第5章 14.家出娘の後悔
さて…、フェニーチェを探しに行くと意気揚々に屋敷を飛び出したリグだが、アテは全くない。
手当たり次第に回っていると、知らぬ間に森側に面している城壁の北門まで来ていた。
ダメ元で警備をしている衛兵たちに聞いてみる。
「ねえねえ、兵士のにーちゃん、小さい女の子見かけなかった? 長い金髪で頭クリンクリンにして大きなリボン着けて、赤いスカート履いてて、すげえ生意気そうな顔してる奴」
聞かれた衛兵は数秒考え込んだ後、閃いたように言った。
「ああ、ああ…、確かこの先北西にある集落に住んでいる、お婆ちゃんに会いに行くって言ってた子だね。覚えてるよ、すごく気品あって可愛い子だったからなあ。特にあのパッチリとしたお目めがたまらないよねえ」
楽しそうに回顧する、衛兵の彼の余韻をぶった切るように、リグが口調を強めて問い質す。
「ねえっ、それっていつぐらい?、何時間前!?」
「え、ええと…、2時間ぐらい前だったかな…」
「なんで止めてくれなかったんだよ、バカッ!」
リグはそう捨て台詞を吐き、衛兵たちの間を潜って、城塞の外へと飛び出して行った。
「な、何だったんだ…?一体…」
「『何だった』じゃねえだろ! この時間に子供を一人城壁外に出すのはマズイぞ…。外の森には熊とか猛獣もいるし、山賊が出る可能性だってある。とはいえ、俺らはここから動けないしなあ……、とりあえず自警団に家出した子供の捜索願いが出ていないか照会しよう! ………てか、お前のそのロリコン癖、いい加減どうにかなんないの…? 個人の趣味に口出しするつもりはないが、仕事にまで支障をきたすのは本当にやめてくれよ…」
「べ、別にロリコンじゃねえし…。小さい女の子を可愛いを思う気持ちは、全ての人間共通の心理だろ…」
衛兵の彼はバツが悪そうにそう呟きながら、自警団本部に魔光通信で連絡した。
城塞外に出たリグは、北門から延々と北に続く街道を走る。
とはいえ、手掛かりはなく、このままでは埒が明かない。
どうしようか…やっぱり無謀過ぎる…、引き返すか…
リグの脳裏に “撤退” の文字がぼんやりと姿を見せ始めた時だった。
ふと横の森の中に目をやると、10メートルぐらい先で何かがキラキラと光っている。
気になって森に分け入り、その場に行ってみると…
そこで光っていたのは…、フェニーチェが頭につけていたリボンだった。
派手好きな彼女は、色とりどりのクリスタルガラスの粒が施された大きなリボンを頭に着けていた。
なんの偶然か、たまたまそのリボンが落ちていた場所に月光を遮る木々がなく、クリスタルに月光が降り注いで反射していたのだ。
そして、フェニーチェのものと思われる、子供の足跡も森の奥へと続いている。
彼女がこの奥に分け入ったのは間違いないようだ…。
リグもその足跡を追って、獣道を掻き分けて森の奥へと進んでいく。
月光も当たらない真っ暗な森の中を照らす灯は、自身が発動する魔術だ。
しかし、術の威力のみを追い求めて修練を積んで来たリグは、威力の加減がとても苦手である。
気を抜くと、加減を誤って森全体を焼き払いかねない。
ここに来て、「もっと真面目に修行しとけばよかった」と彼は後悔した。
威力に細心の注意を払いながら、掌に火球を灯してひたすら森の中を歩くが…、途中で道は分岐していた。
さらに運悪く、地面には落ち葉が大量に堆積しており、足跡の判別が出来ない。
ここで手掛かりは完全に途切れてしまった。
(どうしようか…一旦街まで戻って、衛兵にこの場所を知らせるか…。でもそれだと時間が…、もしフェニーチェが動いているのなら、さらに森の奥に入り込んでしまっている恐れもある…)
「クッソ、どうすりゃいいんだよ! 頼むよ…お願いだ…出て来てくれよ……」
…………………………
「な、何だ!?この感覚…」
リグがフェニーチェのことを一心に想った…その時だった。
決して耳障りではないが非常に甲高い音が、彼の両耳を貫通するようかのように流れた。
そしてその音は、彼の脳内で何やら方向を指示している。
(なんだ…俺を呼んでるのか…?)
