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<裏のおはなし>③

 サロンが開かれた広間の扉の陰から、グレイアムは、じっと事の成り行きを見守っていた。

 そして、バーレルとドローレスの共演が終わり、人々の興奮が最高潮に達すると、静かにそこを離れて従者たちの控え室へ向かった。


 サロンに参加したご婦人方の侍女たちが集うその部屋に、やや場違いな壮年の男が一人混じっていた。

 手元の本に目を落としていた男は、グレイアムが近づいてきたことに気づくと、顔を上げ優雅な動作で本を閉じた。

 黙って隣の席に腰を下ろしたグレイアムに、目を細め微笑みかけながら彼は言った。


「ありがとうございました、グレイアム殿。旦那様に、素晴らしい女性を引き合わせてくださって――。これで、何もかも上手くいくことでしょう」


 男の名は、ジャレッド・ロートン。アラン・バーレルの近侍である。

 今回の計画を進める中で、グレイアムは何度か彼と顔を合わせていた。


「わたしもそろそろ職を辞す時期なのですが、旦那様のことが気がかりで、なかなか申し出ることができずにおりました。

しかし、どうやら、それも今日までの話――。グレイアム殿のおかげで、ようやく気ままな隠居暮らしが始められそうです」


 アラン・バーレルは、今日のサロンでの出会いに備え、ジャレッドを使って、ひそかにドローレスの評判の真偽を探っていた。

 ジャレッドは、王宮のグレイアムのところにも、彼女がたまに参加するサロンのことを聞きに来た。


 彼は、そうしたいくつかの小さなサロンや茶会の参加者の従僕から、ドローレスを賛美する、「天才少女」「天使の歌声」という言葉を聞くことができた。

 そうするうちに、一度も聞いたことがないドローレスの歌を、自分が何度も耳にしたような気持ちになっていた。


「グレイアム殿、ドローレス嬢は、なぜ野に埋もれたままになっていたのでしょうか? わたしは、あの方はもっと注目を集め、話題に上っていてもおかしくない存在だと思うのですが?」


 ドローレスは、初見の楽譜を苦もなく歌いこなした――。それも、作曲者の意図を十二分に汲み取って――。

 普通に考えれば、十七歳の娘が、そうそう容易たやすくできることではなかった――。


 伯爵家のメイドが運んできた茶器を、こちらもまた優雅な所作で受け取ると、グレイアムは目線をやや上に向けて言った。


「神の思し召しということではないでしょうか? 彼女は、おのれの立場をわきまえ、決して望外なことを考えず、貴族として堅実に誇り高く生きる一家に生まれたのです。

その天賦の才を愛で、本当に花開かせることができる人物に出会えるまで、神は彼女を家族に守らせ、よこしまな企みをもって近づく者から秘匿しておいたのでありましょう」

「グレイアム殿……」


 目に涙を浮かべて自分を見つめるジャレッドに、グレイアムは、ちらりと目をやった。


(ああ……、少し大げさに言い過ぎたかもしれないな……。単純に言えば、パトロンになりたがる上位貴族や成金商人どもが集まる場所に、家族が彼女を行かせなかったってことだ――。

そもそも、モットレイ子爵夫妻は、娘たちが子爵家の娘に相応な良縁に恵まれれば良いという考え方だからな!

たとえ娘が天才であるとわかっても、歌い手にして儲けようなんて気はさらさらないんだ――。神様も、いい家に彼女を授けたものさ!)


