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<表のおはなし>②

「お母様、本当にわたしは家にいなくてもいいのかしら?」

「大丈夫ですよ、ブリジット。いつもどおり、宮廷図書館へ行ってきなさい。侯爵夫人は、ご自身も王宮で女官として働いていらした方なので、女性が職に就き、その仕事に励むことは世のためになるというお考えなの。

あなたが翻訳のお手伝いで不在にしていても、決してご不快に思われたりはしませんよ」


 一昨日、前コンドレン侯爵夫人から、金曜日にモットレイ子爵家を訪問したいという書状が届いた。

 書状には、かねてより、音楽サロンで目をかけていたドローレスが、宮廷音楽会で歌を披露することが決まったと聞いたので、夫人自ら、ぜひ祝いの品と言葉を届けに行きたいという旨のことが書かれていた。


 突然だからといって、上位貴族からの申し出を断れるはずはなく、モットレイ子爵家では、大慌てで夫人を迎える準備が始まった。

 使用人たちは、総出で客間を掃除し、調度品を磨き上げた。

 盛りを迎えた薔薇の花を部屋中に飾り、薔薇の柄の茶器を新調した。

 高級店へ茶葉や菓子を注文し、誰もが、季節や時間に相応しい失礼のない装いを用意した。


 いつになく緊張感に包まれた屋敷の玄関を出て、ブリジットは、迎えの馬車に乗り込んだ。

 身支度を整えた家族と使用人に盛大に見送られ、宮廷図書館へ向かって馬車は走り出した。


「ねえ、エルシー。今日は、セルマに付き添いを代わってもらっても良かったのよ。あなただって、前コンドレン侯爵夫人のご来訪に立ち会いたかったでしょう?」「とんでもありません! わたしは、お偉い方の前に出るのがどうも苦手で……。何か不始末をしでかすのではないかと、ひどく緊張してしまうのです。

その点セルマは、辺境伯家にお仕えしているだけあって、若いのに堂々としたものです。今日も朝早くから、バーナビーとおもてなしの手順を確認しておりました。あのに任せておけば安心ですわ」

「そうなの――」


 同じ貴族でも、内情は様々だ。

 モットレイ家は、子爵家ではあるが領地にも恵まれ、代々の当主が蓄財に励んだこともあり、ブリジットの叔父はもちろん、分け与えられた財産で投資や商売に成功した親族も多い。

 一方で、領地や王都に豪壮な屋敷を構えながらも、借金で何とかやり繰りしているという噂が絶えない上位貴族もいる。


 若いセルマにも、きちんとした侍女教育を行っているラーウィル辺境伯家は、家柄はもちろん経済的にも安定している正真正銘の上位貴族なのだということを、ブリジットはあらためて思い知った。


(それでいて、ラーウィル家の方々は、格式張ったところがなく、気さくで親しみやすい方ばかりだ、とお父様は仰っていた。

このご縁を大切にして、クラリッサには幸せになって欲しい――。そのためにも、セルマの扱いには心を配っておくべきだわね)


 宮廷図書館に馬車が着くと、いつものようにサロモン・ベネットが、にこやかにブリジットを出迎えてくれた。

 彼は、少し離れたところから、さりげなくブリジットの装いを確認し、挨拶の言葉をかけてきた。


「おはようございます、レディ・ブリジット! 淡い珊瑚色の生地に薔薇の地模様とは、この季節にぴったりのドレスですね。華やかだが、決して華美ではないところがあなたらしいです。今日のドレスも、本当に良くお似合いですよ」


 お世辞だとわかっていても嬉しいと思わせてしまう、天性の人たらしのような一面がサロモン・ベネットにはある。

 宮廷図書館の人々が、彼に対して妙に寛容過ぎるように感じるのは、そのせいかもしれない、とブリジットは思った。


「ありがとうございます、ベネット様。宮廷図書館の皆さんのお召し物も、夏服にかわられたのですね?」

「ああ、そうですね。もう、そんな季節になりました。社交のシーズンも、最盛期を迎えようとしています。様々なサロンが開かれたり、お屋敷に招いたり招かれたり――。レディ・ブリジットのご家族も、お付き合いでさぞやお忙しいのではないですか?」


