第5章 15.フェニーチェ、純潔の危機!?
リグが感知した彼をここまで導いたあの音…、実はあの音はフェニーチェから放たれた魔素の信号である。
あの晩餐会の日の深夜の森の中で、天才少女ターニーがクラリスに語った、『魔素が強い人が近くにいれば気配で何となくわかります』という言葉…、その『気配』がまさにこの音だったのだ。
その他、動物と意思疎通が出来たり、大気中のマナの濃度を感知出来たり…、これらの特殊能力は魔素を持つ人間に、魔術の習得とはまた別に発現する。
稀代の天才であるターニーは、物心ついた時からそれらの特殊能力を先天的に授かっていたが、実際には彼女のようなケースは例外中の例外である。
大抵の場合は、難局に直面し極限まで追い詰められた時、それを乗り越えるための防衛本能として発現することが多い。
リグの場合は、フェニーチェを助けたいという一心な想いが能力の発現に結び付いたようだ。
一瞬、涙目で自分の目の前に立つリグを見つめるフェニーチェ。
しかし、決して彼に泣き顔を見られてはなるまいと、咄嗟に手の甲で涙を拭う。
あの家の人が自分を探しにここまでやって来てくれた……、フェニーチェはそれがとても嬉しく、そして安堵した。
ところが…、リグの前では素直になれない彼女は、その想いとは裏腹に彼に悪態をついてしまう。
「な、何しに来たのよっ!」
「『何しに』って…。助けに来てもらいながら、ひどい言い草だな…お前……」
「べ、別に…アンタに『助けて』なんて頼んでないじゃない! お姉様だったらよかったのに…」
「まあ、これだけ減らず口叩けるなら大丈夫か…」
リグはそんなフェニーチェの態度に呆れながらも、朗らかに笑みを浮かべてそう呟いた。
そして、リグは怪我で赤く染まったフェニーチェの脚に気が付く。
「なんだ、ケガしてんのかお前!?」
「べ、別に何ともないわよ…。ほっといてよ…」
「バカッ、ほっとけるかよ!、ちょっと見せてみろ」
リグは唐突にフェニーチェのスカートを捲り、彼女の脚に触れるが…
「きゃあっ!、な、何すんのよ、この変態っ!」
「何するって…そりゃあ、お前………」
「ま、まさか…、誰もいないのをいいことに、わたしに卑猥なことをしようと……」
リグの言葉を遮るように、フェニーチェが言葉を被せる。
血が引いたように青ざめた彼女は、発狂したかのように突然叫び出した。
「いやぁー!、助けてぇ、お姉さまー!」
「ちょっ…、お前、暴れるなって…」
「いやっ!、来ないで…ケダモノ…!」
勝手な妄想で取り乱したフェニーチェは、脚の痛みも忘れて全身をジタバタさせ、必死に近寄るリグに抵抗する。
「ああっ、もうしょうがねえなあ…!」
痺れを切らしたリグは自身のズボンのベルトを取り外し、木の枝に吊るすように、無理矢理それで彼女の手を縛り上げた。
さらに彼女の両脚先に体を乗せて、体重で脚の動きを封じる。
「い…いや…、やめて……」
フェニーチェの目に再び涙が溜まるが、リグは躊躇なく彼女のタイツを破る。
「ああぁーんっ!、助けてぇー、お姉さまー!、うわぁーん…!」
ついには森中に轟いているであろう勢いで号泣し出すが、リグはお構いなしにフェニーチェの脚元に顔を近付けた。
そして…
「ペッ!」
リグはタイツから露出した傷口に口を付けて血と体液を吸い、それを唾液とともに吐き出す…、その動作を数回繰り返した。
「な…なにしてるの…?」
想定外のリグの行動に、フェニーチェは涙ぐみながらも思わず素に戻って彼に尋ねる。
「何って…、毒とか入り込んでるかもしれないから、吸い出してるんだろうが…」
「えっ…、誰もいないことをいいことに、わたしを陵辱しようとしてたんじゃ……」
「アホかお前は!、頭大丈夫か? てか、そんな言葉どこで覚えたんだよ…」
「だって…!、こうやってわたしのこと縛ったりして…」
「お前がジタバタ暴れるからだろうがっ! まあ、ギャアギャア喚いてくれたのは、熊避けになってちょうどよかったけどさ…」
リグに冷静にそう突っ込まれて…、フェニーチェは取り乱した自分が発した言葉の数々を振り返り、羞恥心で居た堪れなくなって咄嗟にプイっと顔を背ける。
「なあ…、気が済んだんならもう解くぞ?」
顔を背けたまま、彼女は小さく頷いた。
リグは自身のシャツの裾を破って布切れを作り、包帯代わりにフェニーチェの傷口に巻く。
「さあ、こんなとこにいつまでもいたってしょうがない。ほら、乗れよ」
そう言って、リグはフェニーチェに自身の背中に乗るように促すが…
「い、いやよ、そんなの…。わたし一人で行けるわよ…」
「いやいや…どう見ても無理だろ…。強情張ってないでさっさと乗れ! 早くしないと熊とかやって来て食われちゃうぞ」
「く、くま…」
熊と聞いて怯えたフェニーチェは途端にしおらしくなって、リグの指示に従い彼の背中に乗った。
「ねえ…こんな山奥なのに、帰り道わかるの…?」
「大丈夫だ、ちゃんと目印付けて来たからな」
すっかり術の威力制御のコツを掴んだのか…、器用にも片手で照明用の火球を灯して、リグはフェニーチェを背負いながら元来た道を戻って行く。
そんな彼の姿は、フェニーチェの目にはとても頼もしく見えていた。
「学校じゃあんなにダメダメでみっともなかったのに…どうしてこんなにカッコいいの…? そんなのズルイ……」
リグの背中の上で彼の温かい体温を感じながら…、フェニーチェは冷え切った体も心も癒される感を覚えた。
「それにしても、お前クラリスよりちっこいのに、体重はあいつとそんなに変わんないのな……痛っ!」
フェニーチェは掴まっているリグの肩を抓った。
「レディーに対して失礼でしょ、アンタ。まったく…少しは見直してやったのに、結局根は変わらないのね…」
「なんだ、俺のこと見直してくれてたのか?」
「いや…、じょ、冗談よ冗談!……ってわけじゃないけど……アレよ、言葉のあやってやつよ…!」
「ふふふ…」
フェニーチェのしどろもどろな言い訳に、リグは思わず笑いが出た。
そしてリグのあどけない笑いに釣られるように、彼女も軽く笑った。
「あとさっきは、わたしも勘違いして取り乱して悪かったけど、いきなりあんなことされたら女の子なら誰だって怖がるわよ…。アンタはもっと女性にデリカシーを持って接しなさい。でないと、いつかお姉様に本当に嫌われちゃうわよ?」
「へいへい…それは申し訳ございませんでした。肝に銘じとくよ」
「まったく…本当に反省してるんだか…」
フェニーチェは呆れ気味に言葉を吐きながらも、嬉しさを噛み締めたとても安らかな表情でリグの後ろ頭を見つめていた。




