最終章 閑話7.それぞれの20年後(レティーナ、アレックス編)
ここはヴェッタにある、街唯一の写真館。
そのカウンターに座っているのは一人の男性だった。
やや暇げな様子で、コーヒー片手に新聞を流し読みしている。
(『全裸男騒動から20年。ヴェッタ全土を巻き込んだあの熱狂は一体何だったのか』か…。そりゃあそうだよなぁ…。あんな変質者が人気になるなんて、どう考えても狂ってたもんなぁ…。そういえば父さんの話じゃ、50年前ぐらいには “ここ掘れワンワンおじさん” なんていうのが大ブームだったらしいし…。なんか知らないけど周期的に変なのが流行り出すんだよなぁ、この国…)
新聞のたわいもない記事からふと物思いに耽る男性。
するとその時…
ガチャ…
「はい、いらっしゃい……って、なんだレティか…」
「『なんだ』とは何よ、暇そうにしてたくせに。お昼持って来てあげたわよ、アレ兄。どうせここでずっとぼんやり座ったままで、まだ何も食べてないんでしょ?」
「『ぼんやり』とは失礼だな…、ちゃんと仕事はしてるよ。でもありがとう、レティ」
店を訪れたのはレティーナ…、そしてこの写真館の店主は、アレックスだった。
あれからヴェッタ繍の職人となったレティーナは、何やかんやで職人仲間の男性と結婚。
今や一児の母であり、実はこの場に息子を連れて来ている。
一方のアレックス。
生涯再婚しないことで亡き妻フェルカへの永遠の愛を誓う彼は、数年前に念願だった写真館を開いた。
ただ、フェルトガノンを中心とした世界の発展の潮流からますます取り残されるヴェッタ。
未だに写真に対する理解が乏しく、中には『魂が抜き取られる』といった迷信めいた風説のせいもあり、経営はお世辞にも好調とは言えない。
「ああ、そういやレティ、昔お前が大好きだった全裸男の記事が出てるぞ。ほら」
「し、知らないわよっ…、そんなのっ…。子供の頃の話なんか持ち出さないでよっ」
「うわっ、なになに〜、この真っ裸の人。すげえ、ヘンタイだー。ママこんなんが好きなのぉー?」
「もぉ、うるさいわね。ねえティル、ママこれからこのおじさんとお話があるの。ほら、お小遣いあげるから、あそこの駄菓子屋さんにでも行っといで」
「えー、『話』ってなにー? ああ、わかった!、ママ不倫だ、不倫! うわーい、パパに言いつけてやろうっと!」
「違うわよっ。もう、さっさと行って来なさい!」
「うぇ〜い!」
クソガキ感満載のレティーナの息子ティルは、無邪気な阿呆面を見せながら斜向かいの菓子屋に突っ走って行った。
「はぁ…、なんであんな子憎たらしく育っちゃったのかしら。やっぱり息子じゃなくて娘を産めばよかったかなぁ…」
「いや、性別は関係ないだろ…。むしろ子供の頃のお前によく似てると思うけど? それに元気があっていいじゃないか」
「どういうことよっ、それぇ! いくら何でも、あんなに酷くはなかったわよっ。てか大体子供の頃の私がああだったのは、アレ兄が私の気持ちに全然気付いてくれなかったのが悪いんだからねっ」
「無茶苦茶言うなぁ…。まあそう怒るなよ。ほら、またあの子たちに会いに来たんだろ?」
アレックスは意味深長にそう言うと、店の奥から一冊のアルバムを目の前に持って来た。
アルバムを開くとそこには…
「クラリス…みんな……」
そう、それはクラリスとリグ、そして愛妻フェルカの写真だった。
初めて写真機を披露したあの食事会の日以降も、アレックスは三人と過ごした最後の時まで写真を撮り溜めていたのだ。
クラリスたちの写真を見て、思わず目に涙を浮かべるレティーナ…。
もう十数年もの間、何度も何度も同じ経験を繰り返しているにもかかわらずだ。
何故ならば…、レティーナたちは知っているのだ、クラリスとリグの死を。
そのきっかけは、ヴェッタでは今や伝説の作家として語り継がれるサーニーことアンピーオである。
あの戦いの後、これまでの不摂生が祟って突如この世を去ったアンピーオ。
自らの死期を悟った彼は、生きた証を残すために…、そして何より盟友アスターとの約束のために、己の全身全霊を執筆活動に注いだ。
こうして、まさに命と引き換えに完成した遺稿はヴェッタへと送られ、彼の地にてサーニーの最終作品として出版された。
そのタイトルは『月城に消ゆ』。
不器量な人間ドラマを描いた前作『虫になった男』とは打って変わり、とある国の内戦を描いた戦記物である。
作品内の主人公は、不遇な運命に翻弄されながらも強い心でそれに立ち向かう二人の少年少女。
レティーナとアレックスは、そのモデルがクラリスとリグであることを確信した。
そして物語の結末は…
……………………
「本当にみんないい顔してるわね…。『あの頃はよかった』なんていつまでも悲しんでられないけど…、でもこの写真を見る度に同じ気持ちしか出てこないのよね…」
「……そうだな…。でもこうやってここに来れば、あの頃のままのみんなに会えるんだ。それってすごく素晴らしいことだと思わないか?」
「まあそうかもしれないわね…。アレ兄もずっとフェルカさんと一緒にいられるもんね…」
こうやってまた一歩と、悲しみを乗り越えて行こうとするレティーナとアレックス。
するとその時…
「うっほほほ〜い!」
大きなペロペロキャンディを片手に、ティルが菓子屋から戻って来た。
「うおっ、すげえ、写真がいっぱい! ねえ、ママー、これ誰の写真なのー?」
「これはね、ママたちの子供の頃の写真よ。とても大切な…友達とのね」
「あー、わかった。この可愛くないほうがママだ! こっちの子すげえ可愛くて、絶対にママのはずないもんなー」
「……アンタ、今日晩御飯抜きね」
「うえーん、冗談だよぉ〜…。おたすけ〜」
「ったく、もう…。でもアンタが言う通り、本当に可愛い子だったわよ。可愛すぎて嫉妬する気も起こらないぐらいにね…。そのくせとっても強くて優しくて何でも出来て……あ、でもお酒には滅法弱かったなぁ。一緒に過ごした時間はあまり長くないけど、とにかくそんな大切な友達なの。でも、もう会うことも出来ないんだけどね…」
「えー、なんで?」
「ずっと遠い場所に行っちゃったの。きっとそこで幸せに暮らしてるわよ…」
遠い目をしてまるで独白をするかの如く、我が子に最愛の友クラリスの話をするレティーナ。
だが、まだ8歳のヤンチャ小僧にそんな機微は難しいのだろう。
「ほーん」
ティルはキャンディをぺろぺろさせながら、相も変わらぬ阿呆面を見せるだけだった。




