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<表のおはなし>③

 モットレイ子爵とクラリッサは、子爵の弟が運営する厩舎で、馬車から馬に乗り換えた。御者は、彼らが戻るまでここで待つことになっている。

 クラリッサの従弟のブレンダンが、荷物の積み替えを手伝った。


「クラリッサ姉様、ブリジット姉様はお元気ですか?」

「ええ。元気にしているわ。最近、宮廷図書館で翻訳のお手伝いをすることになったの。今日も、図書館へ出かけているわ」

「それは、素晴らしい! 外国語が得意な姉様に、ぴったりのお仕事ですね。でも、家庭教師だけでもお忙しいのに、宮廷図書館にもお勤めとは――。それでは、とても、わたしの勉強を見ていただくお暇はありませんね?」


 ブレンダンは、少しがっかりした顔になった。

 彼は、幼い頃から、いずれは子爵家を継ぐことになるのだからと、定期的にモットレイ家の領地屋敷や王都屋敷に呼ばれては、子爵から特別な教育を受けてきた。

 外国語は、ブリジットから教わっていたが、彼女が侯爵家の家庭教師を始めてからは、なかなかその機会が得られずにいた。


「ブリジットは、レイノ語の基礎的なことは教え終わったと言っていたよ。来年には、ブレンダンも寄宿学校に入ることだし、今さら、ブリジットに勉強を見てもらう必要もないだろう?」


 子爵にそう言われて、ブレンダンは、「それはそうですけど……」と、口を濁した。そんな従弟を、クラリッサはほほ笑ましい気持ちで見つめていた。


(ブレンダンは、小さな頃からずっと、ブリジット姉様を慕い続けているのよね。姉様は、いつまでたっても小さな弟のようにしか思っていないようだけど、ブレンダンも今年で十五歳――。

少しずつ自分の気持ちの意味に、気づき始めているのかもしれないわ。その気持ちは、なかなか姉様には伝わりそうにはないけれども――)


 準備が整い、馬上の人となった子爵とクラリッサは、ブレンダンに別れを告げてレドモンドの森へ出発した。

 出しなに、ブレンダンから、


「今日は、王家の方がお忍びで森に来ているようです。乗馬道は、ところどころ通れなくなっているところがあるかもしれないので、気をつけて行ってください」


と言われた。

 朝早く、近くにある王家の専用厩舎に、王宮の馬車が着くのを見たと言う。

 ブレンダンによると、王家や上位貴族の人々の中には、レドモンドの森を密談や密会の場として使う者もいるらしい。

 王家の権限で、乗馬道を塞いでしまうこともあるようだ。


 子爵とクラリッサが、新緑の森の中をゆっくりと進んでいくと、頬被りをした森番風の人物が、道に綱を張っていた。

 男は、無愛想に黙りこくったまま分かれ道の方を指さし、そこを通って馬車道へ出るよう指示してきた。

 二人は、指示に従って坂を下り、森の縁に沿って作られた広い馬車道を進んで行くことにした。


 しばらく行くと、前方に一台の馬車が止まっているのが見えた。

 侍女と思しき若い女が、馬車から降りて、きょろきょろしている。

 不審に思ったクラリッサは、素早く自分の馬の腹を押し、馬車の横へと走らせた。


「どうかさなったのですか?」


 声をかけてきたのが女性だとわかると、女はほっとした顔になって、クラリッサの問いかけに答えた。


「実は、わたくしどもの御者が腹痛を訴えまして、馬車を止め、用を足しに行ってしまいました。よほど具合が悪いのか、なかなか帰ってこなくて――。難儀していたところでございます」

「それは、お困りですね。一緒にお探ししましょうか?」

「あ、いえ、それよりも――。森を抜けたところにある池の畔に、人をお待たせしておりまして、お嬢様を早くそこへお連れしなければならないのですが――」


 クラリッサが、馬車の窓に目をやると、十代前半と思われる少女が、不安そうな顔でこちらを見ていた。

 クラリッサは、しばし迷ったが、馬車の御者を引き受けようと申し出た。

 子爵に自分の馬を引いてきてくれるように頼み、御者席に座った。

 そして、慣れた手綱さばきで、馬車を動かし始めた。


 *


 池の畔には、背の高い男が一人立っていた。

 近くの木立に馬を繋ぎ、馬車の到着を待っていたようだ。

 クラリッサが、御者を務めていたので、男は少し驚いた顔をしたが、彼女が手際よく馬を止め、少女の手を引き馬車から降ろすと笑顔を見せた。


「お兄様! 遅れて申しわけありません! あら、あのサイ……、いえ、あの、あのお方は、どこにいらっしゃいますの?」

「二人で朝から乗馬を楽しみ、先ほどまでここで休んでいたのだが、急に使いの者がやって来て、王宮……、いや、屋敷へ帰ってしまったのだ。おまえに会えないことを残念がっていたよ」