「今日のことで、バーレル様も、ドローレス嬢に関する噂が嘘ではないとおわかりになったことでしょう。

ジャレッド殿、申し訳ありませんが、もうしばらくの間バーレル様にお仕えしてください。そして、バーレル様がドローレス嬢の才能を開花させ、お二人が幸せを掴むのを見守って差し上げてください」

 

 涙を拭きながら、何度もうなずくジャレッドに丁寧にお辞儀をすると、グレイアムは、控え室を出て、馬車で王宮へと向かった。


 *


「レディ・ブリジット……、先週、書店でお目にかかったとき、あなたはここへ来ることを約束してくださいました。しかし、本当にまた来てくださるのか心配で、夕べは眠れませんでした。

だから、今朝、馬車から降り立つあなたを見たときは、本当に嬉しかったです。わたしの失礼を許してくださったことに、心から感謝します」


 午前中の仕事を終え、今日もまたいつものように、サイラス――サロモン・ベネットはブリジットを二階の貴賓室へいざなった。

 室内には、すでに茶や軽食の準備が整っていた。

 テーブルの端に置かれた白い花瓶には、色づいた蕾をびっしりとつけたラベンダーの花穂が生けられていて、爽やかな香りを漂わせていた。


 すまなそうにうつむく彼に、ブリジットは明るい声できっぱりと言った。


「もう、お気になさらないでください、ベネット様。父からも正式な許しが出ましたから、これからもあなたから断られるまで、わたしは毎週こちらへ伺うつもりですわ!

それと……、レイノ語の古語辞典……、迷いましたが使わせていただくことにしました。父も、その方がベネット様も安心されるだろうと申しますので……。素敵な品をお届けくださり、ありがとうございました!」


 サイラスは、にっこりと笑ってお辞儀をしたブリジットを、「今すぐ抱きしめたい!」と思ったが、そのような間柄ではないということに気づき、慌てて伸ばしかけた手を下ろした。

 

「で、では、ら、来週の予定でも、お話しましょうか?」

「はい! その前にお茶を淹れてもよろしいですか?」

「あ……、はい、お願いいたします」


 いつも通り、和やかに休憩時間は過ぎていった。

 結婚を控えたアデラインの幸せそうな暮らしぶりや、クラリッサがレーウィル辺境伯家の令嬢の乗馬やダンスの指南役になったという話を聞きながら、サイラスは何度も嬉しそうにうなずいた。


(よしよし! 長女も三女も上手くいっているようだ。そして、今日は四女のレディ・ドローレスにも素晴らしい出会いが訪れる――。

わたしが、レディ・ブリジットの手を取り、愛を打ち明ける日も近いということだ。焦らず急がず、ゆっくりと彼女との距離を詰めておくのだぞ、サイラス!)


 来週の金曜日を訪問日と決め、サイラスが至上の喜びに浸る時間は終わった。

 午後の作業がすむと、ブリジットは馬車に乗り屋敷へ帰っていった。


 *


 サイラスが、宮廷図書館から王宮へ戻ると、先に戻っていたグレイアムが、自信に満ちた態度で出迎えた。

 サイラスの居室へ移動すると、グレイアムが今日のサロンでの出来事をサイラスに報告した。


「サロンに参加されていたご婦人方の口から、お二人の出会いがロマンティックに語られて、あっという間に広がっていくことでしょう。われながら、素晴らしいお相手を見つけられたと思っております」


 グレイアムの言葉に、サイラスも満足そうに微笑んだ。


「バーレルは、もうレディ・ドローレスを手放すことはないだろう。まだ、彼女は十七か――。結婚には、少し時間がかかるかもしれないが、婚約はすぐにも整うことになるな。

ということは、あとは、レディ・エリノーラを残すのみ! 彼女には、どんな人物をあてがえばいい? 誰か、おまえにあてはあるか、グレイアム?」


 グレイアムは、小さく咳払いすると、意を決したようにサイラスと正面から向き合った。そして、少しだけ緊張した口調でサイラスに告げた。


「それなのですが――、レディ・エリノーラのお相手には……、わたしが名乗りをあげようと思います!」

「えっ? お、おまえ……、い、今、な、何と?」

「ですから……、わたしが、エリノーラ嬢と結婚したい! ――と申し上げたのです!」


 言葉を失ったサイラスの前に、体中の血を集めたような真っ赤な顔のグレイアムが、両手を握りしめて立っていた。


  * * *  第三話 終  * * *


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