第6章 3.白銀の貴公子?現わる
城門を潜ると、高く重厚な石材の城壁に囲まれた城内には、当家屋敷の何倍もの広さの庭園が広がっており、さらにその先の高台の上に巨大かつ荘厳な白亜の城がそびえ立っている。
初めて入る城内…、否応にも緊張で気が引き締まる。
馬車はそのまま庭園を通り抜けて、城へと続く弧を描いた緩やかな坂を登る。
こうして、坂を登り切った辺りで馬車は停車し、外側からゆっくりと扉が開けられた。
「センチュリオンの皆様、お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ…」
衛兵たちに丁重に出迎えられて、トテムから先に馬車を降りるが…
「クラリスちゃん…!」
いきなり、条件反射的に声が出たように私の名を呼んだのは…、ガノン戦役の時に短剣をくれた、あの衛兵の彼だった!
「こらっ、貴様!、センチュリオン家のご令嬢に向かって何という口を!」
彼の上官と思われる、50代ぐらいの厳つい男性が彼を怒鳴りつける。
「ひっ…!、も、申し訳ありません…!」
衛兵の彼が上官の激昂に触れて恐れ慄く様を見て、私は恐る恐る声をかけた。
「あの…、この方とは訳あって知り合いですし…、そんなに叱らないであげて下さい…」
「し、しかし…」
上官の彼は、全く予期しなかったであろう私の言葉に困惑気味なようだが、横槍を入れるようにトテムが彼に対して愛想もなく言葉を吐く。
「この娘のことなどどうでもいい。無駄話していないで、さっさと私を案内してくれ」
「は、はい…、只今…!」
トテムに急かされて、上官の彼は畏まったように慌てて返事をする。
「いいか、くれぐれも令嬢様に無礼な真似はするなよ! その気になれば、お前なんぞ簡単に首を飛ばせるんだからな!」
上官の彼は捨て台詞を吐くようにそう言い残して、トテムと共に王宮の奥へと去って行った。
「ありがとう…クラリスちゃ……いえ…クラリス様……」
「ふふふ…、これまで通りでいいですよ。身分なんて…私、気にしませんし」
上官の言葉が気になって私を『様』付けで呼んだ衛兵の彼を、私は軽く笑いながら慰めた。
「クラリスちゃん…ありがとう…。このドレスとても素敵だね…。とても可憐だよ」
「ありがとうございます…。そう言っていただけると嬉しいです…」
「あっ、そうだ、あのガノンの時にもらったビスケットすごく美味かったよ!」
「ああ、あの時の! 覚えてて下さったんですね」
「そりゃあ、忘れないさ。そういえば、君の家にもう一人小さな女の子がいると思うけど、あの子は妹さんなのかな? 綺麗な金髪で目がクリンクリンで可愛らしい子」
「ああ、フェニーチェのことですね。あの子はフェルトにある親戚の家からジオスに留学に来ているんです。何故、ご存知なんですか?」
「いや…1年前ぐらいにあの子が城塞外に失踪した時に、俺も捜索に参加しててね…それで…」
「そうなのですか…。申し訳ないです、その節はご迷惑をお掛けして…」
「い、いや…いいんだ…。気にしないで…ははは…」
申し訳なく頭を下げて謝る私に対し、彼は何故だか苦笑いで辿々しく答える。
衛兵の彼との他愛もないお喋りは、極度に緊張し、さらに馬車内でのトテムとの一件もあって心に重圧がのし掛かっていた私にとって束の間の清涼剤となった。
「ところで、あなたのお名前は…?」
これまで色々とお世話になっておきながら、彼の名前すら知らなかったことに今更ながら気が付き、私は彼に聞き出そうとした。
「ああ、俺の名前はね……」
彼がそう自身の名を出そうとした、その時だった。
「こらっ、貴様、何を油売っておる! さっさとクラリス様をご案内せんか!」
あの上官の彼が大層お怒りの様相で戻って来た。
その瞬間、さっきまですっかりリラックスしていた衛兵の彼は顔を引きつらせて直立不動の姿勢で固まる。
「もうよい!、貴様に頼んだ私が馬鹿だった。 ……クラリス様、そろそろお時間です。至急お越し下さいませ」
「は、はいっ…」
衛兵の彼の方を振り返る間もなく、私は上官の彼に案内されて王宮の奥へと向かった。
