<表のおはなし>①
「まあ、今日もまた、ずいぶんと賑やかね。何かいいことでもあったのかしら?」
「また、お客様でもお見えになっているのかもしれませんね」
モットレイ子爵家の王都屋敷からは、娘たちの明るく朗らかな笑い声が漏れ聞こえていた。
ブリジットが、侍女のエルシーと共に馬車から降りると、従僕のバーナビーが扉を開けて二人を待っていた。
彼の後ろには、侍女のお仕着せを身につけた若い娘が立っていた。
「お帰りなさいませ、ブリジット様。この者は、本日よりお邸で働くことになったセルマでございます。さあ、セルマ、ブリジット様にご挨拶を」
「セルマと申します。よろしくお願いいたします。ブリジット様、エルシーさん」
セルマは、クラリッサの外出の機会が増えるので、付き添う侍女のやり繰りが大変だろうということで、ラーウィル辺境伯家が寄越した人物だった。
ああ、そういうことね――と、ブリジットは、即座にその意味を理解した。
(やっぱりパトリック様は、クラリッサとの結婚を考えていらっしゃるのだわ。いずれクラリッサ付きの侍女になる予定のこの娘と、今から信頼関係を築かせておこうというお考えね。もちろん、ついでにクラリッサや我が家の様子を調べさせているのかもしれないけれど――)
セルマは、ブリジットの帽子や手荷物をエルシーから受け取り、ブリジットの部屋へ片付けに行った。エルシーは、ほっとした顔で使用人部屋へ向かった。
若いが気づかいができる、なかなかしっかりした侍女だった。
しかし、居間に漂う華やいだ気配は、セルマがやって来たこととは別の理由によるものだった。
ブリジットが、帰宅の挨拶をするために居間へ入っていくと、今日の話題の中心がドローレスであることがわかった。
子爵家の女性たちが、ドローレスを取り巻くように座っていたからだ。
ブリジットが挨拶を終えると、待ちきれない様子で子爵夫人が話し出した。
「聞いてちょうだい、ブリジット! シェリダン伯爵夫人の音楽サロンで、奇跡のような出来事があったの! 宮廷作曲家のアラン・バーレル様が、ドローレスに歌をご披露する機会を与えてくださったのよ。素晴らしかったわ! バーレル様の伴奏もドローレスの歌も! サロンのお客様が、皆さん感動されて――」
夫人は感極まり、そのまま手巾を握りしめて泣き出した。
ドローレスが、目を潤ませながら、その背をさすっていた。
話を引き継いだのは、一緒に出かけていたエリノーラだった。
「バーレル様は、お姉様の歌をたいそう気に入ってくださって、お姉様は宮廷音楽会で、王族の方々に歌をご披露することになったのよ。
明日から、シェリダン伯爵のお屋敷へ伺って、バーレル様から個人指導を受けることも決まったの! もしかしたら、王妃様のお誕生日の祝宴でも、歌うことになるかもしれないのですって!」
幼い頃から、音楽が大好きだったドローレスは、いつか歌い手として国立歌劇場の舞台に立つことを夢見ていた。
しかし、暮らしに困っているわけでもないのに、娘が本職の歌い手になるなどということを、モットレイ子爵が許すわけがなかった。
一度は潰えたドローレスの幼い日の夢が、少しだけ形を変えて叶えられようとしていた。
本職の歌い手になることは許されないが、宮廷作曲家に才能を認められ、王族の前で歌うとなれば話は別である。それは、家の誉れとして、後世まで語り継がれる出来事だった。
「あのお花も、サイラス殿下の近侍のグレイアム様という方が、先ほど届けてくださったの。宮廷音楽会での成功を祈っておりますとおっしゃって――。これまでも、小さなサロンで何度かお見かけしたことがあった方なのだけど、今日もサロンのお手伝いにいらしていたのですって――。
もしかすると、あの方がサイラス殿下を通して、バーレル様にお姉様の歌の素晴らしさを伝えてくださっていたのかもしれないわ!」
涙を拭きながらエリノーラの話を聞いていた子爵夫人が、急に顔を上げると話に割り込んできた。
「そうですよ、きっと! だってね、みんなでサイラス殿下の帰国を祝う宴に伺ってから、次々と幸せが舞い込むようになったのですもの! ブリジットが、宮廷図書館での翻訳のお仕事に誘われたのを皮切りに、アデラインとクラリッサは信じられないような良縁に恵まれて――。
サイラス殿下は、我が家にとって、縁を結ぶ神様のお使いみたいな方なのかもしれないわ! わたしは、ずっとそんな気がしていたのよ!
