<表のおはなし>①
「ああ、どきどきしてきたわ! 王宮の大広間へ入るのは、何年ぶりかしら?」
「お姉様! 今日の目的は、お相手探しなのですから、美しいタペストリーや天井画ばかり見つめて、うっとりしていてはだめですよ!」
「ねぇ、やっぱりこのドレス、丈が少し短い気がするのだけど?」
「足元の方を見られないように、お話し相手にはぴったり引っ付いて、その方のお顔をじっと見つめていることね!」
「何だか喉がおかしいの。王子様の前で上手く歌えるかしら?」
「心配いらないわ! どうせ、おしゃべりがうるさくて、王子様のお耳にまで、あなたの歌声は届かないはずだから!」
「ブリジット姉様! この桃色のリボン、ちょっと子どもっぽくないかしら?」
「気にしなくていいわよ! 子どもには、子どもっぽいものが似合うのよ!」
ここは、モットレイ子爵家の王都屋敷――。
華やかに着飾った五人の娘たちが、小さな玄関にひしめき、王宮で開かれる祝宴に出かけるため、装いの最終確認をしていた。
姉と三人の妹たちを、どうにか納得させて、外で待つ馬車へ送り出したのは、この家の次女のブリジット。
ほつれ毛を手で押さえながら、侍女のエルシーと玄関を出た彼女は、子爵夫妻が待つ馬車に慌ただしく乗り込んだ。
「ご苦労だったね、ブリジット!」
「もしあなたがいなかったら、絶対に遅刻していたと思うわ!」
「お父様もお母様も、お気になさらずに。いつものことですから!」
子爵夫妻からねぎらわれ、ようやく一息ついて自分のドレスを整えたブリジットは、王宮で開かれる今宵の祝宴へ思いを馳せる。
(王子様との出会いなんて、最初から望んでいないわ。大切なのは、お姉様やあの子達に、善良で将来有望な殿方が目をとめてくれるかってことよ――)
先日、ヴェルスコール王国の第二王子サイラスが、六年にわたる留学を終え、ようやく帰国した。
その帰還を祝う盛大な宴が、今宵王宮で開かれるのだ。
「ブリジットは、サイラス様にお目にかかったことはあるのかい?」
「いいえ、残念ながら――。わたしが社交界にデビューしたのは、サイラス様が国を離れられた後でしたから」
「サイラス様はブリジットより一つ上ですけど、あの頃は、まだどこかあどけなさが残る優しげな少年でしたわね」
「ああ、そうだったな。しかし今や、聡明でたくましい青年に成長された。いずれは陛下や王太子殿下をお助けし、国の重責を担う存在になるに違いない。今宵の宴は、王子のお妃候補を選ぶためのものとの噂だが、王子への関心の高さを考えれば、おそらく大変な規模になるだろうね」
モットレイ家のような末端の子爵家に、王宮の宴への招待状が届いたのは、年頃の娘が五人もいるからだ。
王家は、サイラス王子の希望もあって、家柄などにこだわらず、できるだけ広く声を掛けお妃候補を選ぼうとしている。
今宵の宴にも、膨大な数の「良家の子女」が集められた。
「お妃候補を目指してやってくる娘たちを狙って、若い殿方もたくさん集まってくるはずですわ。お姉様や妹たちにも、良いご縁があるといいのだけど」
「おいおい、ブリジット、自分はどうなのだ? 順番でいえば、アデラインの次は、おまえだろう?」
「わたしはいいのです。わたしには職がありますから結婚は急ぎません」
モットレイ子爵家には、家を継げる男児がいない。
ブリジットたちの父である現在のモットレイ子爵が亡くなれば、家はブリジットの従弟にあたるブレンダンが継ぐことになっている。
子爵夫人と娘たちには、それなりの財産が分け与えられるが、失うものはあまりにも大きい。身分も屋敷も領地も、すべて手放すことになるのだ。
(だから何としても、お父様がお元気なうちに、お姉様や妹たちを縁づけてしまわなくてはならないのよ! お母様と二人ならば、遺産とわたしの家庭教師の報酬で、なんとか王都で暮らしていけるはずだわ――)
ブリジットは、幼い頃から勉強好きで、よく本を読んだ。
十八歳まで、通いの家庭教師であるジャスミン・ワイマンから、語学や歴史、そして、初歩的な数学まで教え込まれた。
厳しい先生であったが、ブリジットは感謝している。
ワイマンの指導や助言があったから、彼女は早い時期から家庭教師という職を目指すことができた。
そして、二十一歳になった今、さる侯爵家で通いの家庭教師を務めている。
評判も良く、「次はうちへ」という声もいくつかかかっている。
「まあ、凄い数の馬車!」
「もう少し出発が遅れていたら、とんでもないことになっていたな!」
「早くも、戦いは始まっているということですわね、お父様!」
「ブリジットったら! レディは、そんな言い方をするものではありませんよ!」
王宮前の広場は、次々と到着する馬車でごった返していた。
王宮の侍従たちが、馬車を整理して並ばせ、順番に玄関へ案内している。
先頭の方では、侍従の注意も聞かず、御者同士が先を争いもめている。
「お母様! やはりここは戦場のようですわ! 遠慮をしていては、良い殿方を捕まえることはできませんわよ!」
「また、そんな風に――。下品な娘は嫌われますよ! 貴婦人たる者、淑やかさを忘れてはなりません!」
馬車の扉が開くと、母の言葉を振り切るように、ブリジットは御者に手を取られながら、ひょいっと弾んで石畳へ降り立った。
後ろの馬車からは、姉や妹たちが、宴での出会いに胸を膨らませながら次々と降りてきた。
こうして、子爵夫妻と五人の娘たちは、今宵の煌びやかな男と女の戦場へと足を踏み入れたのだった。
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