最終章 16.女王レイチェルの婚活記(中)
それから小一時間後、レイチェル一行は無事予定通りシュナイダー邸に到着。
盛大な歓迎式典の後、早速アスターとの会談が行われた。
「ヴェッタ公国領主アスター・シュナイダーと申します。この度は遠路遥々お越しいただきありがとうございました、女王陛下」
「ふふふふ、何を今更。私とあなたはかつて共に戦った仲ではありませんか。堅苦しい挨拶など無用ですよ」
「ははははっ、そうでしたね。ただそれにしても、私は軍服を身に纏った勇ましい姿しか存じ上げないので、ドレス姿はとても新鮮ですね。大変お麗しい御姿ですよ」
アスターのその言葉はあくまで社交辞令なのだが、レイチェルは大人に容姿を褒められた少女のように表情をはにかませる。
実は二十数年前、二人の最初の出会いの際、アスターがレイチェルに対して好意を抱いていたことを、彼女は薄々気付いていたのだ。
もちろん戦時下の当時、そんな色恋沙汰に現を抜かせる状況ではない。
ただ少しでもあの時のアスターの想いを汲み取ってあげていれば、心悲しい今とはまた違った未来もあったのではないかと、レイチェルは内心悔やんでいた。
「…チェル様…?、レイチェル様…?」
そんな雑念が去来して上の空なレイチェルに対し、側近のヘリオが小声で注意を入れる。
「今はアスター様との会談中ですよ?、しっかりなさってください。大変な失礼を…、申し訳ございません、アスター様」
「まあまあヘリオ殿、気になさらないで下さい。きっとレイチェル様も長旅でお疲れなのでしょう。ただもしお体の調子が優れないのであれば、今晩の晩餐会は御欠席されますか? 出席者の面々へは私の方から事情を説明しますし」
「いえ、問題ありません。私の歓迎のために、多くの方々にお集まりいただいているのです。ここで欠席などしようものなら、両国の蜜月な関係に水を差すことになるでしょう。今晩の晩餐会、とても楽しみにしていますよ」
一転、レイチェルの毅然とした物言いに、ホッと胸を撫で下ろした様子のアスターとヘリオ。
だがレイチェルの心中は…
(本日の晩餐会では、ヴェッタやその近隣の国々から多くの貴族名家の方々が集まると聞いています。何とかその中から、めぼしい殿方を見つけられないものか…。ジオスでは王位継承者不在が問題になっているし、その影響で本来関係のないビバダムまでもが矢面に立たされている…。いい加減に不毛な騒動に終止符を打つためにも、この機会、何としても物にせねば…)
彼女は彼女で、皆が予想だにしない斜め上の覚悟を決めているようだ。
そんなこんなで会談は予定通り進み、その終わりがけになった頃…
「ところでアスター殿、私個人としてお伺いしたいことがあるのですが」
「はい、何でしょう?」
「今貴国では全裸男はどうなっているのですか? ここまでの道中、ヴェッタの市中を見渡しても全くその面影を見つけることが出来なかったのですが…」
「……!?、ちょっ、ちょっとレイチェル様っ…、一体何を……」
レイチェルの唐突な問題発言で慌てふためくヘリオ。
一方のアスターは、辛うじて平静を装った引きつった笑顔で答える。
「か、かつてはそんな流行りもありましたかね…。しかしまあ、熱狂というのは過ぎ去るのも早いものですからねぇ…。今では誰も、記憶にすらしていないと思いますよ、あははは…」
「そうですか…、もう全裸男はこの街にいないのですね…」
レイチェルは失意に打ち拉がれた様子で、これ以上尋ねることはなかった。
(レイチェル様には申し訳ないが、我が兄があの全裸男だったことなど口が裂けても言えない…。というよりも、ようやく20年もの年月をかけて我が国の汚点が風化されようとしているのに…。嫌な思い出を蒸し返さないでいただきたいものだ…)
……………………
さてその翌日、レイチェルたちはヴェッタの各名所を見て回っていた。
昨日に引き続き一行の行く先々では、あの “鉄の王女” を一目見ようと多くの人々が押し寄せる。
「おおっ、あれがあの……あれ…、なんか思ってたのと違う…。サーニー先生の話の中じゃあ、もっと凛々しくて覇気があるイメージだったんだけどなぁ…」
