第1章 8.大きな背中
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どれぐらいの時が経ったのだろう…私は目が覚めた。
しかし、全身がなぜか締め付けられて身動きが取れないし、口の中に何かを詰められて喋れない。
目覚めて数秒で気が付いた。
私は後ろ手に上半身と足首を縄できつく縛られ、口には布切れで猿轡を咬まされていたのだ。
結構長い時間、この状態で縛られているからか、手先が感覚が麻痺するほどに痺れている。
思いもよらぬ事態に恐怖と衝撃とで酷く混乱するが、しばらく経って、ようやく自分が誘拐された身であることを理解した。
「んっ………んんっ~…!」
声にならない呻き声を上げるが、状況は何にも変わらない。
本当に馬鹿だった…あの男に騙されて、何かをされて、ここまで連れて来られたのだ。
私が監禁されているのは倉庫のような埃臭い部屋だった。
するとドアから男が数人入ってきた。
あの街で会った中年の男もいた。
別の男が私に近づき、私の顎をぐいっと掴んで顔を接近させる。
「ほお…こいつはとんだ上物だなあ。着ている物も高そうだし、どこかの令嬢か? どこで捕まえてきたんだ?」
「どこも何も、街中で一人でうろついてたんだよ。親のこと聞いても何にも答えないしさ。俺が術をかけただけで、簡単に連れて来れたぜ」
私を騙したあの男が答える。
そうか…あれは魔術だったのか…。
「ふうん、ならワケありか…。まあ痛めつけたら本当のこと吐くかもしれんが、身代金要求は儲けが大きい分、親がお偉いさんとかだったらこっちの首が飛びかねんしなあ」
そう喋りながら私の顔を掴んでいる男は、その汚らわしい目で私を舐め回すように見つめ、さらにもう一方の手で、私の体をあちこち撫で回す。
私は恐ろしさで身体が硬直し、涙だけが無意識に溢れ、声にならない声すら出すことができなかった。
そして、私を騙した男が会話を続けるように言った。
「結局、いつものようにガノンの奴隷商に売り捌いたほうが無難だわな。証拠もなきゃ、神隠しにあったということで処理されるだろ」
その言葉を聞いて私は戦慄した。
そして、あの地獄のような日々の記憶が脳内で再生される。
「んぐぅっー!!!んっ~!…んっー!!」
私は取り乱したように声にならない声を出し始めた。
私の急変に、男たちも動揺する。
「な、何なんだよこいつ…。さっきまで大人しく泣きベソかいてたかと思いきや…」
私は小さい体ながらに、蛇のように全身をバタつかせて必死にもがいて抵抗する。
「おい、どうするこいつ…?」
「そうだな、とりあえず今日一晩ここに置いとこうと思ったが、さっさと運んだ方が良さそうだな」
男たちは何かを決めたのか、私は二人に持ち上げられる。
抵抗しようにも、持ち上げられた状態では力が入らず、何もできなかった。
そして、私は大型の木箱の中に縛られたまま入れられ、どこかに運ばれた。
どれほどの時が経ったのかわからない。
木箱が地面に置かれ、蓋が開けられて箱から出された時には、私は港にいた。
目の前には大きな船…この時点で察した、私はあれに乗せられて再びガノンに送り返されるのだ……。
そしてそこには、私を連れてきた男たち以外にも、全部合わせて五人の男たちがいた。
私は足首の縄だけを解かれる。
「おら、歩け!」
別の男に押され、私は目の前に停泊する船の中へと連れて行かれる。
さっき散々暴れたため、もう抵抗する気力はない。
私はもう半ば諦めていた。
元はと言えば、すべて私の責任だ。
私がご主人様の言い付けを破って勝手な行動をしたから…。
きっとこれが私に与えられた罰なのだろう…。
いや、もしかしたら、これまでのことが長い夢だったのかもしれない。
やはり、ガノンで奴隷として自由も与えられずにただ生かされて、使い物にならなくなれば殺される…、それが私の一生なのだ……。
長い夢から覚めて、再び日常に戻るだけだ……なんの不都合もあるまい…。
それでも…ご主人様……。
一筋の涙が私の頬を伝った。
こうして、私の心の中で後悔と観念と恐怖が入り混ざったまま、船に乗せられる間際のことだった。
「うわっ、何だ!?」
突然、強烈な眩しい光が、私と男たちを照らした。
その光の元は…目の前にいたのは…、高貴な佇まいの長身で体格の良い紳士……ご主人様だった!
