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私、実家に帰ります  作者: 梅春
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第一章 私、婚活やめます

 崎本雪子は嫌なことがあると、JR関内駅からJR桜木町駅までの間を散歩する。

 十九歳から三十七歳の今まで続く、雪子の地味でお金のかからないストレス解消法だった。


 横浜の開発の波は止まらない。

 横浜の主要エリアの開発は、止まったり進んだりして、東京の再開発ほど順調ではない。

 市の財布事情が絡んでいるのだろう。

 東京ほど資金が潤沢ではない街の再開発は、三歩進んで二歩さがる的なところがあった。

 しかし、ここ数年は違う。

 大きな企業がみなとみらいや横浜駅周辺に進出してきた。その流れは止まらず、大きく高いビルの建設が相次いでいる。

 市としてはウハウハだろうが、長く横浜に住むものにとっては、開発はありがたいばかりではない。

 人の流れや住む人の顔が変わっていくからだ。

 鄙びたスポットもレトロだともてはやされ、人で溢れる。

 結果、昔は、安く美味しく飲み食いできたエリアの店がつぶれたり、入れ替わったりする。

 街ゆく人たちも変わった。

 堂々として、偉そうな人たちが増えてきた。東京から遊びに来ているか、東京から移り住んできたのだろう。

 横浜は主要な駅である石川町の近くにドヤ街があったりして、決してきれいなだけの街ではない。

 うらぶれた、世を拗ねたような人たちも多く行き交う街だった。

 それがどうだ。今はただのプチ東京の街になり下がってしまった。

 昔はよかった。

 そう思うのは、周囲の変化に対してだけではない。

 結果を出し続けていた、若い自分に対しても、そう思うのだった。


 大学に進学するため、十九歳で福岡から横浜に出てきた。

 横浜は思ったよりずっと汚い街だった。正確にいえば、横浜駅の周辺が汚かったのだ。

 イメージしていた横浜は桜木町駅や関内駅の周辺だった。そのあたりの街並みは保存され、周囲の人たちに守られ、いまも美しい。

 大好きな街並みだ。

 しかし、行き交う人々は観光客ばかりになってしまった。

 石造りの歴史的な建造物がいくつも並ぶ街は、実はいかがわしい雑居ビルが何本も建っている。

 小さな雑居ビルに高級クラブから安っぽいスナックや一杯飲み屋、違法な風俗店までが入っている(大人の玉手箱や~)ものだった。

 そういったビルの集合体がこの街だったのだ。

 それがどうだ。 

 いまは、若い会社員がデートに来るような洒落た店ばかりになってしまった。

 つまらない。圧倒的につまらない。

 いくら景観を保ったとしても、街の雰囲気は変わっていく。

「すっかり堅気が幅をきかす街になっちゃったな」

 そのほうが治安がいいのかもしれないが、昔を知るものとしては違和感と居心地の悪さばかりを感じてしまう。

 それと外国人だ。

 昔は中華街周辺にだけ中国人が多くいた。

 しかし、今では街のいたるところに中国人、韓国人が溢れている。

 彼らは姦しい。その存在を気にするなというほうが無理だ。

 彼らのおかげで回っている経済もある。しかし、そうは思っても、この石造りの街に日本語以外のアジアの言語はどうしたって似合わないのだった。


 しかし、開発が役に立つこともある。

 昔は立ち入れなかったエリア、近寄りがたかったエリアが開放されることもあるからだ。

 そんな場所に入り、新しい風景を目にしたとき、開発も悪くないなと思う。

 長く親しんだものにとっては、もちろん弊害のほうが多いのだが。

 雪子はそんなエリアに足を踏み入れる。

「こんなのができてたんだ」

 そこには古い団地があった。昔ながらの団地だ。

 低く長方形の団地らしい建物が何個も並んでいたのを、汽車道を歩きながらいつも見ていた。

 若い頃の話だ。思い出すとちょっと甘酸っぱいのはなぜだろう。具体的な何かを思い出したわけでもないのに。

 その場所に、タワーマンションやホテルが続々と建てられている。

