第5章 8.仕組まれた魔術演習
翌日、教室に入ると、やはり私の前の席の彼女は欠席していた。
「クーちゃん、おはよー!」
私の姿を見ると、スノウとソラが飛び付くようにやって来た。
「おはよう、スノウちゃん、ソラちゃん」
「んもう…!今日も可愛いなあ〜!よしよし…」
二人はまるで犬猫を扱うように、やや乱雑に私の体にペタペタと触れる。
いきなりのことだったので困惑はしたが嫌な心地は全くせず、むしろ心がホッと満たされるようだった。
そうして朝のひと時を、二人と戯れて楽しんでいたのだが…
ガラッ!
その音だけで、朝の賑やかな教室内は一瞬にして嫌な静寂に包まれる。
ビアンテ先生の姿を確認すると、皆がそそくさと席に着いた。
「私が入って来て、皆が席に着くまで1分掛かったぞ。いつも、私が来るまでに席に着いておくように言っているだろう? 何故君たちはそんな程度のことも守れないのだ?」
こうして20分ほど先生のお説教が続いた。
「たかが1分で出来ることを君たちが怠けたがために、20分ものの時間を無駄にすることになった。20分もあればどれだけ有意義に時間が使えるか…、君たちはわかっているのか?」
(だったら、あなたが説教なんてしなきゃいいのでは…?)
先生を除く、ここにいる誰しもがそう思っているはずだが、それを口に出せるようなツワモノは、あいにくこのクラスにはいない。
皆の顔にも疲労が見え始めた頃…、ようやくお説教は終わって、先生は本題を切り出す。
「さて、今日の3限目は魔術演習を行う。皆、遅れずに演習場に集まるように」
先生は手短に用件だけを伝え、矢継ぎ早に、お説教のせいで20分も遅れてしまった授業を開始した。
学校での授業内容は術式、語学、算術、世界情勢、地理、歴史など…、屋敷で学んでいたことと大差はない。
授業のレベルは、正直なところ、屋敷でカンタレ先生に教えてもらっていた内容よりも、数段落ちる。
これだけの大人数の理解度に合わせてやっているのだから、当然と言えば当然だが…。
勉強は家で自習も兼ねた方が良さそうだ。
ところでこの学院…、 “魔導” などと名は付いているが、実質は官吏養成機関としての側面が強い。
花形である宮廷魔導士にはなれなくても、この学院の生徒たちの卒業後の進路は、役人や王立公社、公益団体の職員など、何らかの形で国や王室に仕えることとなる。
そのため、魔術のみでなく、勉学においても良い成績を収めることが要求される。
ちなみに、最近の人気の就職先は、酒や煙草、ノポリーなどの劇薬を独占的に製造販売する王立専売公社の職員だ。
理由は、単に給金が段違いに高いから。
一方で成績が悪いと、卒業後、フォークなどの地方や僻地の支所へ赴任させられるらしく、このことは通称 “フォーク送り” と呼ばれていて、生徒皆から揶揄されている。
先生や親は、『こんな成績じゃあフォーク送りにされるぞ』という常套文句で成績の悪い子を叱咤するらしい。
ターニーたちセンチュリオン北家の皆が住む街フォーク…、別にそんなに悪い場所ではないのだろうが、ずっと城下で生まれ育った彼らには、都会っ子特有のプライドみたいなものがあるのだろうか…。
さて、2時限目が終わり、次は朝に先生が言っていた魔術演習の時間となった。
私たちはまたお説教を食らわないためにも、余裕を持って演習場に向かう。
すると、その途中、廊下でリグとすれ違った。
昨日の遺恨はすでに消えてはいるが、ああ言ってしまった手前なので、私は彼に視線も合わさずそのまま通り過ぎようとする。
「おい、なあ、クラリス!、どうしたんだよー!」
リグは焦ったように私を追いかけようとするが、その時だった。
「コラッ!、君ねえ、お姉さんに迷惑ばかりかけちゃダメでしょ?」
なんと、リグの前にスノウとソラが立ちはだかった。
「な、何だよ…あんたら…?」
