<表のおはなし>②
朝の身支度をすませ、ブリジットが居間へやって来ると、室内にはほのかに花の香りが漂っていた。
溢れるほどにたくさんの花を挿した大きな花瓶が、居間の小テーブルの上に載せられていた。
「おはようございます、ブリジット様。花瓶のお花は、ベネット様からのいただきものですよ。夕べ遅く使いの方が、『ブリジット様へ』と言って届けに来られたそうです」
朝食の準備のために居間へ入ってきたエルシーが、嬉しそうに言った。
「まあ、ベネット様がわたしに……。こんなにたくさんの花を……。ずいぶん散財させてしまったわね」
「ブリジット様の心をお慰めし、良い夢を見せたいと考えてお届けくださったようですが、一番良い夢を見られたのは、花を買ってもらえた花売りでしょうね」
「フフフ……、確かにそうかもしれないわね!」
二人が花の向きなどを直しながら笑い合っていると、その笑い声に誘われるようにブレンダンが姿を現した。
「おはようございます、ブリジット姉様! おはよう、エルシー! 何だか、朝から楽しそうですね?」
「おはよう、ブレンダン!」
「おはようございます、ブレンダン様」
二人の笑顔に思わず笑顔を返したブレンダンだったが、二人が手を伸ばしている花瓶に目をやると途端に表情を曇らせた。
「姉様もエルシーも……、そんな花、大事に扱う必要はないですよ!」
「まあ、ブレンダン、何てことを言うの……。これは、わたしを気づかって、わざわざベネット様が届けてくださったお花なのよ」
「人の屋敷を訪ねるのが憚られるような時刻になって、慌てて花売りから買い求めた売れ残りの花を届けに来たのですよ。実のない男が、やりそうなことです。姉様が、ありがたがることはありません」
「そんな――」
吐き捨てるように言い切ったブレンダンに、何を言うべきかブリジットが迷っていると、玄関の扉を叩く音がした。
早朝の来客に、バーナビーが急いで応対に向かった。
しばらくすると、愛らしいブルーベルの花束と二通の書状を持って、バーナビーが居間にやって来た。
「玄関に、宮廷図書館の使いの方が来ております。ベネット様から、ブリジット様への花束とお手紙、それから旦那様への書状を届けるよう命じられたとのことです」
「こんな朝早くに、またベネット様から?」
「はい。ブリジット様からお返事をいただきたいとのことで、使いの方は玄関の外で待っております。今ここで、手紙に目を通していただけますか?」
「わかったわ!」
ブリジットは、急いで封を切り、手紙に目を通した。
見慣れた美しい手跡は、まちがいなくサロモン・ベネットのものだった。
手紙には、昨日の不在についての謝罪、次回の訪問日の承諾等が、丁寧に綴られていた。
そして、最後に、「よろしければ、きちんと会ってお詫びをしたいので、今日の午後、宮廷図書館へお越しいただけないでしょうか?」と書かれていた。
ブリジットは、手紙を折り畳んで封筒に戻すと、少し早足になって玄関に向かった。
彼女の横で、こっそり手紙を盗み見ていたブレンダンが、その後に続いた。
玄関の外では、使いの男が待っていた。
顔を隠すように前髪を垂らし、帽子のつばを下ろしうつむいていた。
ブレンダンが小さな声で、「今日もこいつか!」とつぶやいた。
ブリジットは、ブレンダンを軽く睨んだ後、使いの男をねぎらうように、優しく微笑みかけながら言った。
「お使いご苦労様でした。美しいお花と丁寧なお手紙、確かに受け取りました。お気にかけていただき嬉しゅうございます。ベネット様によろしくお伝えください。それで、本日の予定なのですが――」
今のところ午後の予定はないので、父の許しがあれば伺える――、と言おうとしたブリジットを押しのけるようにして前に出たブレンダンが、不機嫌さを隠すことなく使いの男に告げた。
「本日の午後は、従姉はわたしと出かけることになっておりますので、宮廷図書館に伺うことはできません!」
「ちょっと……、ブレンダン……」
「姉様! 久しぶりに王都に出てきたのだから、買い物にでも行きましょうと言ってくださっていたではないですか! わたしは、楽しみにしていたのですよ!」
急に子供染みた様子でごね始めたブレンダンを人に見せるのが気恥ずかしくて、ブリジットは、午後の訪問を丁寧に断ると、早々に使いの男を帰すことにした。
去り際に、使いの男が忍び笑いをもらしたような気がしたが、ブリジットの思い違いだったかもしれない――。
*
使いの男が立ち去った後、ブリジットが子爵の書斎へ行ってみると、ちょうど、子爵がベネットからの書状に目を通しているところだった。
子爵は、夕べと同様、険しい表情をしてはいたが、サロモン・ベネットの謝罪の気持ちは素直に受け止めることができたようで、後ほど返書をしたためると言った。
書斎の外では、ブレンダンが、にこにこしながらブリジットを待っていた。
