第5章 9.ビアンテ先生の真意
結界術……、あの時、スコットが皆の身を守るために使った、魔術の盾のことだ。
あれから、船内で彼の看病をしている時に、詳細な仕組みと発動過程を教えてもらった。
まず風術で空気の流れを操作する。
この時、四面体でも三面体でも多面体であれば形は何でもいいが、枠を形成するように操作しなくてはならない。
予測不可能な空気の流れを人為的に加工するわけなので、その過程を示す術式は非常に難解だ。
そうして形成された枠の角の頂点は結点と呼ばれ、人が術を使った痕跡として微量のマナが凝縮される。
その結点同士を直線で結ぶと、マナによる結界が生まれ、その結界内に術を封入すると盾が出来るという仕組みだ。
今から50年ほど前にジオスで偶然発見された原理らしく、この発見により、魔術戦の様式は大きく変わったという。
先生への得も言われぬ不信感、皆が私に注目しているプレッシャーはあるものの、ここは目を閉じて無心になり精神を集中させる。
ヒュー…!ヒュー…!
「おおっ…!」
私の周りで小さな旋風が起きているのがわかる。
皆の反応も耳には入るが、全く気にはならないぐらいに精神統一が出来ている。
私は宙に指で図形を描いて、結界を形成してみた。
目を閉じている以前に、結界自体が本来目視することが叶わないものだが、指が風圧に触れる感覚でその存在を認識することが出来る。
そして、その結界に手を当てるように、雷術を発動すると……
雷球は直進せずに、まるで軟体生物のようにしなやかに形状を変えながら結界内に収束した。
今、私の目の前には、一辺の長さ50センチ大の緑に光輝く盾が出来ている。
「はあ……はあ……」
自身が作った盾を見て…、一気に緊張の糸が切れた私は呪術から解放されたかの如く、汗だくになりながら重々しく息衝いた。
ガノンでスコットが発動したものに比べたら大きさも精度も雲泥の差であるし、そもそもこんなのでは実戦で役には立たないだろう。
全精神を集中させ、息を切らせながら作った苦心の作品も、ものの10秒ぐらいで霞むように消えてしまった。
それでも……
「す、すごい…!クーちゃん!」
「おいおい…やべえな、センチュリオン…半端ねえ…」
「すげえ…!、カッコよすぎる…!」
皆を驚愕させるにはこれで十分だったようだ。
「うむ、見事だ。ご苦労だった」
先生はいつもの冷厳な様子で、淡々と私に労いの声をかけた。
こうして授業は進んだのだが、結界術どころか風術すら満足に使いこなせない生徒もいる。
結局、私が見せた術は何の意味もなく、気が付けば、ただの基礎魔術の授業になってしまっていた。
そうこうしている内に、授業は終了した。
「すごいね、クーちゃん!めっちゃカッコよかったよ!」
「ホントホント、友達のウチらも鼻高々だよー! よーし、いいもの見せてくれたお礼に、今日のお昼は奢ってやる!美味しいもの食べよー!」
「ええ…、いいよ…そんな…悪いし…」
「なんだと〜、私の気持ちを受け入れられないってかー!この〜!」
ソラは楽しそうに笑いながら、腕で私の首を軽く締め上げて、私の頭を掻き回すように強く撫でた。
「こらこら…、大事な大事なクラリスお嬢様に何してんのあんた? こんなことしたら、ある日、いきなり怖いお兄さんたちに連れてかれるよ?」
「ひえ〜!、お嬢さまー、お許しくださーい!」
「あははははっ…!」
スノウとソラの戯事が可笑しくて面白くてしょうがなく、私はその場で笑い転げる勢いで笑った。
こんなに心の底から笑ったのって、いつぶりだろう…もしかしたら、これが初めてかもしれない。
これまで数え切れないほど涙を流して来た泣き虫な私だけど、笑い過ぎても涙を出ることをこの時初めて知った。
私が大笑いする様子を見て、二人は互いに顔を合わせてニヤリと笑った。
