子を守ろうと剣を取り、命を落としました。……彼女が守った子は、今では三十を過ぎ、剣術に夢中で日々を過ごしております」


「では、奥方が……」


「聞けば、蜜柑殿の生家は、城一つを領する国人衆だったとか。小勢力が生き延びるためには、手持ちの総ての力を尽くす必要があります。恥や外聞は、生き延びてから考えるべきものです。名家の方には、それがわからんのでしょうな」


「確かに、生き残るために必死でした。領内の村が撫で斬りにされて、ひとまず撃退した村人たちが保護を求めてきているのに、わたしは自刃しようとして……」


「それを止めたのが、ご夫君だったとか。そこから、貴女の剣が道を拓いたと聞いております。互いに、得難い伴侶だったのでしょう」


「はい……」


「そして、女性が剣を振るうことは、なにも恥ずかしいことではありません。それは、えせ兵法家でもなければ、体感しているはずです」


「そう……、なのでしょうか」


「無情なこの世界で、生き残るために力を尽くすのに、男も女も、年齢も立場も関係はござらん。そうは思われませぬか」


「はい。そう思います」


 蜜柑の視界は、うっすらとぼやけていた。


「さて、落ちつかれたら、隠居間近のこの家厳にも、稽古をつけてくだされ。……それにしても、やはり剣術は坂東ということなのでしょう。卜伝殿の系譜を継ぐだけでなく、越えて行かんとする者が現れるとは、やはり懐が深い」


「拙い剣技になりますが、ぜひ」


 準備を整えた後に交わされた剣から、蜜柑は優しい気配を感じ取った。かつて、この道場で夫婦で剣を合わせていたのかどうか、確認する必要は彼女にはなかった。




 復活した蜜柑を交えてのその後の交流は、なごやかに行われた。若殿と呼ばれている柳生宗厳もまた心根の優しい武将で、手合わせは新陰流の面々にとっても気持ちの良いものとなった。また、無刀取りについての問答も交わされたが、結論には到達していない。護邦の後世知識によって言葉だけが先に導入されたために、より遠回りが必要になるのかもしれない。


 蜜柑の吐き気を始めとする体調の悪化は、上泉秀綱によって鬼娘の霍乱と評され、当人を憤慨させることになった。冗談で紛らわせるにしてもひどすぎる、というのがその主張であったが、師匠と弟子のじゃれ合いの範疇ではある。


 体調の改善には、六郎太が試しに入れてみた緑茶が効果を発揮した。そこから、柳生の当主親子や重臣、子女らも含めての縁側茶会が展開された。


 この時代、茶道に使われる抹茶の他に、庶民向けの煎茶と呼ばれるお茶が普及している。ただ、後代のように新芽と若葉のみで作るわけではなく、まさに茶色の雑味の強い飲み物となる。


 新田家では、領内に組み入れた和田城周辺の茶の木から新芽と若葉を収穫し、少量ながらお茶を作り出している。緑茶と名付けられたその茶は、抹茶と煎茶の中間くらいの存在で、本来の史実なら江戸期に開発されるはずのものに近い。


 その緑茶を、茶道のように改まった場での飲み物にするのではなく、日常的な対話の場に導入しようと、縁側的な場で、横並びで茶菓とともに楽しむのが、新田風の縁側茶会となる。ただ、まだ量が少ないため、家中や賓客へのもてなしの場面に限られていた。


 また、その茶葉を発酵させて紅茶も開発したことで、家中は緑茶派と紅茶派に分断される展開となった。血で血を洗う抗争に発展しているわけでは、もちろんなかった。


 ただ、時代を先取りした緑茶の存在は、茶道にややこしい影響を与えかねない。そう考えていた護邦からは、なるべく茶人には振る舞わないようにと求められていた。もっとも、蜜柑や上泉秀綱はさほど深刻な受け止め方はしておらず、柳生親子には携えてきたうちから、緑茶と紅茶が少量ずつ分け与えられていた。