 ホテルは、特徴的な帽子を被り、よくテレビに出ている女社長の会社が建てているらしい。

 そして、タワーマンションは、М不動産がメインとなり、複数の会社が建設、販売に参加しているそうだ。

 そんなことを考えていると、道端に落ちている大きな飴玉に群がるアリの大群を連想した。

 金のなる場所はみんな放ってはおかない。

 そういった開発がまさに実施中のその敷地内には、大岡川へと流れ込んでいる海水を挟んで汽車道と並ぶように遊歩道が伸びていた。

 雪子はそのきれいに舗装された、できたばかりの道をゆっくりと歩き出した。

 ここを抜けると桜木町の駅はすぐそこだ。雪子の散歩は、そろそろ終わりを迎えようとしている。


 あることをきっかけに生活を変えようと思った。うまくいっていた生活ではなかった。

 むしろ、どうしてこんな生活をしているなら、東京(住まいは横浜だが)に居ないといけないのか。

 そればかりを自問自答する日々だった。

 昨年の年収は税込みで348万円だった。

 派遣としては多いほうだ。しかし、派遣なので先の保証はない。

 首都圏で若くもない女が一人、みすぼらしくなく安全に暮らそうと思ったら、これは最低のライン、もしくは最低より少しはましなラインとなる。

 いずれにしてもギリギリ、もしくはかなりギリギリ寄りだ。

 私は、公立大学とはいえ、偏差値は低くない大学を出ている。それでもこんなものだ。

 最初に就職したアパレルの会社には十年居た。

 とくにファッションに興味があったわけではない。

 男尊女卑を嫌う、女にとって働きやすい会社だったから入社を決めたのだ。その証拠に洋服に興味の薄い雪子の所属は生産管理部だった。

 しかし、女ばかりだったわりに、時流に乗ることが下手だった会社は、徐々に規模を縮小。

 ついには、潰れた。

 年間に七十万円のボーナスが出ていた正社員時代に貯めた八百万円の貯金も派遣生活を続ける間に六百万円を切った。

 不景気は若者の努力を金には変えてはくれなかった。そういうことだろう。

 多くの人が今まさに経験中であろうことだ。グチグチ言っても仕方ない。しかし、生活の歓びや豊かさといったものからはほど遠い生活、倹約生活だけがそこには転がっている。

 こんなふうに、東京ドリームにのっかりドカンと金を稼ぐ、といったこととは対極な生活である。

 そして、何か夢を追っているわけでもない。

 金か夢か。そのいずれかがあれば、まだ踏ん張れたかもしれない。

 しかし、夢があっても、この年までは見続けられないだろう。夢をみるには経験の不足と体力が必要だ。私は経験は充分に満たしていたし、体力はずいぶん衰えている。夢を見る資格はとっくに失っている。

 だから、女が比較的体力を失っても見続けられる夢、婚活の夢にすがった。でも、これもとうとう手放すことにした。


 雪子は海とも川ともつかない、しかし潮の臭いのする、周囲のビルや観覧車の灯りできらめく魚の鱗のような水面を見ながら考える。

 この年になって、自分には本気で惚れた相手もいない。

 婚活ではそれがプラスに働くと思った。

 大恋愛の経験がない自分は、恋愛に多くを求めない。とことん好きな相手が過去にいたのなら、婚活で出会った相手なんて退屈極まりないだろう。

 しかし、自分はそうではない。

 条件で選んだ男である程度の満足ができるはずだ。

 今の自分の生活を引き上げてくれる、今の地獄でもなければ、でも、いつ底が抜けるかわからない不安たっぷりな生活から私を連れだしてくれる、そんな相手なら三割増し、いや、五割増しにいい男に見えるはずだ。

 いける、絶対にいける。

 婚活を始めたころ、雪子はまだ三十二歳だった。

 十分に大人だし、女としては終わりかけている。

 そう思っていたし、焦りがなかったわけではない。しかし、まだまだ青かったと今になるとわかる。

 年齢や容姿の変化は感じてはいたが、年よりずっと若く見えるということに甘えていたし、会社が潰れ、派遣生活に突入していたが、そんな女はめずらしくもなかったせいで、自分が「持たざる者」という自覚に欠けていた。