そうそう、クラリッサは今日、パトリック様から正式にお付き合いを申し込まれたのですよ! フィオーレ様からはすでに、『お義姉様』と呼ばれたのですって!
そして、今度はドローレス! バーレル様は、それこそ音楽の女神様にでも出会ったようなうっとりした顔で、ドローレスを見つめていらしたわ……。きっと、二人で音楽について語り合ううちに……。まあ! どうしましょう? こんなに次々と!」
自分の言葉に興奮し、またまた泣き出しそうになっている夫人を少しあきれながら、しかし幸せそうな顔で子爵はながめていた。
サイラスが縁を結ぶ神のお使いかどうかはともかく、あの宴が何かのきっかけであったのは確かだと子爵も感じていた。
あれだけたくさんの貴族の若者が一堂に会するというのは、昨今珍しいことだった。知らないところで、人物情報のやりとりがされていた可能性はある。
これは、その結果なのかもしれない――と、子爵は思った。
*
晩餐後、早めに自室へ引き上げたブリジットのところへ、就寝間際になってアデラインがやって来た。
「疲れていると思うのだけど、少しおしゃべりの相手をしてもらえるかしら?」
「いいわよ、お姉様。最近、お互いに忙しかったから久しぶりよね」
二つ違いの二人は、幼い頃から、こんな風に夜の時間を二人で過ごすことがよくあった。
アデラインは絵を描き、ブリジットは本を読む――、全く別のことをしていても、一人ではないという安心感に浸れることが心地よくて、二人はこの時間を大切にしていた。
「良かったわね、お姉様だけでなく、クラリッサも申し分のないお相手と出会えて――。それに、ドローレスだって夢を叶えて、さらにその夢を支えてくださりそうな方と巡り会えたように思えるわ。
もう、目の色を変えて夜会へ行く必要もないわね。あとは、のんびりと時間をかけてエリノーラに素敵なお相手を探すだけ――」
ようやく何もかも片付いたという顔で、大きく伸びをしたブリジットを見て、アデラインが言った。
「ブリジット、あなたはどうなの? 確かに、あなたには、家庭教師という天職があるし、宮廷図書館での翻訳のお手伝いという仕事まで引き受けて、とても充実しているようには見えるけれど――。
ベネット様とはどうなっているの? 彼から、外出のお誘いはないの? これからもずっと、一週間に一度宮廷図書館でお目にかかるだけでいいの?」
アデラインに詰め寄られても、ブリジットには何も答えられなかった。
訪問の予定を話し合う中で、モットレイ家の状況は、かなり詳細にサロモン・ベネットに伝えていたが、彼の私生活については、一切語られることはなかった。
ブリジットは、翻訳の仕事さえできれば、それでもかまわないと思っていたのだが――。
(そろそろ、ベネット様のことをもっと知るべき時なのかもしれないわね。この先も、翻訳のお手伝いを続けていくのなら、ご迷惑やご心配をかけないためにも、ベネット様の立場や暮らしぶりをわかっていた方がいいのかもしれない――)
心配そうに見つめるアデラインを、子どもの頃と同じように優しく抱きしめて、ブリジットささやいた。
「ありがとう、お姉様。わたし、ベネット様のことをもっとよく知るようにするわ。お気持ちやお考えも含めてね――。そして、わたしが、本当はこの先どうしたいのかも、この機会によく見つめ直してみるわ!」
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
昨日は、都合により投稿できませんでした。すみません。
明日は土曜日ですが、できれば夜に一話投稿したいと思っています。できれば……。




