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私、実家に帰ります  作者: 梅春
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第三章 私、実家に帰ります

 会社を辞め、引っ越しの準備をしながら、会いたい友達とはお酒やお茶をする。そんな日々を一か月ほど過ごして、雪子は小倉の実家に戻った。

 実家には母、千春が一人で住んでいる。

 母は六十八だが、まだまだ若く元気だ。五十代に間違えられることもあると自慢していた。

 それが言い過ぎではないと思えるほど、千春は若々しかった。

 父は半年前に亡くなった。脳溢血で倒れて、すぐに逝った。

「あまり苦しまんかったから、それだけは良かった」

 母はそればかりを繰り返す。父は八十になったばかりだった。

 もっともっと長生きすると、正直雪子は高を括っていた。

 父も母と同じように十も若く見えたし、大きな病気ひとつしたことがなかったからだ。

 父と雪子は、うまくいっていたとはいえなかった。

 その分の後悔は、母とは共有できないのだった。

 母とやりとりするなかで、雪子はひょっとしたら母も・・・と恐れるようになった。

 雪子は母とはとても仲が良く、失えば父以上にこたえることはわかっていた。

 もしかして母も。

 その不安は雪子の中で消えなかったし、うまくいかない生活にピリオドを打つ十分なきっかけとなった。


 崎本の家の子供は雪子ひとりだった。 

 父と母はものすごく、というか、子供の目から見るとちょっとおかしなほど仲が良かった。

 しかし、幼い子供は自分の家以外の家庭を知らない。

 そんなものかと思っていた。

 友達の家に行くたび、その家の夫婦がよそよそしい気がして、雪子は居心地が悪くなったものだ。

 しかし、年をとるに従って、自分の両親が仲が良すぎることに気づいた。

 父は雪子より母を優先したし、母は「雪子のことは大好きよ。でも、お父さんのほうが好きかなあ」などと言い、雪子を困惑させた。

 雪子は家庭の中での位置取りに悩んだりもしたが、中学に入るころになると、そういったことで悩まなくなった。

 両親より友達との関係が大事だったし、不仲だったり離婚したりする両親より、べったりな両親のほうが手がかからないと思うようになったのだ。

 崎本家はうまく回っていた。

 雲行きが怪しくなったのは、雪子が高校にあがった頃からだ。

 父が急に疎ましく感じるようになったのだ。理由はわからない。

 思春期特有のものだと言われれば、そうに違いないと返しただろう。それぐらい理由がなく、理屈ではなかった。

 そんな雪子を父母は咎めなかった。両親も同じように納得していたようだ。

 母とは相変わらず友達のように仲が良かったし、家庭内で必要なコミュニケーションはとれていた。

 困ったのは、父とは口をきかないまま、雪子が高校三年生を迎えたことだった。

 雪子は学校の成績は悪かった。

 なので、両親は地元の大学でひっかかるところに入れればいいと思っていた。

 しかし、雪子は学校の成績は捨てていたが、予備校に通っていたので受験勉強は抜かりなかった。

 雪子はそこそこの国公立なら地元を離れることも許されるだろうとふんでいた。

 それで神奈川のY市立大に進学したいと申し出た。

 横浜を選んだのは、海と山に囲まれた環境がどこか地元を感じさせるからだった。 

 東京に近いというのも好ましかった。

 東京に住むのは抵抗があるが、遊びに行ける距離に東京があるのはいい。

 雪子は横浜での学生生活を夢見て、勉強を頑張った。

 模試の成績もよく、合格圏をキープしていた。あとは、両親の承諾だけだった。

「だめだ。福岡の大学にしろ」

 まさかの父ブロックがはいった。

 母がいれば、それだけで十分という顔をしてたのに。雪子は反発した。

「あそこに進学したくて頑張ってきたのに」

 母は二人の間で心底困った顔をした。優しいが、こーゆーときには役に立たない。雪子は母にも反発を覚える。

「なんで福岡なの?」

「福岡ならいつでも帰ってこれるだろう。何かあったら、すぐに母さんも行ける」

「何かって、何? いちいち親が来るようなこと、そんなに起こんないわよ」

