第5章 13.愛の鞭
それから1時間後…、中等部2年の教室にて…
「授業中にすまないが、クラリス!、ちょっと来てくれ!」
授業中にも関わらず、いきなりアリアが教室に飛び込んで来た。
全く事情がわからず困惑するクラリスを連れ出す。
「あ、あの…、一体どうしたんですか…」
「実はフェニーチェのやつが、クラスの男子と大ゲンカをしてな…」
「ええ…!、なぜそんなことを…?」
「いや、原因自体は大したことじゃないんだが…、問題はここからだ。アイツ…、相手に向かって術をぶっ放しやがった…」
「ええっ…!、相手の子は……」
「大丈夫だ、幸い当たってはいない。ただ、アイツが放った魔弾があと少しでも外れていたら死人が出ていたかもしれない…。学院内では魔術演習時以外での術の使用は厳禁だ。ましてや人に向けて放ったとなれば……厳罰は免れまい……」
「そ、そんな…!、今あの子はどこに…?」
「大丈夫だ、姉貴…カンタレ先生が落ち着かせてるよ。ただ悪いが、アイツに会う前に学院長室に行ってくれ」
クラリスは動揺と不安を抑え切れない様子で、恐る恐る学院長室のドアを叩いた。
「失礼します…」
「おお、クラリスちゃん、急に呼び出してすまなかったね」
「いえ…こちらこそ申し訳ありません…。私の妹がとんでもない騒ぎを起こしてしまったみたいで…」
「うむ…、双方に事情を聞いたところ、先に手を出したのは相手の子のようで、どうやら狙うつもりはなく、怒りと恐怖で無意識に術が発動してしまったようだ…。とはいえ…学院内で人に向けて術を放ったことは事実だ。学院としては彼女に処分を下さざるを得ない。……先に手を出されたことを斟酌したとしても……退学処分は免れないだろう…」
退学処分…その言葉を聞いて、クラリスは改めてフェニーチェがやらかした事の重大さを認識した。
確かに、一歩間違えれば相手を死なせていたかもしれない…。
自身の術で人を殺めたトラウマを持つ彼女には、その重みは自身の罪の意識としてのし掛かるように感じられた。
「とりあえず、彼女には帰宅してもらう。クラリスちゃん、すまないが、君も今日は早退して、あの子を連れて帰ってもらえるか?」
「わかりました…」
その後、クラリスはフェニーチェを迎えに、彼女とフェニスがいる部屋に向かった。
「フェニーチェちゃん……」
意気沮喪して俯いたまま視線を合わせようともしないフェニーチェを見て、クラリスが悲しげに呟いた。
「やあ、クラリス…急に来てもらってすまなかったね…」
「いえ…こちらこそ、うちの子がご迷惑をお掛けして、本当にすみません…」
クラリスはフェニスに対し、まるで我が事のように心を痛めながら謝罪をした。
そして俯いたまま身動き一つせず、じっと椅子に座っているフェニーチェの元に行く。
「お姉様…ごめんなさい……」
フェニーチェは顔も上げずに、憔悴し切ったようにしょんぼりと口を開いた。
いつもの、元気いっぱいで気が強くあざとい彼女の面影はそこには全くなかった。
そんな弱々しい彼女の姿を見て、クラリスは居た堪れまくなり、咄嗟に彼女を抱き締める。
「うっ…うっうっ……」
大好きな姉の温もりと匂いを感じて…、フェニーチェは声を詰まらせて泣いた。
「さあ…お家に帰ろう…?」
フェニーチェの手をそっと握って…、クラリスは彼女を屋敷へと連れて帰った。
フェニーチェへの処遇は1週間後に決まり、それまで彼女には自宅謹慎が言い渡された。
彼女たちが家に帰るとすぐに、城での公務がなく在宅していたアルテグラは、フェニーチェを自室に呼び出した。
クラリスと、そしてフェルカもその場にいる。
「フェニーチェよ…、話は聞いたぞ。これは一体どういうことだ?、説明しなさい」
アルテグラが険しい表情を浮かべながら、淡々と問い質す。
ところが、フェニーチェの口から出た言葉は…
「わたしは…何も悪くありません…」
重々しくも、はっきりとした口調で彼女は答えた。
「何だと…?」
アルテグラの表情に、見る見るうちに怒りが宿る様子がまざまざと感じられる。
「確かに、みなさまにご迷惑をおかけしたことは申し訳なく思っています…。でも…先に手を出して来たのはあっちなんです…! 自分の身を守ろうとして…、それで思わず術が出てしまっただけです…」
「フェニーチェ、貴様!、自分が何を仕出かしたのかわかっているのかっ!」
フェニーチェの言い訳がましい返答に、ついにアルテグラの怒りが爆発した。
しかし彼女は、こんなところで持ち前の負けん気と図太さを発揮する。
「ええ、わかっています、わかってますとも! わたしが先に手を出されたのに…、何でこんなにも責められなきゃならないんですか? いっそ、本当に術が当たればよかったのに…あんなヤツ死んじゃえばよかったのに…!」
自分は間違ってないと信じて疑わないフェニーチェは、頭に血が上ったようにカッと反抗的な目をかっぴらいて、矢継ぎ早に言葉を吐き続ける。
ところが…、その時だった!