この後、二人には先に教室に帰ってもらい、私は一人演習場に残る。
先生の意図を問い質すためだ。
「先生、お話よろしいでしょうか…?」
「次の授業もある。手短にな…」
「何故…今日の授業で、私にみんなの前で術をやらせたんですか? 授業内容を見ても、私が術を見せる必要性が全く感じられなかったのですが…」
先生は、全く動揺する素振りを見せることなく、軽く鼻息を吐いて答えた。
「昨日編入してきたばかりの君は知らないだろうが、最近彼らは怠け過ぎている。私から言わせてもらえば、互いに切磋琢磨する競争意識が足りん。だから同じ年でも、戦場にまで出ている君の姿を見てもらって、彼らの向上心を刺激しようと試みたのだ。正直、そのために君を利用したことは悪かったと思っている。それについては謝罪しよう…」
先生の顔が、少し人情味を帯びて柔らかくなった印象を受けた。
彼と出会ってまだ2日ではあるが、それは初めて見る穏やかな表情だった。
てっきり、私の実力を見たいがための利己的な魂胆かと思っていたが…、しかし嘘を吐いている様子は感じられない。
聞くのが怖いが…、私は核心の質問をぶつけた。
「……先生は…どこまで私のことをご存知なんですか…?」
しかし、それを聞いた途端、先生は再び表情を険しくさせて、ぶっきらぼうに言い放った。
「それを君に教えなくてはならない筋合いはない。さあ、もう時間だ。早く教室に戻りなさい」
先生は一方的に話を打ち切って、去って行った。
さて、昼休みになり、食堂でスノウとソラと3人でご飯を食べていると…
「ねえねえ、私たちもご一緒していい?」
そう言って、私たちの横の空いている席に入って来たのは、スノウとソラ以外のクラスの女子たちだった。
「すごいよねー、クラリスさん、結界術なんてどこで習ったの?」
「名家のお嬢様って休みの日とか何してるの?」
「髪の毛すごくキレイ…。いつもどうやって手入れしてるの?」
「王様や王女様にお会いしたことってある?」
全く共通性のない質問が乱雑に彼女たちから投げかけられるが、それをソラが制した。
「はいはーい、みなさん、クラリスお嬢様にご質問がある場合は、このわたくしを通してくださ〜い!」
「何で、あなたが仕切ってるのよ?」
彼女たちの一人がソラに怪訝そうに突っかかるが、それを見てスノウが宥める。
「まあまあ落ち着いて…。でもクーちゃんだって、一度にそんな質問浴びせられたら可哀想でしょ?」
「まあ、それもそうだね…。てか、『クーちゃん』なんて呼んでるの!? センチュリオンのお嬢様を?」
「そうだよー。あたしが付けたんだー!」
「じゃ、じゃあ…私たちもそう呼んでもいい…?」
「う、うん…」
彼女たちから一斉に好意の目を向けられ、私は戸惑いと気恥ずかしさを隠せない。
そうしていると、今度はクラスの男子までもがやって来た。
「なあなあ、俺らもその子とお話ししたいんだけど…」
「男性は有料となりまーす。入れて欲しかったら、あそこで全員分のフルーツパイ買って来てくださーい」
「ふざけんな、この下ネタ女!」
「はあ?、なんですって!?」
「おい、こら、やめろって…!」
「ちょっと、ソラ、あんたいい加減にしなさい! クーちゃん困ってるでしょ?」
ソラが男子に向かって放った一言は、クラスの男女入り混じった大口論へと発展した。
それを側で見ていて、ある意味一番の当事者である私は酷く当惑したものの、一方でクラスの皆に受け入れてもらえた安堵感と喜びを内心で噛み締めていた。
というのも、私が皆の前で術を見せた際、これが原因で皆が私から距離を置いてしまうのではないかという不安があったからだ。
でも実際は…、そのおかげで、皆と距離を縮めることが出来た。
まさか、先生はこのことを見越して、私に皆の前で術をやらせたのだろうか…。