こうして広い廊下を歩くこと数分、案内されたのは学校の教室のように机が整然と並べられた部屋だった。
最初の審査は筆記試験だ。
今回、審査会に参加するのは50人弱…、筆記試験は2部屋に分けて行われる。
私が遅れて部屋に入ると、すでに着席している他の受験者から一斉に注目を浴びた。
皆が18歳、私と同じ模擬受験だとしても17歳…、小娘である私の存在はとても目立つ。
緊張とプレッシャーの中、皆から浴びせられる視線を掻い潜るようにして、私は用意された席に着いた。
そうして、息吐く間もなく試験官が部屋に入り、問題と解答用紙を配布し始める。
心の準備もロクに出来ないまま筆記試験が始まった。
試験時間は2時間で、科目は術式、歴史、地理、世界情勢、算術など多義に渡る。
“火術において、直径30センチ大の火球を初角度30度で放ち、その3秒後に火球を直径20センチ大に圧縮して下向き45度の角度で目標物に衝突させる術式を書け。”
“体重60キロの人間が補助術で脚部を強化して3メートル上空を飛ぶ鳥を捕まえる。鳥が水平に時速40kmで飛行すると仮定して、人間が離陸する直前の人間と鳥との距離を求めよ。
“ガノン革命後の、ガノン人民政府に対する王国の外交姿勢と政策について、フェルトにおける交易問題を踏まえて500文字程度で述べよ。”
などなど…
本来ならば、学院高等部3年レベルかそれ以上の難度の問題なので、いくら普段勉学でいい成績を取っている私でも、なかなか手が出るものではない。
それでも、何とかわかりそうなところだけ解答欄を埋めていく。
ところで、トテムも同室だったのだが、彼は試験が始まって1時間ほどで解答用紙を試験官に手渡して退室してしまった。
早くも全てを終わらせたというのだろうか…。
そうこうして、ようやく筆記試験は終わった。
初っ端から頭痛がするくらいに頭脳を酷使した私は、気分転換を求めて部屋を出る。
そして、当てもなく王宮内の絢爛豪華な長い廊下を歩き、ちょうど角に差し掛かった時だった。
「きゃっ…!」
死角になっていて横側から歩いて来る人影に気付かず、私は鉢合わせするように人とぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい…!、ついぼうっとしていて…」
相手を見る前に先に言葉が出て…、そして私は自分がぶつかった人物を見た。
その人は…、一瞬、女性かと思った。
胸上ぐらいまで伸びた繊細で艶かしい白銀の髪…、男性とは思えない滑らかな白い肌…、中性的で端麗な顔立ち…
その人を男性だと判別したのは、トテムと同じぐらいの高身長と喉仏からである。
その性別を超越した美しさに暫し目を奪われていると…
「麗しきお姫様…あなたのお名前は?」
鼓膜を心地よく打つ、抑えが効いた低音の美声で彼は言葉を発した。
(……何なんだろう…この人は……)
生理的な忌避感に近い不信感を覚えるも、ここにいるということはそれ相応の身分の人なのだろう…、センチュリオン家の代表として失礼がないようにしなくては…。
「センチュリオン家の次女、クラリス・ディーノ・センチュリオンと申します…」
私は困惑しながらも、必死に作り笑いを浮かべて愛想良く自己紹介をした。
すると彼は、驚きと喜びを抑えきれない様子で私に迫る。
「おおー!、これこそまさに運命…。神が両家の良縁をお導き遊ばされたのか…」
彼はそう歓喜すると、いきなり私の右手を両手でしっかりと握って顔をぐいっと接近させる。
「いや…あの…ちょっと……」
私が酷く動揺する様などお構いなしに、彼は大きな体でじわりじわりと私に迫り、ついには私は壁際まで追いやられてしまった。
(ち、近い……)
彼の目は完全に恍惚としていて、私の話など聞き入れてくれそうにない。
ほんのりと薔薇の香水の匂いがする白銀の髪が、撫で摩るように私の顔に触れる。
別に恐怖はないが、とても恥ずかしく、そして息が詰まる…。
(どうしようか…声を上げて助けを呼んだ方がいいのかな……)
観念気味にそう思った時だった。
バシッ!
「コラッ、あんた何してんの!?」
彼の後頭部を叩く軽快かつ痛快な音とともに、少し幼さが残る女性の声がした。




