<裏のおはなし>②
その日の晩のこと――。
グレイアムは、居酒屋での情報収集を終え、うきうきと王宮へ戻ってきた。
すぐにサイラスの居室を訪ねたが、声をかけても応えがない……。
鍵はかかっていないようで、ノブに手をかけると扉は造作もなく開いた。
部屋の中に、窓から挿す月明かり以外の光はなく、暗くひっそりとしていた。
(なんだ、もうお休みになってしまわれたのか――)
それならば、報告は明日に――と思い、扉を閉めようとすると、部屋の中で何かが動く気配があった。
ソファに横たわっていたらしいそれは、ゆっくりと起き上がり、長い影を伸ばしてそこ立った。そして、幽鬼か何かのように、左右に揺れながら扉の方へ近づいてきた。
たいていの者は、ここで悲鳴を上げるのだろうが、苦労の多い留学生活で、すっかり肝が据わった男となったグレイアムは、一礼すると、ささっと部屋の中へ入った。
そして、自分の手燭から、室内の燭台に片っ端から灯りを点し、部屋を温かな光で満たすと、ようやく謎の幽鬼に声をかけた。
「それで――、今日は、ブリジット嬢と、どのようなお話をされたのですか、サイラス様?」
謎の幽鬼――サイラスは、ぴくりと一瞬震えると、テーブルに手燭を置いたグレイアムに、ものすごい勢いで抱きついた。
「グレイアム~ッ!!」
自分より背も高く、しなやかな筋肉にしっかり覆われたサイラスの体を、グレイアムは優しく支えながら思った。
(あーあ……、何か思惑通りにいかないことがあったってことか……。こんなサイラス様は、何年ぶりかなあ……。よしよし、朝までお話を聞いて差し上げますよ!)
*
「はあ?! 一緒に外出したこともなければ、ダンスの相手をお願いしたこともなく、お宅に伺ったこともないご令嬢を、いきなり旅に誘っちゃったということですか?!」
「ああ……、よく考えれば、そういうことになる、な……」
一度はすべて点した燭台の明かりを落とし、テーブルに置いた手燭一つを囲む形で、サイラスとグレイアムは向かい合って座っていた。
サイラスから、宮廷図書館での出来事のあらましを聞いたグレイアムは、頭を抱えていた。
「よく考えなくても、そういうことです! それで――、まあ、だいたいのことはわかりますが――、ブリジット嬢は、どのようなお返事を?」
しゅんとして、ソファの中で小さく体を丸めたサイラスが、力なく答えた。
「レディ・ブリジットは、子爵領と王都を行き来する以外、泊まりがけの旅などしたことがないと言っていた。貴族の令嬢としては、当然のことだよな。
せっかくのお誘いですが、家族とも相談しなければならないので、お返事はすぐにはできません――、と悲しげな顔で言うと、その後は黙ってしまった……」
そして、ブリジットは、いったん作業室に下がると、『恋愛詩集』に登場する固有名詞の翻訳例を調べるため、世界地図や歴史書を探しに、サイラスがいる書庫へやって来た。
しかし、サイラスと言葉を交わすことは一切なく、結局、次回の打ち合わせもしないまま、儀礼的な挨拶をして帰宅してしまったのだった。
「どんどん、まずい方向へ進んでいる感じですね。これで、明日辺りモットレイ子爵から今度こそ、「もう娘をそちらに伺わせることはできません」と書かれた書状が届き、すべては終わる――かもしれません。
お焦りになる気持ちは、わからなくはないですが、いくら何でも性急過ぎましたよね? せめて、王宮の薔薇園へお誘いするぐらいで我慢なされば良かったのに――」
そんなことは、いちいちグレイアムに言われなくても、サイラスにはよくわかっていた。
しかし、あのときは、なぜかそういう申し出を、ブリジットがにこやかに受け入れてくれそうに思えたのだった。