「とにかく、ダメだ」

 雪子と父の話し合いは平行線のまま、雪子はY市立大学の合格を手にする。

 そうなると、さすがに父は折れた。

 というか、母が説得してくれた。

 雪子は勝った! と思いながら、横浜に出てきた。

 あの頃の自分に言ってやりたい。

 馬鹿が何を調子にのっているんだと。

 横浜に出てきたことが全ての『負け』のはじまりかもしれないのに。

 父とはその後もなんとなく距離が埋まらないままだった。

 父と母は相変わらず仲が良かったし、自分も母とは仲良しだった。

 母がなんとなく二人の仲をつないでくれていたから、帰省のときは仲の良い三人家族を演じられた。

 その演じたままな感じで、誰かが欠けてしまったことに、残された二人は罪悪感を抱いているのだ。

 そして、最終的に自分は地元に戻ってきた。

 嫌いで離れた地ではないから、出戻ってきても思ったより居心地がいい。

 昔の友達も優しい。

 どことなく距離の空いたまま亡くなった父のことは残念だが、明るくおしゃべりな母と一緒に過ごしていると、無駄に終わった東京での生活を思い出すこともない。

 逃げかもしれないが、とりあえず結果の出ないこと、嫌なことから離れられて、雪子はこじんまりとした幸せを感じていた。


「会社、どう?」

 母とスーパーの買い物袋をさげて帰るなんて、何年ぶりだろう。

 帰省のときは、帰宅すれば、いつも料理が用意されていた。 

 一緒に買い物をして、台所に立つのは、本当に久しぶりだった。

「うん。楽しい。みんな口は悪いけど、いい人ばっかりだし」

 二か月働いての正直な感想だ。

 帰省して、二か月ほどぶらぶらした後、派遣として地元ではそこそこ大きな不動産会社に営業事務として入った。

 駅前の開発に参加したりする、地元ではなかなかの会社だった。

 しかし、中に入れば、高齢化もなかなかに進んでいた。そのおかげで、雪子は若い派遣さんとして扱ってもらえた。

「この前、営業の課長と古参の事務の女の人が結構な喧嘩しててびっくりしたけど、二三日経ったら、一緒にお昼に行ってた。ときどき喧嘩しても、みんな仲いいんだって」

「ほうかねえ。それは良かったねえ」

「悪口とか噂話ももちろんあるけど、東京みたいな陰険な、ジメジメしたいじめとかないし、働きやすいよ」

「いじめられとったの?」

「ううん。ちょっと揉めたりはもちろんあったけど」

 高齢の親に、陰険な村八分にあった話など、したくはない。

「だったらいいけど」

 父と母は私がずっと最初の就職先に勤め続けていたと思っている。

 両親に心配をかけたくなかったし、心配の必要のないいい子のままでいたかったから、就職先が倒産したことは内緒にしていた。

 もっといえば、結婚もせず孫の顔も見せてやってないという負い目があったから、さらなる不安要素を平和な実家にぶち込みたくなかったのだ。

 ほんとのことを言えば、すぐに帰ってこいと言われただろう。

 しかし、東京で職を失い、そこそこに年をとった独身女を地方は持て余す。 

 そんな娘を両親は不憫に思うだろう。そんな思いはさせたくなかったし、そんな娘にもなり下がりたくなかった。

「帰ってきて、どう? 母さんは、うれしいけど」

「私もうれしい。帰ってきて、良かった」

 これはまぎれもない本心だ。思ったより地方は都会の持たざる女を優しく受け入れてくれた。

「ほうかね。じゃあ、いいけど。無理させたんじゃないかって、ちょっと心配やったから」

「そんなことない。ちょうど良かったよ。ちょうど」

 こっちでの生活が心地いいのはありがたいことだが、父の死をきっかけに帰省したせいで、父の死を利用してしまったのでは? という負い目を感じるようにもなった。

「なら、いい」

 キャベツやら玉ねぎやら人参が入ったスーパーのレジ袋が指先に食い込む。

 やはり、背中の丸くなりはじめた母一人にこの荷物を持たせられないと思う。

「ねえ」

「うん?」

「どうして、父さんは、私が横浜に出るとき、あんなに反対したの。それまでは放任だったのに」

 そうなのだ。父は私のあれこれに口を出すことはなかった。

 だから、自分も簡単に地元を離れられるだろうと高を括っていた。