突如聞こえた得体の知れないリグを呼ぶ音…、疲れによる幻聴かもしれない。
それでも…彼の直感は、この音がフェニーチェに関する何かを知らせているように思えてならなかった。
一縷の望みをかけて…、彼はその音に導かれるように再び歩み出した。
一方のフェニーチェ。
彼女は、森の奥深くで身動き出来ず蹲っていた。
というのも、真っ暗闇の森の中を灯もなしに当てもなく突き進んだ結果、高さ1メートルほどの小さい崖から転落、脚を挫き、さらにケガもしていたのだ。
彼女の穿いている白いタイツに真っ赤な血が滲んで、鮮明なコントラストを生み出している。
季節はもう初冬…、フェニーチェは骨の髄にまで染みる寒さと足の痛みに必死に耐えながら、不気味な動物の鳴き声だけが響く真っ暗な森の中で恐怖に慄いていた。
クラリスに手を上げられて、衝動的に屋敷を飛び出してしまった…。
彼女に叩かれたその瞬間は世界が真っ暗になるほどのショックを受けたが、すぐにそれは彼女の自分への愛情であったことに気付いた。
フェニーチェが許せなかったのは、クラリスが自身の陰惨な過去を打ち明けてまで自分を説得しようとしてくれたのに、彼女の想いを受け入れられなかった自分自身の不甲斐なさだった。
屋敷を飛び出して、かれこれ1ヶ月以上も滞在しているが未だに不案内なジオスの街中をふらつくこと約1時間…、気付くと城塞の北門まで来てしまっていた。
農作物を積んだ馬車や荷台車、農民と思われる人々が通行しており、ここを抜ければ城下の外に出ることが出来る。
(学校も退学になって…叔父様やお姉様たちにはあんな態度を取ってしまって…、もうわたしにはこの街に居場所なんてないんだわ…だったらいっそのこと……)
突如、良からぬ何かを思い立ったフェニーチェは、門を通って城壁外に出ようとした。
しかし…
「こらこら、お嬢ちゃん、どこへ行くの?」
小さな少女一人だけなのを不審に思われ、衛兵に呼び止められた。
恐らく、迷子だと勘違いされたのだろう。
すると、ここでもフェニーチェは持ち前の図太さと利発さを発揮する。
「この先の集落にあるお婆ちゃんのおうちに行くの。お婆ちゃんがわたしのためにクッキー焼いてくれて待ってるの、急がなきゃ!」
「おお、そうかそうか、それは呼び止めて悪かったね。気を付けて行っといで」
「うんっ、ありがとう! お兄さんたちもお仕事頑張ってね!」
フェニーチェの全く躊躇も陰りもない笑顔で元気ハツラツな演技に、衛兵たちは彼女が嘘を付いているとは微塵も思わず、温かく彼女を見送った。
さて、ついに城塞外へと出てしまったフェニーチェだが、当然行くアテなどない。
もう時刻は夕暮れに差し掛かり、辺りは暗くなってきた。
(わたしは本当に何なのだろう……あれほど多くの人たちに迷惑をかけて、そして自分は何がしたいのかわからない…。誰からも必要とされない、わたしはとんでもなく無価値な人間…、こんなわたし、別にいなくたって……)
そう、ふと頭の中に諦観が過ったフェニーチェは、徐に森の中へと入って行った。
途中、お気に入りの頭の上のリボンが枝に引っ掛かって落ちたが、もはや彼女にそんな些細なことに気付ける精神的余裕はなかった。
遭難したり猛獣に襲われて死ぬかもしれない…、でも、そうなったらそうなっただ。
所詮、そこまでの運命だったという話だろう。
彼女はそう自暴自棄になって、真っ暗闇な森の中をただただ突き進んで行った。
………そうして、今に至る。
痛みと寒さに打ち震えて…、先ほどまで理性を失っていたフェニーチェは、ようやく少しずつ冷静さを取り戻した。
そして今、彼女は自身の取った行動を酷く後悔している。
痛い…寒い…怖い…帰りたい……、しかし今となってはどう足掻こうとも、一つもどうにもならない。
全ては自分が悪い、自分の行動から起因した結果だ。
それでも……
「お姉様…助けて……」
フェニーチェは懺悔するように、涙を流しながら手を組んで祈った。
するとその時だった!
彼女の背後から、ガサガサと何かが近付いて来る音が聞こえる。
「動物…!?、どうしよう…怖いのだったら…、いや…来ないで……」
一層怖気付く彼女の願いも虚しく、間もなくそれは現れたのだが…
「おおっ、やっと見つけたぞ! この野郎、心配かけさせやがって…!」
彼女の目の前に現れたのは……、リグだった。




