最終章 10.民主国家ジオス
それから7年後のこと…、女王レイチェルはとある決断を下した。
それはジオス王国の民主国家への体制移行である。
あのフェルトとの首脳会談以降、彼女は一部重臣と側近たちとともに、極秘にその構想を練り研究を重ねて続けて来た。
『旧来の王制のままでは、最早日々目まぐるしく変遷する世界の潮流に対応が出来ない…』
脈々と受け継がれて来た絶対王権を自身の代で廃止することは誠に遺憾であるが、レイチェルはジオスの発展のためにそれを甘んじて受け入れる。
当然のことながら、その大ニュースはジオス国内は疎か、全世界を衝撃を伴って駆け巡った。
ところで民主制への移行は、さらにここから3年後のこと。
フェルトを参考にした議院内閣制であるが、一方で王は国家の象徴として君臨し、憲法によって定められる範囲で大権を発動することが出来る立憲君主制でもある。
さて3年後の体制移行であるが、新たな有権者となるジオス国民は民主政治にこれまで馴染みがない。
そんな彼らによって選ばれた者にいきなり議会運営の全てを委ねれば、政治の混乱は必至である。
そのため今回に限り、大権によってレイチェルが首相と各大臣を決定。
3年後誕生の第一次内閣は、民主的な次期内閣への繋ぎとする暫定内閣となった。
こうして2年の年月が過ぎ、いよいよ翌年に新体制始動を迎えたある日のこと。
ここはレイチェルの政庁かつ居城である王家別邸。
彼女に呼ばれていたのは、あれから19年経った現在も王国財務庁長官を務めるゴルベットだった。
すでに齢70を過ぎた彼だが、今なおも卓越した見識と政治への熱情は衰えを知らない。
「多忙のところを呼び立てて申し訳ありません、ゴルベット殿」
「いえ、とんでもございません。して女王陛下、私に御用件とは?」
「ええ、ついに我が国にも来年議会政治が導入されます。ただ政局の安定化のために、最初は私が直に首相と各大臣を決定し任命します。ゴルベット殿、あなたには暫定政権の首相を務めていただきたいのです」
ゴルベットへ首相就任の打診をしたレイチェル。
“暫定”とは言うものの、議会の会期はしっかりと4年あり、実質的に初代首相と言っても差し支えはない。
ところが、ゴルベットはこのレイチェルの申し出を固辞する。
「誠に恐れながら、女王陛下のこの御提案はお受け致しかねます。今は新憲法作成が大詰めでそこまでの余裕がございませぬゆえ。それに私はかつてはゲネレイド側に属した身…。私のような者が国の代表者となることは、民の感情からしてもあまり宜しくはないかと思われます」
「なるほど、そうですか…。あなたであれば適任だと私は考えたのですが…」
ゴルベットの弁明の妥当性を理解したレイチェルは、これ以上の無理強いはしなかった。
すると…
「女王陛下、その件についてですが、実は最適な人材を私は知っております」
やや勿体ぶった物言いで、レイチェルに提言するゴルベット。
レイチェルは彼が打診を断った真意がそれであったことを察した。
「ふ…、回りくどい真似を…。してその人物とは誰なのですか?」
「はい、女王陛下もよくご存知の “あの男” にございます。あの者なら王室と国民統合の象徴となれるでしょう」
「『あの男』……ああ、なるほど…あの者ですか。私はまだ時期尚早なのではないかと思っておりましたが、あなたがそうお考えになるのなら間違いはないでしょう」
…………………
こうして数日後…
「失礼致しますっ」
レイチェルとゴルベットの前に呼び出された “あの男” とは……
「多忙の中、よくぞ来ましたね、ビバダム」
そう、あのビバダムだった。
あれから彼は文武問わず、各方面の要職を歴任。
将来的な指導者になってもらうべく様々な経験を積ませるという、レイチェルの配慮だった。
「ビバダム、あなたの頑張りについては各方面より高評を聞いております。以前も同じことを申しましたが、師匠冥利に尽きるとはまさにこのことですね」
「こ、光栄にございますっ…、女王陛下」