ピシッ!
「ッツ………!」
フェニーチェの頬を平手で引っ叩く、すっぱりとしたラップ音が部屋中に瞬時に響いた。
叩いたのはアルテグラ…ではなく……なんとクラリスだった!
その瞬間、クラリスは叩いた手を構えたまま、目を潤ませて憤りと悲しみに満ちた鬼気迫る顔でフェニーチェを見据えていた。
大好きな優しい姉に手を上げられて…、フェニーチェは打たれた頬を押さえたまま、自分の身に一体何が起きたのか…状況を飲み込めずに放心状態になっている。
「クラリスちゃん…!」
動揺するフェルカを尻目に、少しだけ落ち着いたクラリスは神妙な表情でゆっくりと語り出した。
「フェニーチェちゃん…、あなたの気持ちはわかる。でもあなたの言ってることは間違ってる。……私はガノンで人を殺めたわ…。その相手がどんな人間だろうと悪人であろうと…人を殺すのってとても辛いことなの…。人を殺めた現実を直視した瞬間、ずっと罪の意識に苛まれるの…」
さらにクラリスは、フェニーチェの体を揺さぶる勢いで彼女の両肩をガシッと掴み、涙を流しながら必死にフェニーチェに訴えかける。
「私はまだこんなにも小さい…、可愛いあなたにそんな思いをさせたくないの…!、お願い…わかってよ……」
尊敬する憧れの姉の渾身の説得に対し、フェニーチェは表情を見せないように深く俯いたままクラリスの手を振り払うと、逃げ去るように部屋を飛び出して行った。
「あっ…」
クラリスが引き留めようと手を伸ばすも、アルテグラは「ほかっておけ」と冷淡に言い放つ。
「嫌な役回りをさせてしまってすまなかったな…クラリス」
陰鬱な表情を浮かべて佇むクラリスに対し、アルテグラは心咎めで力なくそう言葉をかけた。
そしてフェルカは、そんなクラリスの苦しみが少しでも和らぐように、彼女を優しく抱き締めた。
それから数時間後…、リグも学院から帰っており、事の顛末を聞いていた。
「ダメです、旦那様!、フェニーチェお嬢様は敷地内のどこにもおられません!」
数時間前に、皆の前から走り去ったフェニーチェを捜索していた使用人の報告を聞いて、アルテグラは深いため息を吐く。
「ごめんなさい、お義父様…。やはり、私があの子にあんなことをしてしまったばかりに…」
「いや、お前のせいではない。元はと言えば、あの場であやつをみすみす行かせてしまった私の責任だ…。まったく…、とんでもないじゃじゃ馬娘を預かってしまったものだ…。………もう夕暮れも過ぎて夜になる…止むを得ん、街の自警団に連絡してあやつの捜索願いを出してくれ」
「はっ、直ちに!」
すると…
「父上!、俺もあいつ探して来ます!」
リグがそう一言言い残して、部屋から飛び出して行った。
「はぁ……」
アルテグラは心労気味に先ほどよりも深いため息を吐いて、項垂れるように両手を執務机の上に着いた。




