第5章 1.フェニーチェ、再びジオスへ
これより第5章となります。
きな臭く陰鬱とした前章とは異なり、再び平和な日常回です。
騒動はありますが…(笑)
今章は前半と後半とで、エピソードがクラリス視点と第三者視点とに別れます。
ただし、この第一話だけは、前章の内容を受けて設定説明が入ります。
ジオス軍魔導部隊のガノンへの派遣…いわゆるガノン戦役から1ヶ月が経った。
あくまで、ガノン人民政府の残党兵の掃討作戦を手助けするために一部隊が派遣されただけの、小規模な軍事作戦に過ぎなかったが、それによって得た恩恵はジオス王国の変革の起爆剤になろうとしていた。
そもそも、クアンペンロードに現存する唯一の王国ジオスは、不文法による絶対王政、伝統的な様式の重装兵団、城塞で囲まれた市街地など…、他国の変革の潮流からは距離を置き、頑なに伝統と慣習を踏襲して来た。
しかしその一方で、魔導工学が発達して繁栄を謳歌する隣国フェルトとは、ますます文明レベルでの差が付き始めた。
今日ではジオスでも人々の日常生活に浸透している、魔導灯や魔導コンロなどの魔導器具も、フェルトでは既に前世代より使用されていたものだ。
また、クラリスたちがガノンへ乗って行った輸送船は、ジオスがフェルトから賃借した傭船で、魔導ボイラーを動力源にした最新の蒸気船であった。
魔術大国であり世界最強の魔導士軍団を要するジオス…、他国による侵攻の心配こそないが、世界の革新の波に取り残される祖国を憂う者たちもいた。
その一人が、クラリスの父アルテグラ・ディーノ・センチュリオンである。
ガノンで見た、もはや戦争の手段が剣や槍、弓から銃へと変わってしまっている現実…、暗号変換することなく多量の情報を一度に送信出来る、次世代の魔光通信…、大魔導士の渾身の一撃にも相当する高威力の魔導砲…、そして、ガノン人民政府が末期に開発したという、馬を使用しない魔燃料動力車なる乗り物…。
ガノンでの経験は、アルテグラに大いなる刺激を与え、彼は旧態依然の王国の改革へと邁進することとなる。
ガノン軍部との交渉で、魔導銃の技術供与を確約させたアルテグラは、まず魔導銃の自国生産と、軍の全兵士への銃の配備を提案した。
さらにそれに合わせて、魔導工学研究所設立と、ガノンからの低質マナタイトの大量輸入も計画した。
魔燃料の原料となる低質マナタイトは、ジオス領内の鉱山でも産出は可能だが、将来のジオス領内での需要を考えると、枯渇する恐れがある。
それに対し、ガノンのある西大陸の山々には、マナタイトがまだまだ潤沢に眠っている。
昔は魔術に対する防御力を向上させるということで、高純度のマナタイトは王族貴族や高位軍人の防具装身具用に大変重宝され、一方で低純度のマナタイトは加工するのも面倒ということで、値も付かずゴミ同然に扱われて来た。
ところが、ジオスを除いて王侯文化が廃れ、魔導工学が世界中を席巻し、加工技術も進歩した現在では、工業用としての安価で低純度なマナタイトほど重宝されている。
さて…、アルテグラのような世界の中での自国の立ち位置を冷静に分析し、気高に変革を訴える者がいる一方で、伝統に固執し、変化を頑なに拒む者もいる。
自らを上級兵と標榜する重装兵団や、その周辺の派閥を中心とした守旧派だ。
特にアルテグラか提唱する軍改革は、彼らの存在意義をも失墜させかねない内容であったため、猛烈な反対が起きた。
他方で、アルテグラたち革新派の勢力基盤は、魔導部隊である。
彼らは、遠征などで世界情勢について知見を深めており、現実に即した柔軟な発想を持っている。
