<裏のおはなし>①
グレイアムは、ブリジットからの心躍る返事を一刻も早くサイラスに伝えようと、宮廷図書館の扉を押し開けた。
いつものように貴賓室へ向かおうとすると、シャノン司書長が慌てて彼を止めた。
「サイラス殿下のところに、珍しくお客様がお見えになっています。今は、お顔を出さない方が良いと思いますよ」
「サイラス様をここへ訪ねてくるとは――、いったいどなたですか? 司書としてここへ通っていることを知っている者は、外部にはいないはずですが――」
「どうやら、こっそりサイラス殿下の動向をうかがっている者がいて、ここへ通われていることを突き止めたようです。お客様というのは、ラトリッジ侯爵様です」
「ラトリッジ侯爵様?」
司書長の話によると、ラトリッジ侯爵は、何の連絡もなく突然馬車でやって来て、「急ぎの用があって参った。サイラス殿下にお取り次ぎ願いたい」と言ったそうだ。
確信をもって訪ねてきたようなので、追い払うことは諦めてサイラスに侯爵の来訪を伝えると、「会ってみてもよい」という答えが返ってきたという。
それから小半時余り――、二人はずっと貴賓室で何やら話し合っている。
「だいたいの想像はついています。サイラス様のお妃様に関する話に違いありません」
「サイラス殿下のお妃様? とうとう、決まったのですか? そ、それは、もしやブ、……」
「シーッ!」
グレイアムは、大げさに唇の前で人差し指を立てたが、司書長執務室にいるのは彼と司書長の二人だけで、他の人間に話を聞かれる恐れはなかった。
それでも、どこかで盗み聞きしているかもしれない間諜を気にするかのように、グレイアムは声を潜めて話を続けた。
「王宮では、王子妃様付き侍女見習いの教育が始まったのですが、肝心の王子妃様の発表は、諸事情あってまだ行われてはおりません。
かねてより、サイラス様との結婚をお望みだったビアトリス様に頼まれて、そのあたりの事情を探りに来たのでしょう。あるいは、この機会にビアトリス様との結婚を無理押ししにきたのかもしれませんね。」
「四人兄妹の末っ子で唯一のお嬢様ですからね。父親としては、なんとしても望みを叶えてやりたいとお考えなのでしょう」
自分も最近娘が生まれたばかりのシャノン司書長は、侯爵の気持ちをおもんぱかり、しみじみとうなずいていた。
しかし、グレイアムは、ややあきれ顔になって厳しいことをぴしりと言った。
「そんないいお話じゃありませんよ。三人のご子息がとんでもない方々なので、王家の縁戚となって後ろ盾を得ようという魂胆でしょう」
グレイアムが馴染みとなった居酒屋には、様々な貴族の家の使用人や出入りの商人がやって来ていた。主家の名前は秘して話すことが多いが、露骨に名前を出す者もいた。
町の居酒屋でしゃべったことが、上の方に伝わることなど、まずないからだ。
まあ、王宮関係者で聞いているのはわたしぐらいのものだろうな――と思いながら、グレイアムは、彼らの話に耳を傾けていた。
「ご長男は、鉱山の投資に失敗され、かなりの借財を抱えられた。ご次男は、隣国の侯爵家から迎えられた奥様の悋気に悩まされている。ご三男は、某劇場の女優に入れ揚げて、いずれ分け与えられる予定の財産まで使い込んでしまった……。
本当だとしたら、お気の毒なことです。しかし、だからといって、ビアトリス嬢を通して、自家の不始末の尻ぬぐいをサイラス様や王家に頼もうとするのは間違っております」
グレイアムの話にシャノン司書長が目を丸くしていると、執務室の扉が叩かれた。
司書の一人が、ラトリッジ侯爵が帰ったことを知らせに来たのだった。
「では、わたしは、サイラス様に回復薬となるお話を届けに行って参ります。無理な要求をさんざん聞かされて、お耳もお心も疲れ果てていらっしゃると思いますのでね」
グレイアムはそう言って執務室を出ると、軽い足取りで階段を上がり、二階の貴賓室を訪ねた。声をかけると、消え入りそうな声で応えが返ってきた。
扉を開けると、案の定、サイラスはがっくりとしてテーブルに突っ伏していた。
*
「こんな所へ急襲してくるとは、思ってもみなかったよ。侯爵の手の者が、王宮を出入りするわたしを見張っていたらしいな。さすがに、レドモンドの森や中央商店街までは追い切れなかったようだが――」
グレイアムが淹れた茶を飲みながら、ほっとした顔でサイラスが言った。
「王宮へお訪ねになれば、いろいろと噂になりますからね。何もかも知っているという顔で、こちらへいらして、サイラス様の真意を聞き出そうとなさったのでしょう。
それで、王子妃の件について、侯爵様にはなんとお答えになったのですか?」
「間もなく開かれる宮廷音楽会の場に、王子妃候補の女性を同席させ紹介すると言った。そして、母上の誕生日の宴で正式に婚約を発表する予定だと伝えたよ」
「女性のお名前は、仰らなかったのでございますか?」
「当たり前だろう? まだ、レディ・ブリジットの気持ちすら聞きだしていないのだぞ! それどころか、あの一件以来いくら手紙を出しても一通の返事ももらえない。いまだにわたしは、不躾で自信過剰な男として嫌われているのかもしれない! ああ、神よ!」
その言葉を聞き、クスリと笑ったグレイアムを見て、サイラスは「おや?」という顔をした。
祈りの形に組んでいた手を解くと、サイラスは立ち上がり、グレイアムの方へ近づいた。
サイラスが、じいーっと顔を見つめていると、彼の凝視に堪えきれなくなったグレイアムは、明後日の方を見ながらぼそりと言った。
「コホンッ……。じ、じきにブリジット嬢からのお手紙が届くと思います。たぶん、お父上を説き伏せて翻訳の仕事を続ける許可を得た――という内容でしょう。も、もしかすると、『あなたと一緒に翻訳に携わることこそが、今のわたしの唯一の夢なのです』とか、書かれているかもしれませんね……。
彼女が宮廷図書館を訪ねて来たら、今度こそ、順番を守ってくださいね。まずは、サイラス様のお気持ちを伝えて、それから、宮廷音楽会へお誘いして――。うわわわっ?!」
グレイアムが止める間もなく、サイラスが突然抱きついた。
そして、グレイアムの耳元で嬉しそうにささやいた。
「大丈夫だよ。こうして、一番先にしてしまいそうなことは、おまえで済ませておくから!」
*
夢見心地のサイラスを連れて、グレイアムが王宮へ戻ってくると、サイラスの居室の前で、子爵夫人のところで見かけたことのある侍女が、心配そうな顔で佇んでいた。
侍女は、グレイアムを見つけると、走り寄ってきて慌ただしくお辞儀をした。
「グレイアム様、大至急、わたくしと一緒に来てくださいませ!」
侍女の表情から、ことの重大さを感じ取ったグレイアムは、サイラスを彼の居室へ放り込むと、侍女が追いついてこられるぎりぎりの速さで、子爵夫人の部屋へ向かってきびきびと歩き出した。