(確かこの感じは前にも……。レイチェル様がこう手放しに褒めて下さるということは、絶対この後無茶な要求が……。しかも何故かゴルベット様までいるし……)
もう何やかんやで、レイチェルとは20年以上の付き合いのビバダム。
その不穏な予感はやはり的中した。
「単刀直入に申します。ビバダム・グリンチャー、あなたを来年発足する暫定内閣の首相に任命します」
「……え……ええええっ…!?」
一瞬その言葉の意味すら受け止められず、ビバダムは数秒遅れてひっくり返った驚声を放つ。
唖然と言葉も出ない彼を察して、ゴルベットが口を開く。
「グリンチャー君、君を女王陛下に推薦したのはこの私だ。先ほど陛下が申されたように、君はこの十数年間為政者となるべく研鑽を重ねて来た。そして何より、平民出身の君は民の代表者として相応しい立場にある。無論私も、この老体に鞭を打って君を献身的に支える所存だ。どうか引き受けてはもらえないだろうか?」
ゴルベットの落ち着いた語り口調で、ビバダムの動揺も多少は鎮まったようだ。
(確かにあれから、俺は必死に色んなことを勉強して経験して、大きく成長した自覚はある…。お二人が俺のことをここまで評価してくれていることも光栄の極みだ…。でもいくら何でも、この俺が首相だなんて……、下手したら俺の言葉一つで一千万ものジオスの人々の命運が決まってしまう…。そんなの流石に荷が重過ぎる…。それに俺は優柔不断で、レイチェル様のような冷徹さもないし……。でも、こうしてまたレイチェル様が俺に期待して下さってるんだ…。その想いには応えたいっ…)
様々な感情がせめぎ合って、苦渋の表情で押し黙るビバダム。
そんな彼の背中を押したのは意外な人物だった。
ガチャ…
まるで風に軽く押されたかのように物静かに開いたドア。
「シエラ様……」
そこに現れたのはシエラ、彼女の車椅子の背後には執事のドルグもいた。
「如何したのです?、シエラ。今は取り込み中ですよ」
「申し訳ありませんお姉様…。ついお話が気になってしまい、廊下で耳を立てて聞いていました」
「まあ盗み聞きなど褒められた行いではないですが、いずれあなたにも伝えなくてはならなかった話です。構いませんよ?、お入りなさい」
ドルグはシエラを室内に入れると、そのまま退室して行った。
「シエラよ、あなたの学校も随分と生徒数も増え、その卒業生も多分野で活躍を見せていると伺っています。あなたはあなたのやり方で、見事王国の発展に寄与していますね」
「お褒めに預かり恐縮です、お姉様」
あれから、シエラは月理教の精神に則った学校を創設し運営していた。
今では名門校として名を馳せ、多くの優秀な生徒が集っている。
さて、姉との挨拶代わりの会話も程々にすると、シエラはビバダムの方を向いて言った。
「ビバダムさん、あなたが不安に思われる気持ちもわかります。ですが、それでも敢えて弱音を口にしようとしないところに、あなたの本当のお気持ちがあるのではないですか? 自分を信じてくれる人たちに…、そして今はもう亡き人たちから託された想いに応えたい……そう、例えばクーちゃんやリグくんのように……」
唐突にシエラの口から出たクラリスとリグの名。
ビバダムは一瞬面食らいながらも、してやられたように神妙な面持ちを浮かべた。
(お淑やかに見えるのに、なんとまあ狡猾なお方だ…。あの子たちの名を出されたら、もう前に進むしかないじゃないか…)
強い視線をレイチェルに確と定めたビバダム。
「お待たせして申し訳ありません。この不肖ビバダム・グリンチャー、女王陛下の御意志を拝命致します!」
「ええ、この国のことをよろしく頼みましたよ、ビバダム」
「はいっ、レイチェル様!」
…………………
後世に渡り “平民宰相” として国民皆から慕われた、ジオス王国初代首相ビバダム・グリンチャー。
だが、その偉人の誕生が一人の女性の言葉によるものであったという真実は、以降の歴史の面に出ることはなかった。




