第6章 9.命懸けの作戦
全てはクラリスの作戦通りだった。
トテムとの対戦が決まった時点で彼女は、勝算があるかどうかはわからないが彼に勝ちに行くつもりだった。
トテムの圧倒的で残忍な戦い様を見せ付けられても、その意志は決して揺るがなかった。
しかし、真正面からぶつかっても、その戦力差は歴然だ。
彼に勝つには、彼の弱点に付け込んで、意表を突くやり方しかない…。
これまでのトテムからの度重なる悪態や罵声を受けて、クラリスは彼の弱点を把握していた。
それは…、自身への常軌を逸した憎悪。
普段は冷静沈着で理知的な彼が、事もあろうにクラリスのことになると、その言動が激情に強く支配される。
もし彼に勝つとするならば、そこを突くしかないと彼女は考えた。
試合が始まり、クラリスはトテムに作戦を見破られないためにも、まずは普通に戦う素振りを見せる。
それから彼に捕まり動きを封じられた後は、彼の卑劣な暴力に耐えながらひたすら自身の脚に身体強化の術をかけ続けた。
しかも陰湿な彼が利き手である右手を潰してくると予想して、不慣れな左手で…
輪による制約で術の効力が抑えられている上に、魔素を昂揚させすぎるとトテムに感づかれる恐れがある。
少しずつ少しずつ…魔素の昂揚率をコントロールして、彼に気付かれないように細心の注意を払う。
クラリスが着用していた、フェルカから譲り受けたドレスも、彼女の作戦に一役買った。
このドレスにも織り込まれているマナタイトは対魔術防御性があり、マナタイトで密封された空間で術を使用すると外部から魔素の検知が出来なくなる。
裾の長いこのドレスは、クラリスの脚に働く魔素の作用をトテムから隠すにはうってつけだった。
とはいえ、ドレスの裾から出ている爪先に術をかけるので、完全に彼の対魔素感知を防ぐことは不可能だ。
そこで、クラリスは彼の弱点を利用した。
敢えてトテムの嘲罵に乗っかり挑発することで彼の感情を煽り立てて、理性と感知能力を鈍らせたのだ。
無論、それは決して演技ではなく、彼女の心の叫びであったが…。
もちろん、自身の身を賭けた危険な作戦ではあった。
それでも…、トテムが勝負にケリを着けようと術を放とうとしたちょうどその時、ようやく機は熟した。
彼への憤怒にも駆り立てられて…、術で強化した脚で渾身の蹴りを彼にぶちかます。
さらに、術による効力が持続している脚で、まさに瞬間移動の如く、吹き飛んだトテムの元へと瞬時に駆け寄った。
トテムを打ち負かした途端に気を失ったクラリスはすぐに救護係に運ばれた。
彼女に勝利に試合を見ていた皆が驚愕し、そして歓喜した。
可憐な少女が見せた勇姿、卑劣なるトテムへの反感、弱者が強者を打ち破ることへのカタルシス…、その理由は様々だろう。
「す、すごい…。何が起きたのかわからないけど、あのトテムを負かしちゃうだなんて…」
「ああ…、彼女の気高く立ち聳える姿…なんて麗しいんだ…」
「あんた…本当にブレないわね…」
相変わらずのブリッドにマリンは甚だ呆れ果てるも、終わり良ければすべて良しとでも言いたげに眉を下ろしながら微笑んだ。
「すげえ…、ガノンの時も只者じゃないとは思ってたけど…。ありゃあ、将来とんでもない逸材になるぞ…」
ライズドが驚嘆の言葉を漏らし、横のいるトレックは目の前で起きた情景を未だ信じられないように重々しく頷く。
「やったな…!、クラリス…」
そして、アリアは目に涙を浮かべながら教え子の無事と成長に、一入の感慨に浸っていた。
さて…、本来であればクラリスもトテムも互いに禁止行為である肉弾攻撃をしており、この試合は両者反則負けで無効試合となるはずだった。
ところが、トテムが作り出した光のカーテンによって外部からの判別が遮られたため、試合の記録もそのままクラリスの勝利となった。
彼がクラリスを嬲りものにするための策術が、皮肉にも彼の敗北を招いた。
実をいうと、実戦審査でクラリスがトテムと当たるように仕組んだのはトテム本人だった。
運営の一部の人間を買収して、対戦を決めるくじに細工をして結果を操作していたのだ。
とはいえ、試合前にトレックとライズドが話していた通り、兄弟同士の対戦を禁ずる規定はなく、これまで前例がなかったのも単なる確率上の偶然に過ぎない。
トテムが無様に負けた今、この真実は誰にも触れられずに闇に葬り去られることとなる。
審査会の結果については、残念ながらクラリスは合格圏内には入ることは叶わなかった。
トテム戦の勝利は審査成績にカウントされたが、それ以前の筆記試験と術審査の成績が大きく振るわなかった。
そして…、最終的な順位だが、首席合格はグラベル家の子息ブリッド、次席合格はレジッド家の子女マリン…、トテムはその次点での合格となった。
術審査までは、他の追随を許さない圧倒的な成績を修めていたトテムであったが、やはりクラリス戦での敗北が大きく響いた結果となった。
次回から再びクラリス視点となります。