 どこか楽観的だった。いったんは堕ちた自分の生活がどこまでリバウンドするか・・・そんなわくわくが胸にあったのだ。

 甘い。甘すぎる。

 自分が恥ずかしくなる。しかし、仕方ないだろう。それまでの雪子の人生は比較的順調だった。

 そこまで必死に勉強しなくても、そこそこ偏差値の高い大学にも入れた(公立大学でお金がかからなかったことが、親孝行をしたという間違った自負につながった)。

 就職もそこそこの会社にできた。

 会社は女ばかりで、そういった村特有の苦労も多かったが、仲のいい同期や先輩などもいて、愚痴の相手には困らなかった。

 とくに努力することなく、とくにひどいめにあうことなく、とくに自信を失ったり劣等感を感じることもなく、やってこれていたのだった。

 平凡だった自分は、実はとても恵まれていたのだ。

 そんなことを最近はよく考える。

 まさか、この年で昔を振り返ろうとは。

 非正規にあふれたこの日本が大好きだといってやってくるたくさんの観光客に言ってやりたい。

 日本人が親切なのは、「お客様」に対してだけですよ、と。

 ぼーっと時間を表示したきらびやかな観覧車が壊れたようにゆっくりと回っている。

 ときどき、後ろの歩道をマラソンの集団が走り去る。 

 ご苦労なこって。

 こんな洒落たランナーが増えただけ、自分の人生がうまくいかなくなった分だけ、雪子はこのあたりが嫌いになった。

「婚活五年、結構長かったな」

 目の前でぽちゃんという音がする。何の魚かわからないが、時々跳ねている。

 音を辿って目を遣るころには、水面はもう静かに揺れている。

 自分は男を釣り上げることも上手くなかったと思う。

 したり、しなかったり、馬鹿らしくなったり、また夢見たり、いまの生活になんとか満足しようとしたり、でも、やっぱり貧乏はもういやだと思ったり、そんな気持ちに振り回されて、婚活をしたりやめたりを繰り返した。

 五年の歳月のうち、きちんと婚活に取り組んでいたのは、その半分の二年半ぐらいだろう。

 やる、ダメージを受けて休む、やる、期待が外れてやめる、やる、変な相手にひっかかって泣かされる、やる、やめる、やる、やめる・・・

 結果、五年(正味、二年半)を無駄にしたのだ。

 婚活をしていて、最も凹む理由は、時間を無駄にしたとつよく思わされることだ。

 しかも、それは自分発信の行動が生んだ結果なのだ。それにまた凹まされる。誰かに指示されたわけでもない、世間に強いられえたわけでもない、自分で選んでやったこと。

 比較的いい子でやってきた自分、結果を出してきた自分にとって、この効率の悪さにはかなり悩まされた。


 婚活パーティーに出れば、これでもかというほど、まともじゃない容姿の男に囲まれた。

 医者や弁護士限定など、条件のいい、もっと平たくいうと年収のいい男たちに限定したパーティーほど、この傾向が強くなる。

 これだけの男がいてまともな容姿の男がいないのか。そして、ある程度それがわかっていながら、こんなにダメージに受けている私・・・

 その両方に傷つけられた。

 雪子は、自分が思った以上に頭の悪い、ちっぽけな人間だと思い知らされた。

 やり方を変えよう。

 婚活パーティーはあまり金がかからないが、効率が悪い。やはりケチってはだめだ。

 ローリスクではハイリターンは狙えない。

 そう思って結婚相談所、というか、お見合い斡旋会社にも登録した。

 安くはない金がかかったが、婚活の空振りを減らしたい一心で、あまり気にならなかった。そのころはまだ貯金の額も今ほど削れてなかったというのもある。

 お見合い会社から打ち出される男たちもひどかった。

 実際に会えば、プロフィールの身長よりかなり小柄な男が出てきたり、奇跡の一枚を提出したの? というぐらい事前に見せられた写真と違う顔をした男が待ち合わせの場所にいたりした(わかっているだろうに、どうしてこんな男たちの嘘を紹介会社は許しているのか。お見合いコンシェルジュに金でも握らせているのだろうか)。

 学校時代なら二十人の男のなかに、並以上の見た目の男が二、三人はいたのに。

 つぶれた会社の同僚に愚痴ると、「確かにそうだったわね」と彼女も首をひねった。

 見た目にこだわるからよ。話があう人とか、いないの?

 大学時代からの彼氏と結婚した彼女はわかっていない。

 話があう人のほうが、見た目が並以上の人より、もっと見つけづらいということを。しかし、そんなことを説いただけで虚しいだけだし、伝わるとも、相手が折れるとも思えないし、実際そうなのだった。

 だから、雪子はちょっと小首をかしげて、口を開く。

 そうねえ。今度は、そっちの方向で頑張ってみる。

 そんなふうに友達にも本音が言えなくなっていった。

 ぽちゃん。

 またどこかで水音がする。

 もう疲れたよ。降参。

 顔をあげると、いくつもの高層ビルがキラキラと輝いていて、うるさいぐらいに色を変える観覧車がとろとろとゆっくり回っている。

 大好きな景色が、嫌いとまではいかなくても、どうでもいいものになる。

 これは見る側の心の問題だ。

 さようなら。

 一か月後、私はここ、ヨコハマを離れていく。

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