「それはね・・・お母さんのせいもあるの」

「ん? どゆこと?」

「母さん、父さんのこと好きだったし、地元も好きだったし、雪子もかわいかったし、幸せな人生だった。って、まだ終わってないけど」

「そうよ、止めてよ。今にも死にそうな病床でいいそうなこと言うの」

「ごめん、ごめん。で、お父さんにもしょっちゅうそんなこと言ってたから、それでだよね、きっと」

「ん? ごめん、ちょっとわかんない」

「だから、幸せそうな私を見て、私の生き方が女としてはベストだって思っちゃったのよ、多分、お父さんは」

「ああ。だから、地元の学校出て、地元で相手探せ、ってそーゆーことか」

「父さん、口下手だったから、そこまであんたに言えんかったけど」

「なるほどね」

 狭い田舎で、狭い価値観の中に娘を閉じ込める。

 とんでもないと都会の人は言うかもしれない。若い頃なら雪子も反発しただろう。

 しかし、今となると母と父の自分の思う気持ちの強さだけが感じられた。

 傷つけられることなく、ふわふわと小さな幸せのなかで生きていってほしかったのだろう。

 雪子は少し泣きそうになる。

「そっか。そうだったかあ」

「そうだったのよねえ、たぶん」

「私、こっちにいたほうがよかったかな」

「ええ?」

「それで父さんみたいな人見つけて、母さんみたいに幸せになって、私みたいにかわいくない子産んで、育てて」

「何言っとんの。あんた、可愛かったわよ、小さい頃は」

「小さい頃はって」

「今は、さすがに、あれだけど」

「あれって・・・すみませんね」

「父さんは、ずっとあんたのこと、すごく思っとったよ」

「うん」

「あまり交流できん分、母さんより、ずっとずっとあんたのこと考えとったと、思うよ」

 雪子は母から顔を反らす。

 中年女となった娘の泣き顔なんて、母親には見せられない。

「そうやね。私も、話せん分、父さんのこといろいろ考えてたもんね」

「それでよかったんじゃないの」

 母は穏やかに笑っている。

「なに泣いてんの、子供みたいに」

「だってえ」

「人が見るよ。都会で騙されて帰ってきて、道端で泣いとったって噂されるから、泣くの止め」

「ひどいこと言うわね」

 母の言うことも一理ある。

 雪子は空いてる手で涙をぬぐった。

「親子だって、完璧じゃないからねえ」

「父さんと母さんは完璧だったじゃない」

「そうやねえ、うちらはパーフェクトラブやったからねえ」

「何よ、それ」

 雪子は吹き出す。母はときどきおもしろいことを言う。父の大きな笑い声を思い出し、また泣きたくなった。

「あんたも、そんな人が見つかるとええね」

「期待しないでね」

「はい、それはもう」

「何よ、それ。カチンとくるな」

「じゃあ期待してもええの?」

「いや、やっぱりやめとって」

 言葉がだんだん母寄りになってくる。

 地元に戻ってわずか数か月でこれなら、一年もしないうちに地元のネイティブに戻るだろう。

 そうなったとき、誰かと出会ったりして。

 雪子はまだまだ恋を諦めない自分に気づいて、のんびり歩く母の隣で秘かに凹んだ。


 久々に東京の友達に電話をしてみる。

 こちらでの生活が落ち着いてくると、懐かしくなるのはあっちでの生活だった。

「順調そうじゃない」

 大学からの付き合いの美紀子が明るい声で言う。

「うん、まあね」

「何よ。なにか、問題?」

「そうじゃないんだけど・・・」

「はっきりしないわね」

「ごめ~ん」

 雪子が甘ったるい、若ぶった口調で言う。

「なによ、その言い方。腹立つ」

 美紀子が電話口で笑う。

「実家が遠いって、やっぱりいいわね」

「どこが」

 美紀子は埼玉の実家から東京の会社に通っている。

 そして、派遣社員として働いている。

 派遣社員になった経緯は、雪子と似たようなものだ。

「思いっきり環境が変えられるじゃない」

「そうだけど」 

「そうなのよ」

 何を贅沢な。

 首都圏に実家がある「豊かさ」にどうしてみんな鈍感なのだろう。

 雪子は怒りを抑え、軽い口調で言った。

「私は美紀子のほうがいいな~。実家が関東なら、ずっと東京で働ける。東京なら仕事はいくらでもあるじゃない」

「でも、人もいくらでもいるからね。だんだん回ってくる仕事のグレードもさがってくるよ」