 ブリジットは、ベネットのその言葉を聞いて、「おやっ?」と思った。

 何となく言葉の端端に、今日の前コンドレン侯爵夫人の訪問を知っているような気配を感じたのだ。

 まさか、そんなはずはない。そんなはずはないのだが――。


「さあ、ここで立ち話をしていても何も進みません。お話の続きは作業室でということで、早く館内へ入りましょう!」


 胸に湧いた微かな疑念を、サロモン・ベネットの言葉にかき消され、ブリジットはそれ以上考えるのをやめて、彼と共に宮廷図書館の入り口へ足を踏み入れた。


*


 そして迎えた休憩時間――。


「まあ、今日の茶葉は……、薔薇の花びらが入っているのですね!」


 愛らしい花柄の陶製の茶壺から、匙で茶葉をポットに移しながら、ブリジットは感嘆の声を上げた。

 その反応を満足そうに見つめながら、サロモン・ベネットが言った。


「レディはご存じかと思いますが、茶葉として使える薔薇は、食用のものに限られます。残念ながら、我が国における食用薔薇の生産は極めてわずかで、東方のヴァヴルシャ皇国からの輸入に頼っているのが現状です。

いずれ王国の南部地域で、茶と同様、食用薔薇も量産できるように、王立植物園の研究施設では、新しい品種の開発が進められています。もうしばらく時間はかかりそうですが、成果は上がりつつあるようです」


 立板に水の如く話し終えたサロモン・ベネットに唖然としながらも、ブリジットは、慎重にポットに湯を注ぎ、丁寧に薔薇茶を淹れた。


(まるで、自分が研究開発に携わっているかのような口ぶりだったわ! 宮廷図書館の司書というのは、どれほど広い知識を必要としているのかしら? それとも、これはベネット様に限ったことなのかしら?)


 曖昧な笑みを浮かべ、ブリジットが薔薇茶を注いだ茶器を渡すと、サロモン・ベネットは、優雅な所作でそれを受け取った。

 ブリジットも席に着き、香りを楽しみながら、ゆっくり薔薇茶を口に含んだ。

 薔薇茶は、上品な香りにほのかな甘みを伴っていて、一緒に出された野いちごのジャムを載せた焼き菓子とも良く合った。


「初めて王宮の庭でお目にかかったとき、ベネット様は、ご自分のことを田舎貴族の三男坊だと仰っていましたよね? もしかして、ベネット家のご領地は、茶や薔薇の栽培に力を入れている南部地域にあるのでしょうか? どのような場所なのか、良ければご領地のことをお教えいただけませんか?」


 ブリジットの問いかけに、サロモン・ベネットは、ひどく驚いた顔をした。

 その表情を見たブリジットは、自分は、何か失礼なことを尋ねてしまったのだと思い、いたたまれない気持ちになった。

 慌てて茶器をテーブルに置き、サロモン・ベネットに謝った。


「申し訳ありません、ベネット様……。思いつきで、ご領地のことなど口にしてしまい、たいへん失礼をいたしました。どうぞ、お忘れください……」

「いえ、わたしの方こそ、妙な顔をしたために、あなたにいらぬ気づかいをさせてしまいました。

実は……、我が家の領地は、南部地域よりも遙かに寂しい辺境にあります。自然豊かな土地ですが、冬は寒く、けっして暮らしやすい場所ではありません。

ですが――、もし、あなたが興味をもってくださるのでしたら――、ぜひ一度、我が領地をお訪ねください。そして、わたしに案内させてください!」

「えっ……、そ、それは……、あの……」


 ブリジットは、謎の多いサロモン・ベネットのことを、もう少し詳しく知ろうとしただけだった。

 しかし、今、彼は、熱い視線を向けながら、ブリジットを領地へと誘っていた。

 彼と共に、その領地に赴くということは、すなわち――。


(どこから、こういう話になったのかしら? 薔薇茶の話をしていて、ベネット様のご領地のことをうかがおうとして……。困ったわ……、ベネット様は、いったい何を考えていらっしゃるのかしら?)


 困惑するブリジットの前で、切なげな表情をしたサロモン・ベネットが、彼女の返事を、息を詰めて待っていた。


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