<裏のおはなし>②
グレイアムは、子爵邸へブルーベルの花束と二通の書状を届け終わると、大急ぎでサイラスが待つ宮廷図書館へ向かった。
ブレンダンが割り込んできたために、ブリジットから午後の訪問を断られたことを告げると、サイラスは腹立たしげに言った。
「ひよっこには、一度しっかり釘を刺しておく必要があるな。買い物に出かけるのは、たぶん、王都の中央商店街だろうから、そこで偶然を装って二人と出会うようにしよう」
「『例のもの』は、どうなさいますか?」
「そうだな――。あれは、頃合いを見て、おまえがカードや花束と一緒に子爵邸へ届けておいてくれ。偶然出会ったのに、あのようなものをわたしが持っていては不自然だろう?」
「確かにそうですね……。承知いたしました!」
昼近くになると、サイラスは、図書館のお仕着せから、商家の息子か学生のような、こざっぱりした地味な服に着替え宮廷図書館を出た。
グレイアムは、宮廷作曲家のアラン・バーレルから呼び出されていた。彼の屋敷を訪問した後、「例のもの」を持ってモットレイ子爵邸を尋ねることにした。
*
「それで、サイラス様、本日の首尾はいかがでしたか?」
ここは、王宮内のサイラスの居室――。
茶の支度を整えて部屋へ入ってきたグレイアムが、お忍びから戻ったばかりのサイラスに尋ねた。
「万事予定通りだ。中央商店街の馬車だまりの近くで待っていたところ、モットレイ子爵家の馬車がやってきた。あとは、二人の後をつけながら近づく機会をうかがっていた」
「つけ回していることに、気づかれませんでしたか?」
「ああ、大丈夫だったと思う。買い物の途中で立ち寄ったカフェでは、話し声が聞こえるぐらい近い席に座っていたのだが、レディ・ブリジットとは顔を合わせないように気をつけていたので、見つかることはなかったよ。
そこで耳にした話から、最後に書店へ行くことがわかったので、先回りしたというわけだ」
中央商店街のどこでブリジットに声をかけても良かったのだが、彼女に、サイラスが、二人を追いかけ回したり、待ち伏せしたりしているように思われることは避けたかった。
ブレンダンにこれ以上危険人物視されれば、子爵の「サロモン・ベネット」に対する印象も、ますます悪くなるかもしれなかった。
書店は、宮廷図書館の司書であるサロモン・ベネットがいても、何の問題もない場所だった。
様々な書物に目をとめながら、二人が来るまでじっくり待つこともできた。
案の定、ブリジットに偶然の出会いを疑う様子はなく、サイラスは、生意気なブレンダンを少しだけやりこめ、ブリジットの真意を知ることもできた。
「ようやくレディ・ブリジットも、わたしと同じ方向を向いてくれたようだ。今日、おまえが届けに行ってくれたレイノ語の古語辞典を受け取れば、彼女は、わたしが出先でも彼女のことを気づかい、彼女の仕事や勉学を支えようと心を配っていたと考えるはずだ」
レイノ語の古語辞典は、サイラスが留学中に手に入れたものだ。
サイラスは、鑑定などに出向いたわけではなく、レドモンドの森に出かけていたのだから、出先で彼女のために買い取ってきたというのは嘘である。
しかし、今の状況では、この嘘にこそ価値があった。
「あの古語辞典は、レイヴォーネン王国の古典文学を研究する者にとっては、大変役立つものだ。しかし、かなり深くレイノ語を学んだ者でなければ使いこなすことはできない。
だから、娘たちが高い教養を身につけることに力を注いできたモットレイ子爵は、娘のためにあの古語辞典を手に入れてきた男を、娘の才能を理解し正しく評価している人物だと認めるに違いないのだ。
あの古語辞典は、レディ・ブリジットへの贈り物として、何よりも相応しいものだったとわたしは思っているよ」
サイラスは、あの古語辞典を見せられた子爵が、サロモン・ベネットを再評価し、ブリジットが望むのであれば、宮廷図書館で引き続き働くことを許可するだろうと信じていた。
そして、子爵家の四女・ドローレスの結婚相手探しも、予定通り進めていくことを決心した。
「アラン・バーレルからの呼び出しは、レディ・ドローレスの件だったのだろう?」
「仰るとおりです。バーレル様から、彼女の歌やピアノは、楽士たちの噂通り素晴らしいものなのかと問われました」
昨夜、宮廷楽士による音楽会の準備に携わる中で、グレイアムは、知り合いの楽士の何人かに、サロンで素晴らしいピアノの演奏と歌を披露した、さる子爵令嬢の話をした。もちろん、ドローレス・モットレイのことだ。
三年前に流行病で亡くなった、王立歌劇場の若き歌姫・ヘレーナ・ギーレットに、勝るとも劣らぬ歌唱力の持ち主かもしれないと触れ回っておいた。
どうやら、その噂話は、早くもバーレルの耳に届いたようだ。
グレイアムは、バーレルの前で、たまたま手伝いに行ったサロンで聞いた彼女の演奏や歌唱を褒め称えた。
すると、そのようなご令嬢なら、毎週金曜日に開かれる、遠縁のシェリダン伯爵夫人の音楽サロンに招待したいとバーレルは言い出した。
グレイアムの狙い通りになった。
グレイアムは、バーレルが、王妃の誕生日を祝う宴で、その日のために用意した歌曲を歌う歌い手を探しているということを聞いていた。
今年十七歳になる、モットレイ子爵家の四女・ドローレスは、幼い頃から音楽の才を発揮し、知り合いや縁者のサロンでピアノや歌を披露してきた。
しかし、貴族の娘であるが故に、歌手を職業とすることは許されず、あくまで嗜みの一つとして、ひっそりと音楽に関わってきた。
新曲の歌い手を求めていたバーレルが、彼女に興味を持ったのは間違いなかった。
「早ければ、来週の金曜日に開かれるサロンに招かれることになりましょう」
「これで、次の金曜日は、子爵夫人とレディ・ドローレス、そして、おそらくレディ・エリノーラも、シェリダン伯爵夫人のサロンへ出かけることになるだろうな」
アラン・バーレルは、二十七歳だ。
人気の宮廷作曲家であり、いずれは、王立歌劇場の総監督になることも決まっている。
順風満帆のように見えるが、彼は今悩みを抱えていた。
「ヘレーナ・ギーレット嬢は、バーレル様の幼なじみでもあったそうです。二人が、恋人関係にあったと噂する者もおります。どちらにしても、大切な仕事上のパートナーであった彼女を失い、以前に比べ、バーレル様の作曲へ情熱は冷めつつあるとも言われています」
「だからこそ、二人を引き合わせるんだよ! 上手くいけば、母上の誕生日を祝う宴で、バーレルの作った歌曲をレディ・ドローレスが歌い上げてくれることになるはずさ! そして、二人は大きな成功体験を共有することになる!」
十歳という年の差はあるが、この二人もまた、一緒に同じ方向を見つめられる間柄になれるのかもしれないな――と、グレイアムは思った。
明るく気楽なお調子者のようでいて、意外に深いことまで考えているらしいサイラスという人間を、グレイアムは、ますます好ましく思うようになっていた。
(どこへ行こうが、どんな立場になろうが、わたしにとってサイラス様は、生涯かけてお仕えしたいお方だ……。そのためには……)