「そうかもしれないけど・・・」

「現状打破する方法が、もうわかんないわ」

 美紀子はそう言って笑う。

「田舎に帰っても同じよ。私も、何も変わらない。同じところをぐるぐる回ってる感じ」

「やっぱりそうなるのかねえ。大した努力もしてないしね」

「ほっといてよ」

「ごめん、ごめん。自分に言ってんのよ」

「でも、そうかもねえ・・・」

「新しい職場、男どうなのよ?」

「やめてよ、おじさんばっかりよ」

「私たちだっておばさんなんだから」

「そうでしたね」

「で、どうなの?」

「おじさんって言っても、みんな五十代以上のおじさんなの」

「それはちょっと年上すぎか」

「みんな結婚してるしね」

「さすが地方」

「そうなのよ。こっちで男漁ろうとしても、もう完全に出遅れちゃってるんだよね」

「なるほど」

「だから、婚活も東京のほうが有利なんだって」

 一瞬、深田の顔が浮かび、すぐに打ち消す。

「そうなのかなあ」

 美紀子が興味なさそうにあくびをする。

 仕事がだめなら結婚でもしないと。

 口癖のように言っていた美紀子だが、言葉に切迫感はなかった。

 居心地のいい実家、都内に通える実家がある限り、美紀子のケツに火がつくことはないだろう。

「私たち、結局ないものねだりだね」

 雪子がぽつりと言ってみる。

「そうかもしんないねえ」

 美紀子がそう言って、また大きくあくびをした。


 その夜、雪子は夢を見た。

 夢の中で、雪子は深田と暮らしていた。母も一緒だ。

「お義母さん、僕がやりますって」

「あら、そう」

 深田が母が抱えていた取り込んだ洗濯物をごそっと、でもふわり優しく奪い取る。

「助かるわあ」

 母がほんとにうれしそうな顔で笑った。

 あれ、母さん、女の顔になってない?

 雪子は一瞬イラっとする。

 父さんに悪いと思わないの? 

 それに、その人は私のものだからね・・・あれ? 私のモノ?

 っていうか、なんだ、このシチュエーション。

「こんな優しい人が旦那になってくれるなんて・・・あんた、ラッキーだったね」

 母がピースしてよこす。

 雪子は違う、違うと思いながら、顔の前で何度も手を振ってみせる。

 しかし、母の笑顔は崩れない。

 気づけば深田もこっちを見て笑っている。

 手には三人の洗濯物を抱えながら。

 これ、何なの? 何なの、これ、いったい・・・

「今日、晩御飯、なに?」

 深田が雪子を見ながら言う。

「え?」

「今日はしっかりしたもの作るって朝から張り切ってたじゃない」

「そう、だっけ?」

「そうですよねえ、お義母さん」

「うん、言ってた、言ってた」

 何なのよ、この仲良しっぷり。

 私だけついていけてない。

「そんなこと言ったっけか?」

 雪子は口をとがらせる。

「仕方ないなあ。めんどくさくなったのなら、手伝うよ」

「そうじゃないけど」

 深田の態度は包容力と落ち着きに満ちていた。

 いくつか年を増したかのようにも見えるほどだ。

 この余裕はいったい・・・ 

 旦那だから?

 そう思いながら母を見ると、母がうんうんと満足そうにうなずいた。

 なんで通じてるの?

 雪子は頭が急にがんがんと痛くなりはじめた。

 足元がふらつき、こめかみを抑えて、床にへたりこむ。

「大丈夫!」

 深田が洗濯物をソファに置き、飛んでくる。

 そして、雪子の肩を抱き、ぐいと顔を覗き込んできた。

 深田のアップ・・・

 雪子は深田の毛穴を探す。

 毛穴が開いてない・・・

 雪子は再びこめかみを抑えた。 

 頭痛はひどくなるばかりだった。

 それでも、

「大丈夫、大丈夫だから・・・」

 と言いながら、不安そうな深田をなだめる。

 これは、あれだ、たぶん夢だな。

 そう思いながら、雪子はゆっくりと目をつぶった。

 頭痛は続いていたが、意識は薄れていく。

 起きたら、きっといつも通り一人だ。

 それがいいのか、悪いのか、求めているのか、避けたいことなのか。

 美紀子だけじゃない。

 雪子は自分もずっと答えを引き伸ばしてきたことに今更ながら気づいた。

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