「まあ綺麗は綺麗だけど、あれじゃあただのオバ……」
「そりゃあ実話を元にしてるとは言え、先生のはあくまで創作だからな。それにもう20年以上も経ってるんだし、モデルとなった当の本人だって歳取ってるだろ」
そんな一部の不敬な声もある中、レイチェルは人々に女王らしい高貴な笑顔を振り撒く。
さてそんな彼女の様を、訝し気に目を細めて見ていたのがヘリオだった。
(昨日のアスター様との会談での粗相に、晩餐会での出席者の面々を威圧するかの如くの鋭い眼光…。いや、昨日に始まったことではない…。どうもここ最近、レイチェル様のご様子がおかしい。何か雑念に囚われているというか、注意散漫というか…。かつて鉄の王女として恐れられた、俺が生涯において忠誠を誓ったレイチェル様は、このような御方ではなかったのだが…。もちろん、それも世が平和になったという証左ではあるし、決して悲観すべきことではないが、それでもやはり腑に落ちん…。せめて何か心に抱えていらっしゃるのであれば、俺に相談して下さればよいものを…)
無粋な中年男女のすれ違いはなおも続く。
その後、次の訪問先へと馬車で向かうレイチェル一行。
だがその時…
「うっ…うううう……」
「……ッ!?、レ、レイチェル様っ…?」
なんと突然、レイチェルが腹部を押さえて呻き出したのだ。
「いかがなさいましたっ、レイチェル様っ…?」
「ううう…、急に腹痛が……。しかし…問題はありません……」
「いえっ、そうは参りませんっ。申し訳ないっ、女王陛下のご様態が悪化したっ。大至急医者の手配をっ…!」
「なんとっ…、それは一大事っ…! 進路を変更して、至急近隣の医院に向かいますっ。もうしばらくのご辛抱をっ」
それから十数分後、一行の馬車は最寄りの診療所に到着した。
「大丈夫ですか、レイチェル様…。すぐに医者に診察してもらいましょう」
「面倒をかけて申し訳ないですね、ヘリオ…。ただ診察にかかる前に、お手洗いへ案内するよう伝えてもらえませんか…? もしかしたらこちらの食事に胃が慣れておらず、食当たりを起こしただけなのかもしれませんので……」
「なるほど…、かしこまりました」
こうしてレイチェルは、医者に診せる前にまずはトイレへと案内される。
ところが…、10分以上経過しても彼女は出て来ることなく、様子を伺おうとノックをしても何の反応もなかった。
(確かレイチェル様が入られて数分後に、やや大きい物音が中から聞こえた…。まさかっ…、レイチェル様の御身にっ……)
最悪の事態が脳裏を過ったヘリオ。
「御無礼をお許し下さいっ、レイチェル様っ!」
ドゴッ!
流石にこの局面では平静を失わざるを得なかったヘリオは、身体強化した腕でドアを破壊して突入した。
さて、肝心のレイチェルの安否はというと…
「……ッ!?、な、何だこれはっ…!?」
なんとそこにあったのは、脱ぎ捨てられたレイチェルの天色のドレスのみ。
さらに外窓はぱっかりと開いていた。
「な、何なんだ…、どういうことだ一体…… んっ、これは…?」
狼狽するヘリオはふと、ドレスの下から一枚の紙切れを発見した。
そこに書かれてあった内容とは…
“心配無用”
明らかにレイチェルの筆跡である、あまりにも素っ気ない一言…。
「うぐぐぐっ……レイチェル様ぁっ…!」
無意識に紙切れを握りつぶすヘリオ。
彼が敬愛してやまない主君に対して、初めて憤りの感情を持った瞬間であった。
一方その頃、忠臣を裏切ってまでして “大脱走” をやり遂げたレイチェル。
薄地のシャツにパンツルックという、至って簡素で軽やかな装いだ。
「ふふふふ…、まさかドレスの下にこれを仕込んでいたなど、誰も夢にも思わなかったでしょうね。やはり私には、ドレスよりもこちらの方がしっくり来る。まあだからこそ、殿方との縁が訪れないのかもしれませんけどね…。ヘリオたちには申し訳ないことをしてしまいましたが、予め決められた場所だけを見て回っても、その国の真の姿は見えないというもの。さて、抜き打ちの視察へと参りましょうか」
こうして一人颯爽と、レイチェルはヴェッタの市中へと入り込んで行った。




