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<表のおはなし>③

 美しく磨き上げられた二頭立て馬車から、二人の侍女に手を取られ、前コンドレン侯爵夫人――グラディス・コンドレンが降り立った。

 モットレイ子爵家の家人、使用人たちが玄関前に勢揃いし、姿勢を正し彼女の到着を待っていた。

 挨拶のため、モットレイ子爵がグラディスの前に進み出た。


「レディ・グラディス、本日は、わざわざ拙宅をお訪ねくださり、まことにありがとうございます。こちらが、わたくしの妻の――」


 子爵が家人を紹介しようとするのを、グラディスはさっと手で制し、優しく微笑みかけながら言った。


「モットレイ子爵、堅苦しい挨拶は必要ありません。あなたのご家族のことは、良く存じ上げておりますわ。だからこそわたくしは、レディ・ドローレスにお祝いの品を直接届けに伺ったのですもの。

早くゆっくり寛げるところへ案内してくださいな。ここへ来る途中、石畳が痛んでいる場所があって、少しばかり腰を打ちました。こんな所にいつまでも立っていたくはありませんよ」

「こ、これは、し、失礼をいたしました。レディ、どうぞこちらへ。ささやかですが、おもてなしの用意もととのっておりますので――」


 前侯爵夫人は、ドレスの裾を優雅に翻しながら、子爵に先導され子爵邸の小さな玄関へと足を進めた。


 *


 もやもやとした気持ちを抱えながら家に帰り着いたブリジットを、興奮を隠しきれない様子で使用人たちが出迎えた。

 どうやら、今さっきまで、前侯爵夫人の来訪の後片付けに追われていたようだ。


 居間へ入るや否や、ブリジットが挨拶の言葉も口にしないうちに、子爵夫人が駆け寄ってきて力一杯抱きついた。


「お帰りなさい、ブリジット!! 早くこの喜びを伝えたくて、あなたの帰りを待ちわびていたのよ! 待ちくたびれて、もう倒れそうだわ!」

「ローレッタ、ブリジットが困っているよ。まずは、きちんと挨拶をさせてあげなさい。話は、その後だ」


 子爵にたしなめられ、子爵夫人は恥ずかしそうにブリジットから離れた。

 クスクスと笑いさざめきながら、娘たちや侍女たちは、温かい眼差しでそのやりとりを眺めていた。

 なぜなら、本当は誰もが夫人と同じ気持ちで、ブリジットの帰宅を待ち望んでいたからだ。

 

「お父様、お母様、ただいま戻りました。本日は、前コンドレン侯爵夫人をご一緒にお迎えできず申し訳ありませんでした」

「お帰り、ブリジット。レディ・グラディスは、おまえの仕事のこともご理解くださり、これからもしっかり励むように伝えてくれと仰っていたよ。心配はいらない」

「我が家のもてなしがたいそうお気に召したようで、たくさんお褒めの言葉をいただいたのよ。美しくて品位があって――、真の貴婦人とはあのような方のことを言うのだと思うわ」


 子爵も子爵夫人も、すっかり前侯爵夫人の信奉者となってしまったようで、素晴らしい方とお近づきになれたと喜んだ。

そして、そのあとも繰り返し、夫人の立ち居振る舞いや身拵えの見事さについてブリジットに語った。


「それでね、レディ・グラディスは、ドローレスが幼い頃からずっと、いつか王宮で歌を披露できるようになるに違いないと思っていらしたのですって――。

ようやくそれが現実になったと喜んでくださって、ドローレスが宮廷音楽会で着るドレスをお届けくださったの!」

「まあ、ドレスを?!」

「レディ・グラディスがお若い頃お召しになっていたものを、うちの出入りの仕立屋に頼んで、ドローレスに合うように手を加えてくださったのですって! 薔薇色の素晴らしい絹地なの! 染めも織りも特別な職人が手掛けた、今では手に入らない逸品よ! セルマ、ここに持ってきてちょうだい!」

