chapter1-5
「・・・」
暗い森の中で、赤黒い瘴気を纏う魔人。
その脅威は一瞬で災厄となった英雄を消し去った。
邪竜となった剣士の時間は終わり、赤黒い瘴気も魔人の中へと戻っていく。
そして・・・
「くっ・・・は・・・」
せき込むように苦しんで、疲れたように座り込む。
神なる樹への明確な反逆とも言える異能による反動。
全身に激痛が走り、疲労がすぐに限界に達する。
まともに動けない。
この通り代償はあるものの、脅威であることは変わらない。
魔法と厄人への死神、これが人に向けられれば魔法が扱えない身体と化す。
世界樹との接続を断つとは、そういうことだ。
これが、呪怨剣士の真なる異名の正体。
しかしその真実を知るものはごく一部・・・その名を、終焉邪竜。
今宵もまた、それを知るものはおらず。
同じように朝が来るのを待つのみ─────そのはずだった。
「─────頑張っているようじゃない。」
ニーズの顔が、歪む。
熱が冷え切るような、代わりに心臓が早鐘を打つような。
気管は狭くなって呼吸がしずらくなったような。
錯覚なのか、或いは現実なのか。
「────おまえ、は・・・っ」
しかし、あの声だけは本物だった。
ニーズは無意識から恐怖して、震え声で振り向いた。
「そしてまだまだ将来性はある、となれば・・・少しばかりちょっかいかけたくなるわ。」
百年前に、ニーズに紅月を授けた者。
あの日、生き延びた最大の理由でありながら、しかし明確にそれは味方ではないと理解できる存在。
後ろから聞こえた、艶のある女性の声・・・百年前から、何も変わらない。
「様子を見に来たわ、愛しい邪竜。
随分世界に溶け込んできたわね、ええ・・・とてもとても、貴方らしい。」
月明かりに照らされて煌めく銀の長髪。
妖しい紅い瞳と、そして三日月のように笑んだ口。
色白の肌で、他者を誘惑する身体をマントと最低限の服で隠している。
「現実を知れば知るほど、世界樹に近づくことは難しいと理解できる。
だから身の丈に合った所で長い年月かけて牙を研ぐ。
その過程で、罪のない人の死を見送ったり、生きる人の運命に罪悪感を感じながら、それでも諦めずに自分の技を鍛えていく。」
これまでのニーズの生涯を誇るように、そして慈しむようにまとめる。
長い時間、様々な苦しみを乗り越えながらよく鍛えてきたと。
そう─────頑張ったと素直に称賛している。
その上で────
「────で、それはいつまで続くの?
なにがあっても?苦しみ嘆?狂い哭いてそれでも?
笑わせるじゃない、その程度で。」
明確な軽蔑の言葉が、嘲笑と共に紡がれる。
ああ、そうとも。
呪怨剣士は頑張っている。
身の丈を知って、できる限りのことをして、希望と絶望を味わいながら繰り返す。
そんな頑張り程度で、いつかは等と・・・笑わせる。
「────っ。」
ひゅ、と息をのむ。
逆らえない、根源からこの女にニーズは恐怖している。
こちらの心は本物なのに、その恐怖で押し流される。
こちらの心など、最初から弱者のソレでしかないと思わせる。
「・・・そこで吼えないから、貴方は駄目なのよ。」
心底から馬鹿にするような。
けれど、ああ・・・それがどうしようもなく正しいと感じてしまう。
違うだろう、そうじゃないはずだ。
こちらの全てが正しいとまでは言わないが、こうなっているのはおまえの仕業だろう。
そう、言いたいはずなのに。
その言葉は喉元から出てこない。
違う、違う、違う、違う。
「だまって、くれよ・・・!」
精一杯の意地を張って、授かった刀を握りしめて。
震える全身に無理やり力を込めて。
「黙れえええ!!」
百年生きた者とは思えないほど情けない様で、刀を振りかぶって立ち向かう。
しかし、そんな苦し紛れが届くはずもなく。
「────それでいいのよ。」
心底から愉悦した笑みを浮かべた刹那
────大地から無数に生えた赤黒い棘により、ニーズの全身を貫いた。
「────ぁ、がふっ、あ゛・・・。」
四肢のみならず、胴体や喉、そして片目も貫いて、棘によって完全にニーズの身体は大地から浮かされている。
そして、それは固定されることはなく、ニーズの体重により身体は少しずつ大地へと近づいていく。
つまり。
「あ゛、があああああああ、はっ、あ゛あぁぁぁあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」
ゆっくりとゆっくりと、ニーズの全身を貫いて深く深く、更に突き刺さっていくということ。
長く長く、いつか治ることを理解しているからの行為ではある。
だがそれ以上に、なけなしの気力で立ち向かってきた者をこのように痛めつけることへの愉しみが大きい。
女は嗤う。煽っておいて、こうなることがわかりきって、その通りに嵌っていることがおかしくてたまらない。
「いい感じ、強くなってきたぶん悲鳴もより甘露になった・・・。」
恍惚な笑みで見物する。
これはとても楽しい、だが。
「けれど、万全でもないのに痛めつけても本当の愉しみから半減するわね。
確かに、貴方では私には勝てないけれど・・・これじゃ、まだまだ・・・。」
「がっ・・・!?」
ふと、熱が冷めたように言った直後。
赤黒い棘は一瞬で大地に還り、一気にニーズの身体から引き抜かれた。
急になんの抵抗もできずに地面にたたきつけられたニーズは、無様に倒れ伏す。
「体験版はここまでよ、呪怨剣士。
もっと無様に頑張りなさい。今宵は私が迎えに来たのだから、今度は貴方が来なさい。
場所はもちろん、世界樹の前・・・紅い月を託した、あの場所よ。」
全ての運命は、そこで決めるべきだと女は告げている。
のたうち回るニーズにも、それはちゃんと届いている。
「運命が来たその時に、愛してあげる。」
目を細めて、慈愛と蔑視が入り混じった表情でニーズを見た後に踵を返した。
去ってゆき、姿が見えなくなったその時に・・・。
『待っているわ、必ずたどり着きなさい────この銀月女帝に。』
森のその言葉が響いたのを最後に、今宵の惨劇は幕を閉じた。
「銀月女帝、終焉邪竜・・・忘れない。」
戦場から少し離れた木の傍で、少年らしき人影は誰にも聞こえぬように呟いた。
ジンとニーズとの戦いも、先ほどの女のことも、少年はすべてを見た。
見たうえで、ひとまず胸に秘めた。
速足で村へと帰る、今は誰にも広めない。
自分は何もしていないと、ただいまは眠りにつこう。
そして運命が来たその時に─────