<裏のおはなし>①
「帰国を祝う宴?! 戻ってから、まだ十日もたっていないのに?!」
「これでも、できる限り先に延ばしていただいたのです! 陛下も王妃様も、帰国の二日後には宴を開きたいと仰っていました」
「六年間も国外に出されていたのだぞ。留学と言えば聞こえはいいが、要するに人質のようなものだ。我が子の苦労をわかっているなら、ひと月ぐらいのんびりさせてくれてもいいのではないか?」
「とにかく、一週間後の夜、大広間で宴が催されます。主役として、皆様のご期待に応えられるよう十分に準備をしておいてください、では!」
捨て台詞のようにそれだけ言い残し、近侍のグレイアムは、サイラスの部屋を出て行った。去り際に、きちんとお辞儀だけはしていったが――。
一つ年上の乳兄弟とはいえ、グレイアムは、あくまでサイラスの臣下である。
これは、厳格な老侍従から、不遜であると言われてもしかたがない態度だ。
しかし、サイラスには、グレイアムを咎める気はさらさらない。
六年にも及んだサイラスの留学に付き添い、母国との連絡役やサイラスの護衛を務めてくれたグレイアムには、いくら感謝してもしきれない。
少しぐらい横柄な物言いをされても、自分を思ってのことだと素直に受け止められるほど、サイラスはグレイアムを信頼している。
(今度の宴は、わたしの帰国祝いであると同時に、王子妃候補選びの場になると噂されている。しばらくのんびりさせて欲しいというのが本音だが、早めに相手を決めて、グレイアムを守り役から解放してやる必要はあるな――)
そもそも、サイラスがこれほどの長きにわたり国外へ出されたのは、二つ上の王太子、ロードリックの立場を盤石にするためであった。
サイラスが留学している間に、ロードリックは、王家の古い親戚筋にあたるイゾーラ公国の公女を妃に迎えた。
二人の間には、王子と王女が誕生し、仲睦まじく暮らしている。
(あわよくば、王太子をわたしにすげ替え、王宮における発言力を高めようと目論んでいた連中は、六年の間に一掃されたようだし――。
用済みとなった第二王子は、妃を娶って、さっさと離宮で若隠居暮らしを決め込むのが、世のため人のためというものだよな!)
自嘲気味に笑ったあと、真顔に戻ってサイラスは考えた。
(しかしなあ……。この先の暮らしを考えれば、妃は誰でもいいというわけにはいかないのだよな……)
この国の王族には、離婚や重婚が禁じられている。
妃を迎えれば、どちらかが亡くなるまで相手が唯一の番となる。
芸術や文学の話ができて、旅や野遊びなどが好きで、勉学への関心が高く――と、上げればきりがないのだが、とにかく辺境の離宮暮らしを退屈せずに過ごせる相手をサイラスは求めていた。
(そんな娘は、この国にいるのだろうか? いたとしても、彼女は、用済みのわたしを慕い、不便な辺境まで付いてきてくれるだろうか?)
サイラスは、この六年間の留学中に、驚くべき体験をいくつもしていた。
王国と縁を結ぶためか、あるいは弱みを握って脅迫するためか、どこに行ってもサイラスの寝所には女性が送り込まれてきた。
たいていはグレイアムが対処し、こっそりお引き上げいただいていたが、だんだん面倒になった。
留学の終わり頃には、サイラスとグレイアムが、大きな声では言えない間柄であるという噂をわざと流し、予防線を張ることにした。
それはそれで、好奇の目で見られることにはなったが、二人の人柄ゆえ、勉学や交流に支障が生じることはなかった。
二人は、本国にまで噂が広がっていたらどうしようかと、ハラハラしながら帰国したのだが、サイラスの国民人気は高く、そうした噂はここでは無視されたようだった。
これで、王子妃候補が決まれば、噂は完全に払拭されると思われた。
(グレイアムの名誉のためにも、早く理想の相手を見つけて、王子妃候補になることを承知してもらわなくては! ここが踏ん張りどころだぞ、サイラス!)
サイラスは、両手で頬をパンパンと叩くと、気合いを入れて机に向かった。
机の上には、帰国を祝う手紙やら贈り物やらが山と積まれていた。
見ただけでうんざりしたが、グレイアムの話では、この何倍もの量の手紙や贈り物が、侍従部屋の一角を占領しているらしい。
サイラスは、覚悟を決めた。
祝いの宴までに、返書や返礼をきちんと終わらせ、礼儀をわきまえた大人の王子であることを、人々に印象づけなくてはならない。
「よし! 仕立屋が来るまでに、ここにある分だけでも片付けるぞ!」
サイラスは、様々な意匠を凝らした煌びやかな封筒の山に、果敢に手を伸ばした。
*
「はい、これで最後です! ご署名をお願いいたします。封筒に収め封をしたら、本日の作業は終了ということにいたしましょう」
結局、返書は、全部グレイアムが書くことになった。
サイラスが文面をおおざっぱに伝え、グレイアムがそれをもとに返書を書く。
書き上がった返書をサイラスが確認し、署名を加える。
20通を超える返書を、二人はようやく書き終えようとしていた。
「わたしが子どもの頃の想い出から始まり、10枚もの紙にびっしりとわたしへの思いを綴ってきたのには驚いたよ!」
「ラトリッジ侯爵家のご令嬢、ビアトリス様ですね。薄茶色の封筒がぷっくり膨らんでおりまして、干し肉でも入っているのかと思いました」
「ほかにも、やたらと長い手紙が幾通もあって、読むだけで精根尽き果ててしまった……。まあ、書く方も大変だっただろうが……」
「お疲れなのはわかりました。仕立屋が試着の具合を確かめている間、ずっと目を閉じていらして、いつ倒れるか気が気ではなかったです」
サイラスの様子を見かねて、グレイアムから返書の分業を申し出た。
王宮の祐筆ですら感心するほど、グレイアムの手跡は美しい。
サイラスが自分で書くよりも、よほど読みやすい手紙を先方は受け取ることになる。
返書を収めた大きな文箱を抱えて、グレイアムは部屋を出て行った。
今度は、退出前にゆっくり丁寧にお辞儀をした。
明日の昼までには、全ての返書が相手方に届けられることだろう。
そろそろ夕食の時刻である。
サイラスは大きく伸びをすると、机上を手早く片付けた。
明日も、同じような一日になると思われた。
しかし、サイラスの心は不思議と晴れやかだった。
(お世辞ばかりのくだらない手紙が多かったが、文学や芸術に触れた興味深い内容の手紙もあった。宴の招待客の中にも、もしかしたら、わたしが理想とするような女性がいるかもしれない――。待つ間が花と言うが、期待をしつつ宴の日を迎えることにしよう!)