「クラリス、大丈夫か!?」
彼は初めて私の名を呼んでくれた。
「何だ、お前は!? こいつの父親か?」
「そうだな…まあそんなところだ」
男の一人がご主人様に問いかけると、彼は躊躇することなくそう答えた。
「ふざけやがって! どっちにしろ、見られてしまった以上、生かしてはおけねえ!」
男たちは一斉に短剣やナイフを構えて、彼を取り囲む。
すると、ご主人様は男たちを次々を右手の人差し指で指し示した。
次の瞬間だった。
パァーンッ!パァーンッ!パァーンッ!
「うわぁっ!何だ、これは!?」
指された男たちの武器を持つ手元から、一斉に火玉が弾け火花が飛び散り、驚き慄いた連中は次々と武器を落とす。
火玉が弾けた音と、地面に金属が落ちた耳に突き刺さるような高音が、夜の人気のない港に響く。
さらに彼は両手を開いて、それを地面に向け、精神統一するような様子を見せたあと、一瞬目を閉じた。
すると、ご主人様が立つ位置の約半径1メートルの範囲で、一瞬、地面から上空に噴出するように気流が発生した。
そして次の瞬間…、男たちの足元が緑白く発光し、光は男たちの全身を纏った。
「うがああああぁぁ!!!」
「ぎゃあああああぁ!!!」
男たちが一斉に悲鳴を上げて、もがき苦しむ。
何人もの大の男が、一斉にのたうち回る様は中々に圧巻だ。
男たちを包んだ緑白い光の中には、雷のような紋様が絶えず表れており、「バキッ、バキッ」という、何か太い物が折れたような低音の耳触りが悪い音が微かに聞こえる。
すごい……これが魔術……
これが魔導士……これから私がこの人の下で志す、私の目指す姿……
彼が男たちに対して繰り広げた、神の奇跡としか思えない光景に、私は自身が縛られている状態であることも忘れて、目が釘付けになった。
そうこうしているうちに、恐らく先にご主人様が手を回しておいたのだろう、警官と思われる面々が次々と駆けつけて来た。
男たちはそのまま彼らに連行され、ご主人様は私の縄を解き、猿轡を外した。
無事助けられたが、私の心中は穏やかではなかった。
なぜなら、ご主人様の命に背いた挙句、彼に迷惑までかけてしまったからだ。
ただ嘘を吐くどころではない…。
奴隷の分際で、到底許されぬ行いだ…。
どんな罰が与えられるのだろう…とても怖い……。
でも、どんな罰でも受ける覚悟は出来ていた。
「クラリス…」
ご主人様に名を呼ばれ、思わずビクッとなる。
次にどんな言葉が来るのだろう…、縛られて縄目が付いてしまった手首を押さえながら、不安と恐怖に怯えていると……
「大丈夫だったか?、怪我はないか?」
彼はそう言って、私をそっと抱きしめた。
全く予期もしない展開に、私はひどく当惑する。
ここで、怪我はしてない旨と助けてもらったお礼を伝えなくてはならないのに、私から出た言葉といえば……
「何故なのですか…?」
「どういう意味だ?」
思わずご主人様が聞き返す。
「私は奴隷です…。ご主人様の命に背いて勝手なことをして、その上ご主人様にご迷惑までかけて……。私はどんな罰でも受ける覚悟はできています。なのに…なぜ私に罰をお与えにならないのですか?どうしてこんなにも優しくしてくださるのですか…?」
私の真剣な問いに、彼はしゃがんで私に目線に合わせ、私の両肩を優しく掴んで、語り掛けるように答えてくれた。
「よく聞け。私はお前をあの男から買ったのではない、引き取ったのだ。私はお前を奴隷とは考えていない。そもそもジオスでは奴隷制は存在しないのだ。引き取ったからには面倒を見るのは当然だ。前にも言っただろう、もうお前の身はお前だけのものではないのだ。もっと自分を大切にしろ。もっと自分自身に誇りを持て」
「はい…」
私はご主人様の言葉を染み入るように、涙ぐみながら聞いていた。
そして彼は再び立ち上がって、話を続ける。
「それに、あの連中はガノンと通じて、この街を拠点に人身売買などかなり悪どいことをやっているようだ。あの連中をしっかりと取り調べれば、ガノンの連中の悪事が明るみになって、奴らはこのフェルトでの信用を大幅に失う。ひいては我々ジオスの利益に繋がる。まあ、私の言い付けを破ったことは良くないが、終わり良ければすべて良しだ、気にするな」
ご主人様は少し微笑んで、私の頭をガシガシと強く撫でた。
まるで、娘ではなく息子に対するような少し雑な扱いだったが、それでも私は、その安心感がとても心地が良かった。
「よし、帰るぞ」
「はいっ…!」
私は目元に溜まった涙を拭って、颯爽とその場から立ち去るご主人様の大きな背中を追いかけた。