「レディ・ブリジットは、わたし――サロモン・ベネットの領地に、とても興味を持っているような口ぶりだったんだよ。今まで彼女の方から、ベネットに関する私的な情報を求められたことなど、ほとんどなかったのだ。
それが、突然、ベネット家の領地のことを教えて欲しいと言われて――。これは、辺境の離宮に招待して、いずれわたしと暮らすあの土地に愛着を持ってもらわねばと思ってしまったんだよ!」
「まったくもう……。サイラス様、お忘れではないですよね? あなたは、ブリジット嬢にとっては、田舎貴族の三男坊だが、司書としての能力を高く評価され宮廷図書館で働くことになったサロモン・ベネットなのですよ。例え、彼女が領地へ行くことを承知したとしても、辺境の王領にある離宮に連れて行くことはできないですよね?」
そもそも、最初から王子であることを彼女に打ち明けておけば、何もかもすんなりとすすんだのだ――とグレイアムは思った。
王子の命令に背ける貴族など、この国にはいない。
「我こそは、ヴェルスコール王国の第二王子サイラスである」と始めに言ってしまえば、ブリジット・モットレイを妻にすることも、サイラスが選んだ相手を次々と彼女の姉や妹にあてがうことも、ずっと簡単にできたはずだった。
その結果、傲慢で我が儘な王子に目を付けられ、娘たちの婚姻を無理矢理まとめられてしまった悲劇の子爵家――という印象を、モットレイ子爵家の人々や世間に与えてしまうことにはなったかもしれないが……。
「グレイアム、どうすればいい? どうしたら、わたしはレディ・ブリジットを手放さずにすむ? 得がたい女性なのだ……。もうこの先、彼女以上に素晴らしい人に巡り会えるとは思えない……。もし、このまま彼女に嫌われ、二度と会うことが叶わぬとなれば……、わたしは、離宮ではなく神殿へ行こう! そしてそこで、後悔と苦悩に満ちた生涯を終えるとしよう!」
まあ、そうはならないと思いますけどね、わたしまで神殿に連れて行かれるのは困るし――と言う言葉は口に出さず、グレイアムは、落ち込んだサイラスを勇気づけるように明るく言った。
「大丈夫です! このグレイアムに万事お任せください! こちらへ戻る前に、わたしは、馴染みの居酒屋で子爵家の料理人と出会いました。
どうやら、前コンドレン侯爵夫人の訪問は上手くいったようです。料理人は、『前侯爵夫人の推薦を受け、エリノーラ様が王子妃様付きの侍女として宮廷に上がることになる、お家にとってたいそう名誉なことだ!』と言って、祝盃を挙げておりました。
わたしが、エリノーラ嬢と上手く関わり、サイラス様のお気持ちがブリジット嬢に必ず伝わるようにしてみせます! ですから、サイラス様は、子爵家からどのような申し出があっても、慌てずに誠意ある対応に努めてください。よろしいですね?」
「わ、わかった……、よろしく頼む、グレイアム。おまえ、何だか、今日は輝いて見えるな? あ、そうか、レディ・エリノーラが王宮に来ることが決まったから、おまえもやる気になっている――、ということか?」
グレイアムはニヤリと笑うと、サイラスを寝台へと移動させた。
そして、そこに横たわった彼に上掛けをかけ、消えかかっている手燭を手に取り、静かに部屋を出た。
扉を閉め、大きな溜息をつくと、誰も聞き取れないような声で自分自身に檄を飛ばした。
「サイラス様がブリジット嬢と結ばれなければ、わたしもエリノーラ嬢も、一生辺境でとんでもない苦労を強いられることになるのだ。
必ず、絶対に、何としても、ブリジット嬢の心をサイラス様に向けさせてみせるぞ! わたしたちの将来もかかっているのだからな!」
夜更けの王宮を、油断するとつい大きくなってしまう靴音に気をつけながら、グレイアムは侍従部屋へと戻っていった。




