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<裏のおはなし>①

「ああ、なんて爽やかな朝なんだ! 何もかもがきらきらと輝いて見える!」


 サイラスは、晴れやかな気持ちで朝を迎えた。

 昨日は、多忙な一日を過ごした上、深夜までブリジットの手紙や下訳を読み返し、眠りについたのは日付が変わった頃だったが、心が満たされていたせいか寝覚めは悪くなかった。


 窓を開け、花の香りを含んだ朝の風に吹かれていると、扉を叩く音が聞こえ、耳慣れた声が彼に呼びかけた。


「おはようございます、サイラス様!」

「おう、グレイアムか! 今朝は、ずいぶんと早いな? 入ってくれ」


 グレイアムは、侍従のお仕着せをぱりっと着こなし、隙のない動きで扉を開け閉めすると、サイラスの前で丁寧に頭を下げた。

 彼とて、夕べは宮廷楽士による音楽会の片付けを遅くまで手伝い、その後、いつものようにこっそり町へ出かけていたのだから、そんなに寝てはいなかった。


 それでも、早朝からこのように泰然としていられるのは、王宮の侍従のために典薬部で処方されている秘薬のおかげである。

 実は夕べも、それなりの量の酒を口にしていたが、そのような様子はおくびにも出さず、背筋を伸ばしサイラスの前に立っていた。


「それで、レディ・ドローレスに関わる、有益な情報を集めることはできたのか? よければここで、一緒に朝食を取りながら話を聞かせてくれ」

「はい、それはもちろん……。いや、それどころではないのです、サイラス様!のんびりと朝食を召し上がっている場合ではありません!」


 *


 グレイアムは、昨晩、町の居酒屋でとんでもない話を耳にした。


 彼が出向いたのは、モットレイ家の御者がよく立ち寄る店だった。

 レドモンドの森への送り迎えを無事に終え、子爵から特別な心付けを渡された御者は、いつになく饒舌だった。


「レドモンドの森で良い出会いが会ったとかで、旦那様は、たいそうご機嫌だった。小耳にはさんだところでは、さる辺境伯家とちょっとしたご縁ができたらしかったよ。ご一緒だった三番目のお嬢様も嬉しそうにしていたから、もしかするとお相手に相応しい方でも見つかったのかもしれんな」


 少し離れた席で聞き耳を立てていたグレイアムは、計画が上手く進んでいるらしいことがわかり大いに安堵した。

 辺境伯家から、その後手紙が届き、子爵やドローレスが屋敷に招待され、子爵家が喜びに包まれた様子も知ることができた。

 しかし、ほっとしたのも束の間、御者はとんでもないことを言い出した。


「まあ、いいこともあれば悪いこともある。宮廷図書館で、名誉あるお仕事をお手伝いしていたはずの二番目のお嬢様だが、どうやら、不誠実な男に振り回されていたらしい。あれほど喜んでいらした旦那様が、今はひどく沈んでいらっしゃる。近々宮廷図書館に、正式に抗議することになるだろうな!」


 ―― ガタンッ!


 大きな音を立てて立ち上がったグレイアムに、店中の視線が集まった。

 平生へいぜいなら、できるだけ注目を集めないように、行動には人一倍気を使っているグレイアムだったが、そんなことを考える余裕もなかった。

 急いで勘定を済ませ、慌ただしく店を出た。


(サイラス様は、ブリジット嬢の帰宅に間に合わなかったのか?! だとしても、不在を詫びて次回の訪問をこいねがう手紙を届ければ、それほどの怒りを買うはずはないのだが……。

おそらく、彼女が書いた『恋愛詩集』の下訳でも、うっとりしながら読んでいて、そんなことには思い至らなかったのだろうな……。

やれやれ、万事上手く運んでいたのに、何やら面倒なことになってきたぞ!)


