第5章 4.初登校
そして、屋敷から歩くこと約20分、ついにジオス城のすぐ東側に位置する魔導教育学院に到着した。
壮観な校舎は煉瓦造りの3階建て、外壁は所々酷く退色し、建物全体が蔦で覆われていて相当な築年数が経っていると思われるが、老朽化している感じは一切なくむしろ歴史の重みを漂わせる。
城を守護するようにそびえ立つその堅牢さは、まさに学院の伝統と威厳を体現しているかのようだった。
学院は9歳から17歳までの9年生で、つい先日9歳になったばかりのフェニーチェは初等部の1年次に、現在13歳の私は中等部の2年次に編入することになった。
学院全体の現在の生徒数はおよそ250人…、1学年1クラスのみで、クラス内の生徒数はその年々でやや変動する。
まず、登校初日の私たちは、学院長に面会することになった。
制帽とローブは、学院生であることを対外的に生徒に自覚させるためのものなので、校舎に入ると私たちはそれらを脱ぐ。
お義父様はその学院長に無理を言って、私の急すぎる編入を認めてもらったと言っていた。
二人はかなりの懇意の仲のようだが…。
校舎に入り、少し頼りないリグの案内で学院長室に向かう途中のことだった。
「おーい、クラリス!」
背後から私を呼ぶ、とても聞き慣れた…、とても懐かしい…、とても心地の良い声…
「姐さん!」
私は咄嗟に振り返り、再会の喜びを抑え切れずに大きな声でアリアの呼びかけに応えた。
「バカッ、今は先生だ。ちゃんと喋れるようになったんだな、本当よかったよかった…」
そう冗談半分に叱責しながら私の元に駆け寄ったアリアは、慈しむような優しい笑みを浮かべて私の頭を撫でてくれた。
「それにしても、よく来てくれたな…。制服…よく似合ってるぞ」
「ありがとうございます…」
彼女に制服姿を褒められて、私は嬉しさと気恥ずかしさが入り混じったままお礼を言う。
「おっ、その隣の子は?」
興味津々にアリアに見つめられるフェニーチェは、彼女の大きな体と威圧感に怯えたのか…、サッと私の後ろに隠れてしまった。
「こら、フェニーチェちゃん、大丈夫よ…。ちゃんと先生に挨拶して…?」
顔を強張らせてギュッと私の腰にしがみ付くフェニーチェに対し、私はアリアに挨拶するよう促す。
ところがそれを見て、アリアは「ははははっ…!」と全く気にしない様子で軽快に笑った。
「まあ、そう言ってやるなって。お前だってアタシと初めて会った時、ビビってたじゃないか」
「いや…だってあれは……」
バツが悪そうに押し黙る私を尻目に、アリアは膝を曲げて、徐にフェニーチェに視線を合わせる。
そして、指の長い美形な手を、フェニーチェの頭にそっと当てて言った。
「この学校の教師をやってる、アリア・ビエット・ピレーロだ。お前のお姉さんとはちょっとした仲でな。なあに、そんなに緊張しなくとも直に慣れるさ。よろしくな!」
「は…はじめまして…フェニーチェ・ヴィア・センチュリオン…と言います…。よ、よろしくおね…がいします…」
「はいっ、よくできました」
アリアはフェニーチェの頭を強めに撫でながら、辿々しくも自己紹介が出来た彼女を、私にすら見せたことのないような女性らしい柔らかな表情で大らかに褒めた。
フェニーチェはアリアの人柄がわかってホッとしたのか、はにかむように純真無垢な笑みを見せる。
ところで…、気付くとリグは私たちの前から姿を消して、数メートル離れた大柱の陰に身を隠していた。
本人は隠れ切ったつもりみたいだが、バレバレである。
するとその様子を見たアリアが、少し離れたリグにも聞こえるように、大きめの声で言った。
「おい、リグ! 先輩としてこの二人にみっともない姿は見せるなよ? こいつらに迷惑かけたら、アタシが許さないからなー!」
リグの反応を見ることなく、彼女は「じゃあな!」と私たちにカッコよく一言告げて、颯爽と去って行った。