王国内での革新派と守旧派との軋轢は、魔導部隊と重装兵団との代理戦争の様相を呈して来た。
現王、第15代ジオス国王デュラ・クレセント・ジオスは、専断弊政が目立った前王を反面教師にして、周囲の声を積極的に聞き入れて、それを王政に反映させることを自身の政治理念に掲げた。
王の権威の失墜や、政治における優柔不断を生むのではないかという懸念する声も聞かれたが、現王政が発足して7年目…、今のところは善政と言ってもよく、民衆の支持も厚い。
そして、現王よりブレーンとして熱い信頼を得ているのが、アルテグラである。
彼の進言を、現王は積極的に聞き入れ、王命として具現化したものも多い。
しかし一方で、そんなアルテグラの活躍に対し、彼に強い反感を持つ者が一定数いることも事実である。
実のところ、アルテグラは命を狙われてもおかしくない立場だ。
それでも…、彼への暗殺計画などが持ち上がらないのは、熟練魔導士でもある彼の命を殺ろうなどと考える命知らずはこの国にはいない…、ただそれだけの理由である。
直接抹殺出来ないとなれば、彼の失脚を陰謀する者たちが取る行動とは……
私が起こしたあの騒動から早1ヶ月が経った。
明日はいよいよフェニーチェがジオスにやってくる日だ。
彼女は護衛役とともに、今から3週間ほど前にフェルトを出立し、専用の馬車を早馬の如く飛ばして、急ぎ足でジオスに向かって来ているらしい。
こちらとしては、ゆっくりと安全に来て欲しいものだが、一方で、あの可憐な小悪魔の顔を4ヶ月ぶりに見えることを想うと、心が弾んで中々寝付けない。
そして、翌日の昼過ぎ…
「クラリスちゃん、そろそろみたいよ。行きましょ!」
「はいっ、お姉様!」
城塞正門の詰所より、フェニーチェの馬車が先ほど正門を通過したとの連絡があった。
連絡には魔光通信を用い、通信の傍受に数分、さらにそこから暗号変換に20分ほど掛かるので、到着は間も無くということだろう。
私とフェルカと数人の使用人が、屋敷の正門前で待つことおよそ10分弱…、遠方から小型の馬車がやって来た。
馬車は私たちの前でキィッと音を立てて止まり、そして……
「お姉さまー!!!」
間髪入れずに、自身の足下も確認せずに座席からバッと飛び出して来た可憐な少女は、その陽の光でキラキラと輝く金髪の巻き髪を揺らしながら、一目散に私の胸元に飛び込んで来た。
「こらこら…ちゃんと、足下見ないと危ないでしょ?」
「えへへ…、ごめんなさーい、お姉様」
フェニーチェのあざとらしい笑顔を見て、私も釣られるように笑った。
「ふふふ…、長旅お疲れ様だったね…。ようこそジオスへ、フェニーチェちゃん」
「お姉さま〜、会いたかったですぅー!」
彼女は私の腰回りにギュッとしがみ付き、私の胸元にボスッと顔を埋めた。
「へへへ…お姉様やっぱりいい匂い…」
恍惚とした顔を浮かべるフェニーチェを、少し呆れながらも愛おしく感じ、私は彼女の頭を優しく撫でる。
すると、フェルカがフェニーチェをからかうように、意地悪な笑みを浮かべて顔で言う。
「あらあら…すっかりクラリスちゃんに取られちゃったみたいね…。もう私のことは嫌いになっちゃったのかなあ…?」
「そ…そんなことないです…! フェルカお姉さまー!」
フェニーチェは酷く焦った様子で、忙しなく私の元からフェルカの胸元に移動する。
そんないじらしい彼女を見て、私とフェルカは顔を合わせて互いに微笑んだ。
「お嬢様方、お楽しみ中のところ申し訳ありませぬ。旦那様方がお待ちです。応接間に参られますよう…」
コマックの案内で、私たち三人はお義父様たちの待つ部屋に向かった。