 グレイアムは、王宮へは戻らず、モットレイ子爵邸のすぐ近くにある居酒屋へ向かった。

 そこは、子爵家の料理人が、毎日のように一盃引っかけに来る店で、グレイアムはすでにそこでも馴染みとなっていた。

 その店では、最近働き始めた宮廷図書館の雑用係と称している。


 グレイアムが、店の扉を開けて顔をのぞかせると、目ざとく見つけた料理人がすぐに声をかけてきた。

 カウンターには小皿が積まれ、料理人は、かなりできあがっていた。


「おう、あんた! 確か、宮廷図書館で働いているって言ってたよな?」

「はあ、雑用係をしております……」

「じゃあ、知ってるよな? ええっと、サロモン……、うん、サロモン・ベネットっていう司書のこと……」


 赤ら顔の料理人は、グレイアムの袖を掴み、となりの椅子に座らせた。

 すぐにグレイアムの酒を頼んでくれたが、完全に目が据わっていた。


「そいつときたら上手いことを言って、有能なうちのお嬢様に仕事を押しつけ、自分の手柄にしてたって言うじゃないか! おまけに、お嬢様を呼びつけておきながら、お偉い方の屋敷から声がかかったら、さっさとそっちへ出かけちまったって話だ。許せねえ野郎だ! なあ、いったいどういう男だよ?!」


 こんなところで、酒を飲んでいる場合ではなかった!

 料理人に意味なく謝りながら、彼の飲み代もすべて支払い、大急ぎでグレイアムは店を出た。

 通りかかった酔客相手の花売りから、すべての花を買い取り大きな花束にさせると、それを抱えてモットレイ子爵家の通用口の扉を叩いた。


「宮廷図書館からの使いでございます。ようやく、ベネット司書がお戻りになりました。せめてものお詫びとして、お嬢様のお心を慰める花を贈りたいと申され、わたくしがお届けに上がりました。どうぞ、お受け取りください」


 応対に出たのは従僕のバーナビーだったが、夜遅くの客をいぶかしんだブレンダンも手燭を持って姿を現した。


(この少年は、確か――。子爵の弟の息子で、ブレンダンとかいう名だったな。レドモンドの森の様子を下調べに行った折、子爵の弟が運営する厩舎を覗いて見たが、この少年が馬の調教をしていたっけ――)


 グレイアムは、顔を見られないように前髪を下げ、帽子のつばを少し下ろした。そして、それとなく立ち位置をずらし、灯りの陰になる場所へ移動した。


「このような遅い時刻に贈り物とは! 従姉あねは、たいそう心を痛めて帰宅し、今し方ようやく落ち着き寝所へ向かいました。ベネット様から届け物があったことを知ったら、また心を乱してしまうことでしょう。

いちおうお預かりいたしますが、今宵はもう本人へ手渡すつもりはありません。礼状などは明日以降となりますことを、ベネット様にお伝えください」

「承知いたしました――」


 グレイアムが、花束を彼に渡し辞去しようとすると、とどめを刺すようにブレンダンが言った。


「わたしは、学業を修めたのちには従姉と結婚し、子爵家の跡取りとしての準備を始めるつもりでおります。ですから、子爵家や従姉に対する非礼な行いを看過することはできません。そのことも、ベネット様にはっきりお伝えくださいますように! では、失礼いたします」


 グレイアムの目の前で、何もかもを拒否するように扉がきっちり締められた。

 この様子では、花束もすぐに屑入れに放り込まれてしまうかもしれなかった。


(ブリジット嬢と結婚だと?! いったい、あの少年はいくつだ?! 大事なことは全て調べ上げたつもりでいたが、とんでもない見落としをしていたのかもしれないぞ! これは大変だ! 急いで次の手を考えなければ!)


 辻馬車を拾い、王宮の近くで降りたグレイアムは、門番への挨拶もそこそこに大急ぎで侍従部屋に戻った。


 *


「――というわけで、われわれは、すぐにも動き出さねばならないのです!」

「その……ブレンダンというのは、今年いくつだ?」

「今年15歳です。来年には、寄宿学校に入ることが決まっています」

「なんだ、ひよっこじゃないか! いろいろと夢見がちな年頃だ。わたしにも覚えがあるよ」

「ブレンダンのことはともかく、モットレイ子爵の怒りを静め、あなたへの不信感を払拭するための方策を急いで考えねばなりません」


 グレイアムの話を聞いても、サイラスは別段慌てることはなかった。

 グレイアムとしては、事態の深刻さに気づき、サイラスが多少は動揺するかと思っていたのだが、彼は妙に落ち着いていた。

 言葉に詰まり黙って考えを巡らすグレイアムを、愉快そうに見つめながらサイラスが言った。


「グレイアム、わたしだって何も考えていないわけではない。サロモン・ベネットが誠実な人物で、決してブリジット嬢や子爵家をないがしろにはしていないことを、はっきりと示してみせるよ。そのためには――」


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