「はい、奥様!」


 衣装部屋へ行ったセルマが、ドレスを手に居間へ戻ってくると、部屋の中がパッと明るくなったようにブリジットは感じた。

 豪奢だが可憐さも備えた、まさに薔薇の花のようなドレスだった。

 襟や袖の形が今風に変えられていることもあって、古くささを感じさせることは一切なく、宮廷音楽会でも注目を集め、新たな流行を生みそうな一着だった。


「素敵だわ……、さぞや高価なものなのでしょうね?」

「値段は……、付けられないかもしれないわ。ただ、レディ・グラディスは、ドレスの本当の価値は、それをまとう者によって決まるのです、と仰っていらしたの。

ドローレスが身にまとうことでドレスの価値が高まれば、わたしも嬉しいとまで言ってくださって――」


 また今日も、子爵夫人は、話をしながら涙ぐみ始め、そっと寄り添ったドローレスが手巾を渡した。

 アデラインが話を引き取り、うっとりとドレスを見つめながら言った。


「宮廷音楽会には、レディ・グラディスはもちろん、わたしたちにも招待状が届くよう、お知り合いの侍従の方が手配をしてくださっているそうなの。楽しみね。ひと月ほど先のことになるけれど、ブリジット、あなたももちろん行くでしょう?」

「ええ……、それはもちろん……」


 これまでなら、外出の予定が、宮廷図書館での仕事に重ならないかを、一番に気にしたものだった。

 だけど、もうその必要はないわね――と、ブリジットは心の中でつぶやいた。

 少し寂しかったが、今日のサロモン・ベネットの態度を考えると、自分の気持ちがはっきりしないまま、これ以上彼の側にいるべきではないと思われた。


「ブリジット姉様、実は、わたしにも素晴らしいお誘いがあったの!」


 今まで隅の方で様子を伺っていたエリノーラが、今度は自分の番とばかりに、ブリジットの前へ出てきて言った。

 慌てて話を取ろうとする子爵夫人を押しとどめ、少しはにかみながらエリノーラは、ブリジットが思ってもいなかったことを語り始めた。


「レディ・グラディスが、王子妃様付きの侍女として、王宮に上がってはどうかと仰ってくださったの」

「王子妃様付きの侍女って……、サイラス殿下のお妃様の侍女ってことかしら? でも、確かサイラス殿下は、まだ独り身で――」

「近々、ご婚約の発表があるのですって。それで、それに先駆けて王子妃様付きの侍女を募り、お妃様が安心してお輿入れできるように準備を整えておくということらしいの」


 エリノーラは末っ子だが、わがままということもなく、人が集まるところでは、むしろ自分が世話をする相手を探すようなところがあった。

 幼い子どもたちはもちろん、高齢の人や体の具合が優れぬ人にも声をかけ、親身になって相手をしていた。


 彼女もまた、貴族の娘であるがゆえに、医療院などで働くことは難しかったが、本当は、そういう世の中の役に立つ仕事に憧れを感じていると、ブリジットに打ち明けたこともあった。

 王宮で働くというのは、たいそう名誉なことであるし、仕事ぶりが認められ良縁に繋がったという話もよく聞かれた。

 エリノーラにはぴったりの仕事かもしれないと、ブリジットは思った。


「わたしにその気があるのなら、レディ・グラディスが推挙してくださるということなので、お父様の許可得て、お願いすることにしたの。王宮で王子妃様にお仕えできるなんて夢のよう――。きっと、王子妃様をしっかりお助けして、立派に勤め上げてみせるわ!」


 希望に胸を膨らませるエリノーラを祝福し励ました後、ブリジットは、宮廷図書館で、サロモン・ベネットから領地へ誘われたことを家族に伝えた。

 思った通り、たちまち子爵は仏頂面になり、子爵夫人や娘たちも心配そうにブリジットを見つめていた。

 話が終わると、即座に子爵は言った。


「ブリジット、すぐにでも書状をしたためよう。おまえは、今度こそ宮廷図書館での仕事を辞めるのだ。わたしは、もう一度サロモン・ベネットについて情報を集めてみようと思う。おまえはもう二度と、宮廷図書館へ出向くことはない」

「わかりましたわ、お父様……」


 ブリジットが帰宅したときは、あれほど華やいでいた子爵邸の居間が、ひっそりと静まりかえり、暗い夜を迎えようとしていた。


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