 彼らが仕えるのは松永久秀で、茶道に深く関わる一人となる。この影響がどう出るかを見通せる者はいなかった。




 その松永久秀が大和での侵攻を深めるために配下の豪族衆に動員をかけたことから、柳生の里から辞去しようとの話になった。柳生親子からは、留守中も滞在していて欲しいと頼まれたのだが、春までに関東に戻るとすると、そうそう長居は難しい。


 緑茶効果もあって回復傾向にあるとは言え、蜜柑に無理はさせないようにと考えた上泉秀綱は、京に向かうのを後回しにして、正月を堺で過ごそうと決心していた。堺には、新田から派遣した調理人が営む食事処があり、そこで滞在して蜜柑の体力、気力を回復させるというのが、彼の目論見だった。


 柳生の里を離れ、ゆっくりとした道行きを進めていたある時、前方から現れた集団があった。百人はいようかという者達の上空では、鷹らしき猛禽類が弧を描いている。




「なにごとじゃろうか? 軍勢には見えませぬが」


「あれはもしや……」


 そう口にしながら、上泉秀綱が進路を空けるように道端へと向かう。すると、騎乗の人物の近くにいた一人の若者が駆け寄ってきた。


「失礼します。上泉秀綱さまではいらっしゃいませんか?」


 爽やかな声で問うたその人物は、諸岡一羽と名乗った。その間にも近づいてきていたのは、剣神とも呼ばれる塚原卜伝と門弟たちの諸国行脚の一行だった。




 旧知の仲である剣豪同士の対面は、近くの寺を借りる形で行われた。


 既に七十を越えて老境に入りつつある塚原卜伝は、鹿島出身の兵法家である。鹿島と香取に伝わる剣の秘術を実父と養父からそれぞれ学び、新当流を開いた人物となる。


 左右には、先ほど使者として訪れた爽やかな風情の青年、諸岡一羽と、同年代ながら陰気さが漂う雲林院光秀が控えている。どちらも高弟で、後に一派を開くはずの者達となっている。


「久しいのぉ、秀綱殿」


「卜伝殿、お元気そうでなによりです」


「流派を興したと聞くが、その者達が弟子なのかな」


「はっ、新陰流を名乗っております。こちらは高弟の神後宗治と疋田文五郎。そして、こちらが同じく弟子ながら、主君である新田護邦殿の奥方でもある新田蜜柑となります」


 平伏する三人に、剣神と呼ばれる剣豪が穏やかな視線を向ける。


「他流の者に、平伏までする必要はあるまい。特に、蜜柑殿。武家の奥方であれば、そこは気をつけられた方がよろしかろう」


 顔を上げた蜜柑が応ずる声音には、尊敬の念と緊張がこもっている。


「ご教示、ありがとうございます。なれど、剣術を志す身として、御身にお目にかかる機会は貴重でして」


「ほ、ほ……。そなたのような若者にも、我が名は知られておるのか。光栄なことじゃ」


 穏和な対応ぶりは、蜜柑の鼻腔に亡き祖父の香りをもたらしていた。


「ところで、蜜柑殿の体調はいかがかな。やや顔色が悪いようにお見受けするが」


「伊勢の沿海で船酔いになってから、それが癖になってしまったようでして。坂東から尾張までは、むしろ介抱する側だったのですが」


「ほう……。旅の疲れもあろう。無理はなされぬことだ」


「はい、お気遣い感謝します」


 ほにゃっとした笑みを向けられ、卜伝の表情も穏やかなものとなった。




 次の訪問先に先触れを済ませているという塚原卜伝一行と別れて、新陰流の面々は堺へと足を向けた。蜜柑の体調は一進一退といったところで、無理をせずの道行きとなっている。


 河内に入って堺へと近づいたところで、追ってくる騎馬があった。


 公卿の侍者だと名乗ったその人物は、息を切らして口上を述べた。


「上泉秀綱殿の御一行とお見受けします。正月に天覧試合が開催されることとなり、皆様にお召しがかかっております。すぐにいらしてください」


「なんと……」


 声を発したのは疋田文五郎のみで、残る三人の剣術家は驚愕で声を失っていた。



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【イメージイラスト】
mobgouzokupromo.jpg
山香ひさし先生に描いていただいた、本編のイメージイラストとなります。向かって左が、本作の主人公、新田蜜柑となります。


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