「これから、叔父様に外出の許可をいただいてきます。寄宿学校への入学に備えて、いくつか買いそろえておきたいものがあるのです。選んでもらえますよね?」
「ずるいわよ、ブレンダン! わたしが、嘘つきになるのを嫌がることを知っていて、使いの人にあんな風に言ったのでしょう? もう、一緒に出かけないわけに行かないじゃないの――。いいわ、午後は一緒に出かけましょう!」
「ありがとう、姉様!」
昨晩よりも、さらに親密な感じで、頬をすり寄せてきたブレンダンの態度に、ブリジットは少しだけ戸惑いを感じていた。
*
「じゃあ、最後は書店に寄りましょう。レイノ語は必須科目でしょうから、長く使えるように良い辞書を買っておいた方がいいと思うわ」
ブレンダンを引き連れ、ブリジットは王都一古い書店へ入った。
付き添ってきていたエルシーは、荷物が持ちきれなくなりそうなので、馬車だまりで待つ子爵家の馬車に置きに行っている。
店内には、びっしりと書物が収められた高い書架が、迷路のように並んでいた。
この店をたびたび訪れているブリジットは、迷うことなく外国語の辞書の棚へたどり着くことができた。
そして、そこに見慣れた立ち姿を発見した。
「あら? もしかして、ベネット様ですか?」
サロモン・ベネットは、手にした本を難しい顔で眺めていた。
しかし、目線を上げ、声をかけたのがブリジットだとわかると、たちまちいつもの優しげな笑顔になった。
「レディ・ブリジット! どうしてここに? ああ、従弟の坊やのお買い物に付き合うことになったのでしたっけね?」
「坊や」という言葉が妙に強調されたような気がして、ブレンダンは、お辞儀をしながらも、険しい目つきでサロモン・ベネットを見つめていた。
ブリジットは、そんなことには気づかず、書物に詳しいサロモン・ベネットに、ブレンダンには、どのような辞書を買い与えるべきかを尋ねていた。
二人は、様々な辞書を手に取り読み比べながら、取り上げられている用例などについて夢中で論じていた。
ようやく辞書を選び終えると、ブリジットは、それを持って店主のところへ行った。
ぼんやりと立ち尽くし、その様子を眺めていたブレンダンに、サロモン・ベネットが声をかけた。
「すまなかったね、ブレンダン君。つい、話に夢中になって、君の存在を忘れてしまっていた――。レディ・ブリジットのレイノ語に関する深い見識には、いつも驚かされる。そして、感動させられる――。
君も、寄宿学校で三年間しっかり学ぶことだ。そうでなければ、とても彼女とレイノ語について、対等に話をできるようにはなれないからね」
サロモン・ベネットは、自分がブレンダンと違って、すでにブリジットとそういう会話ができる立場であることを、暗に彼に伝えたつもりだった。
彼の話に、うつろな目でうなずく少年は、もはや彼の競争相手ではなかった。
ようやく書店にやって来たエルシーが、辞書の支払いを済ませると、ブリジットは、ブレンダンとエルシーを先に馬車だまりへ行かせた。
ブリジットは、書店の片隅でサロモン・ベネットに向き合うと、彼に自分の気持ちをはっきりと伝えた。
「たくさんのお花をお届けくださり、ありがとうございました。でも、もうそんなに気になさらないでください。ベネット様のお気持ちは、書状で十分父にも伝わったと思いますし、そもそもわたしはあなたに謝罪を求めたりはしていません」
「レディ・ブリジット、本当ですか?」
「ええ。翻訳のお手伝いは、今ではわたしにとっても、夢を叶えるための大切な仕事になりました。ですから、これからも今まで通り、宮廷図書館へ通わせてください。
来週の金曜日もいつもの時刻に伺うつもりでおります。クラリッサは父と外出しますが、母も姉も下の妹たちも家におりますので、エルシーに付き添ってもらうことができます」
「ありがとうございます! あなたの寛大なお心に感謝します、レディ!」
丁寧なお辞儀をした後、サロモン・ベネットは、馬車だまりまでブリジットを送った。
ブリジットは、自分を乗せた子爵家の馬車が馬車だまりから出て行くのをじっと見送る彼に、車窓から小さく手を振った。
*
ブリジットが家に帰ると、またまたサロモン・ベネットから花束が届いていた。
薄紅色のバラの花束には、メッセージカードと一冊の本が添えられていた。
それは、彼女がずっと前から探していた、レイノ語の古語辞典だった。
<ブリジット嬢へ 昨日尋ねたお屋敷で、この本を見つけました。
あなたのお役に立つのではないかと思い、持ち主にお願いし、わたしが自分で買い取ってきました。
どうぞ、お収めください。 サロモン・ベネットより>
遅くなり、そして、長くなってしまいました……。
今年最後の投稿です。どうぞ、良いお年をお迎えください。
そして、来年もよろしくお願いいたします!