……と思いきや、最後の最後で、急に何かが気になったように振り向いて、私に尋ねて来た。
「ところでお前ら、今からどこ行くんだ?」
「学院長室ですけど…。学院長とお話をしに…」
「バーカ、全然逆方向だぞ? 学院長室はあっちだ」
「えっ…?」
案内役のリグに視線を向けると…、彼はとても気まずそうにゆっくりと視線を後方に逸らした。
こうして、私たちはリグに冷たい視線を浴びせながら、元来た道を戻っている。
「もうっ…アンタ一体どうなってるのよ!、さっきからダメダメじゃない! そんなんでよく先輩面していられるわね?」
「う、うるせえなあ…。誰にだって失敗はあるだろ…」
「まあまあ、二人とも落ち着いて…」
苛立つフェニーチェとそれに応戦しようとするリグ…、他生徒の目もあるのに口論をし始める二人を私は何とか宥める。
気を取り直したリグは、私に訝しげに尋ねた。
「ところでさ…何でお前とあの先生知り合いなの? 一体どこで知り会ったんだ?」
「うん…、それはちょっと秘密かなあ…」
「何だよそれ?、教えろよー!」
決して勿体ぶっているわけではない。
私がガノンの地で戦闘に参加していたことについて、箝口令が敷かれているのだ。
あの時、お義父様の権限で私はアリアの隊に組み入れられたが、それは公の記録には残されていない。
記録上は私はあの場にいなかったことにされている。
さすがに国としても、いくら宮廷魔導士の家系とはいえ、13歳の少女を戦場に立たせたという事実は都合が悪いようだ。
私がガノンに行ったことを知っている、家族や家中の人たちに対しても、あくまで私は船内で待機していたことになっている。
ちなみにアリアも、ここでは、彼女の本当の身分が魔導部隊の部隊長であることを、公にはしていない。
リグも彼女のことを、ただ怖い先生だとしか思っていないのだろう。
さて、なんやかんやあったが、私たちは予定よりも少し遅れて、学院長室に到着した。
「失礼します…」
控えめにノックをして、緊張しつつゆっくりとドアを開けると…そこにいたのは……
「やあ、クラリスちゃん、お久しぶりだねえ…」
「あ、あなたは…!?」
そこにいた学院長は温和で人柄が良さそうな老年の紳士…、この人は…確か……
「あの…晩餐会の時にお会いした…?」
「そうだよ、覚えていてくれて嬉しいねえ…」
そう…、この人は晩餐会の日、フェルカとともに接客で場内を回っていた時に、初対面の私に温かく接してくれた、あの老紳士だった。
「改めて自己紹介をしよう。私の名はティアード・グラン・ニローネ、この学院の学院長を務めている。君たちのことはアルテグラ君から聞いているよ。今日からどうぞよろしくね」
「こちらこそ…よろしくお願いします…!」
学院長は私たちの緊張を和らげるように、気さくに物腰柔らかに自己紹介をしてくれた。
ところで、お義父様のことを『アルテグラ君』って…。
フェルカとも面識があったから、我が家とも親しい付き合いのようだが…。
失礼かとは思ったが、私はどうしてもそれが気になって、思い切って聞いてみた。
「あの…大変失礼かとは思いますが…、父とはどういったご関係なのでしょう…?」
「ああ…これは失礼したね。君たちのお父上…アルテグラ・ディーノ・センチュリオンは、私の元部下だ。今ではこんな老いぼれだが、昔はこれでも魔導部隊の長官をしていたのだよ。まあ、我が家自体はセンチュリオン家とはそれほど縁はないのだが、元上官のよしみでね…、毎年お邪魔させていただいているわけだ…」
「魔導部隊の長官……マジっすか?、すっげえー!」
思いの外、リグが円らな目をキラキラと輝かせて食い付いた。
「さあさあ、もう授業は始まっている。リグ君、君は教室に行きなさい」
学院長は興奮するリグを微笑ましそうに見つめながらも、彼を優しく部屋から追い出した。