「まあ、そうでしたの、しばらくぶりにお目にかかれるのを楽しみにしておりましたのに、わたしも残念ですわ……」


 男は、自分がクラリッサを放っていたことに気づき、慌てて名を名乗った。


「レディ、何があったのかわかりませんが、ここまで馬車を御していただき、まことにありがとうございました。わたしは、パトリック・ラーウィルと申します。こちらは、妹のフィオーナです」


 ラーウィル家と言えば、国境の警護に当たる名門辺境伯家だ。

 クラリッサは、内心ドキドキしながらも、失礼のない態度を心がけようと思った。

 二人の丁寧なお辞儀に、自分は、よりいっそう丁寧なお辞儀を返してから、心を落ち着けて名乗った。


「わたしは、クラリッサ・モットレイと申します。モットレイ子爵家の三女でございます。父と乗馬を楽しむために、こちらへ来たのですが、フィオーナ様の馬車がお困りなのに行き会い、御者を務めさせていただきました。ここまで無事にお連れできて、ほっといたしました」


 侍女から、事の次第を説明されたパトリックは、クラリッサにたいそう感謝した。そして、彼女に妹を頼むと、すぐさま馬に跨がり御者を探しに行った。

 ほどなく彼は、子爵と共に御者を馬に乗せて戻ってきた。


 二組は、池の畔で持ってきた昼食を一緒にとった。

 日だまりに花開いていた早咲きのブルーベルを愛でながら、目的の人物には会えなかったが、これはこれで良かったとフィオーナは喜んだ。


 午後の時間は、子爵とパトリックは釣りをし、クラリッサは少し離れた場所でフィオーナに乗馬を教えて過ごした。

 パトリックは、釣りの最中も、親しげに笑い合うクラリッサとフィオーナにときおり目をやり、その精悍な顔を知らず知らずのうちにほころばせていた。


 やがて、木陰で休ませていた御者のハドリーも元気になったので、風が冷たくなる前に帰路に着こうということになった。

 帰りしなに、フィオーナにせつかれながら、パトリックは、少し恥ずかしそうに子爵に声をかけた。


「本日は、まことにありがとうございました。帰りましたら今日のことを父にも伝え、近いうちにお二人をぜひ我が屋敷にお招きしたいと思います」

「いやいや、それには及びません。当然のことをいたしたまでですから――」

「そう仰らずに――。実は、フィオーナが、引き続きクラリッサ嬢から乗馬の手ほどきを受けたいと申しておりまして――」


 パトリックの後ろに隠れるように立っているフィオーナが、ほんのり頬を染めながらクラリッサを見つめていた。

 子爵は、一瞬戸惑った顔をしたが、上位貴族からの要請には素直に従うほうがよいだろうと考えた。


「お申し出ありがとうございます。娘のような若輩者が承って良いお役目なのか正直不安はございますが、お望みとあればいつでもお召しください」


(フィオーナ様やパトリック様に、またお目にかかれる! おまけに、フィオーナ様の乗馬の指南役まで仰せつかるなんて! なんと幸せなことかしら――)


 自分にもブリジットのように、人に教えられるものがあったのだという喜びと、上位貴族でありながら、おおらかで気さくな辺境伯家の人々に自分の存在を認めてもらえたという嬉しさで、クラリッサの胸は高鳴った。


 モットレイ父娘は、王宮の厩舎に馬を返しに行くというパトリックやフィオーナを乗せた馬車と、森の入り口で別れた。

 別れの言葉を口にする彼女に向けられた、パトリックの碧玉のような瞳に秘められた熱い思いにクラリッサが気づくのは、ほんの少し先の話である。

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