リグは困惑しながらも強気の姿勢を見せるが…
「まあ、何なの? 上級生に向かってその口の聞き方は!」
「いっぺん、締め上げて痛い目見せないとわからないようね…」
少し演技臭くリグの前に凄む二人の威圧感に、彼は涙目になっていた。
「ひ、ひぃ……、ご、ごめんなさーい…!」
呆気なく二人との神経戦に音を上げて…、リグはその場から野良犬のように逃げ去って行った。
「ゴメンね、勝手に弟くんイジメちゃって…」
「ううん…むしろこれぐらいやってくれた方が、あの子にもいい薬になると思うし…。こっちこそ、迷惑かけてごめんね…」
「もう…、そんな申し訳なさそうな顔するなっての。はいっ、笑え!、笑ってた方があんたは絶対に可愛いんだから!」
一瞬表情をキッと引き締めたソラは、そう言って私の背中をパシッと叩いた。
「ふふふ…ありがとう二人とも…」
私を元気付けようとするソラの雑な気配りが、何だか可笑しくて思わず笑いが漏れる。
「そんなことより急ごう!またあのイカレメガネに何言われるかわかんないよ!」
『イカレメガネ』とはビアンテ先生のことか…。
本当に酷い言われようだ。
そんなソラが名付けた先生の蔑称すらも、私たちだけの知る秘密の暗号のような気がして、何だかとても楽しく思えた。
こうして、今度は先生の言い付け通り、時間内にクラス全員が演習場に集まった。
魔術演習時の服装は、男子は簡素で無地のシャツとズボン、女子は同じ生地のワンピースだ。
私がガノン行きの船に乗り込んだ時の服装とあまり変わらない。
そして、3限目が始まると同時に先生は演習場に現れた。
「では、早速演習を行う。いつもは基礎魔術を教えるのだが、今日は少し趣向を変えて、応用術をやってみよう。今日やるのは結界術だ」
そう先生が伝えた途端、皆からは動揺の声が上がった。
「結界術…、応用どころか上級魔術じゃないか…」
「そんなの、高等部ですら学ばないだろ…」
「私らに出来るわけないじゃん…」
「静かに!」
先生が一喝して、皆の動揺の声を鎮める。
「今この場で君らが結界術を使いこなすことなど、全く期待していない。というより普通に考えて不可能だ。大事なのは難題に挑んで、正解にたどり着けなくとも、1センチ1ミリでも正解に近付こうとする姿勢だ。今日の授業はそれを学んで欲しい」
先生はそう言ったが、それでも皆は不安げな表情を崩していない。
「とりあえず、誰かにやってもらおう。……センチュリオン君、前へ。」
「は、はいっ…」
私は全く予期もせず、先生に指名されてしまった。
再び、皆から動揺の声が上がる。
「おい…いくらセンチュリオン本家のあの子だって、さすがに結界術は無理だろ…」
「ダメ元でやらせてみるだけだろ…。あくまで俺らの代表みたいな感じでさあ…」
しかし、今度は先生は皆の声を封じなかった。
まるで、言いたい奴には言わせておけと言わんばかりに…。
釈然としないまま皆の前に出た私に対し、先生が私だけに聞こえるように耳元で囁いた言葉とは……
「ガノンでの戦闘で学んで来たのだろう? 遠慮はいらない…、皆に手本を見せてあげなさい」
(な、何なの、この人は!?、一体、私のことをどこまで知っているっていうの…?)
先生の底知れぬ不気味さと胡乱さに、私は思わず恐怖心を抱いてしまう。
恐る恐る先生の顔を見ると…、彼は悪巧みをしているかように邪な笑みを浮かべていた。
というか、その時の私にはそのように見えてならなかった。
先生は皆には背を向けているので、その顔は私だけにしか見えていないが…。
そういえば、昨日初めて先生と会った時、彼から『君の実力を見せてもらおう』と言われた。
まさか…、この授業はそのためだけに仕組まれたものだったのか…?
「……わかりました、やってみます…」
先生に対する不信感と不快感…、私は彼に対し、小声で無愛想にそう言い放って覚悟を決めた。




