最終章 5.ガノンからの来訪者(前)
あれから、およそ2年の年月が過ぎた。
ティアードの下で本家当主となるべく修行を始めたフェニーチェ。
魔導教育学院での9年間分に相当する学習に、それに加えて政治学、行政学、経営学などの名家当主として必須の学識…、己の価値を高め、人脈を広げるためにも必要不可欠な各種稽古事…、そしてセンチュリオン一族筆頭の嗜みとしての魔術の修練……。
『どうせすぐに音を上げて、フェルトに帰るだろう…』
そんな周りの予想は大きく裏切られ、フェニーチェは泣き言一つ言わずに気合いと根性で課題を乗り越え続ける。
最初こそは彼女の覚悟に半信半疑だったティアードも、その姿を見て真剣に後継者として見据えるようになっていた。
さて、ある日の夕暮れのこと。
ここは王都の外れに位置する共同墓地…、センチュリオン本家の墓が立っている場所である。
そんな荘重な墓標から数十歩隔てた場所に、まだ建てられたばかりの真新しい墓があった。
こじんまりと佇んでいながらも、途絶えることがない献花に彩られたその墓…、墓石に記されていた主の名は……
“クラリス・ディーノ・センチュリオン リグ・ディーノ・センチュリオン”
そう、これはクラリスとリグの墓だった。
そもそも遺体が発見されていない二人は、遺髪も遺骨も教会の祭壇に弔うことが出来ず、本家の墓に入れない。
クラリスとリグの仲を知った神官長セナドラは、あえてその状況を逆さに取って、二人だけの墓を建てることを提案したのだ。
ところで、今そこには墓石を丁寧に磨いている人物がいた。
それはアリアだった。
王都に戻った彼女は半年前に魔導部隊を退役、再開した魔導教育学院で教職一筋の道を歩んでいる。
仕事終わりにこの墓の清掃に出向くのがアリアの日課となっていた。
一通り作業を終えると、彼女はぴかぴかの墓石にそっと手を当てて、感傷に浸った声でクラリスとリグに話しかける。
「あれからもう2回目の秋…、時間が経つのって早いよなぁ…。フェニーチェはお前らの代わりに本当に頑張ってるよ…。まさかあのじゃじゃ馬娘があそこまでやるなんて…、覚悟を決めた人間って本当に強いよなぁ…。で…、お前たちは天界で仲良くやってるか…?……なーんて…そんなこと聞くだけ野暮だよな……」
いくら懇ろに言葉をかけてやっても、何の反応も返って来ない冷たい墓石…。
最初こそは虚しさで涙が溢れていたが、通い詰めるうちに流石にそれもなくなった。
今のアリアは、ただ切なく笑みを浮かべるだけだ。
「じゃあな…、また明日も来るからな?」
二人にそう言い残して、その場を後にしようとしたアリアだったが……
ザッ…
「ん…?」
墓に背を向けた彼女の先にいたのは、長身でやや褐色を帯びた一人の少女だった。
癖が根付いた橙色の長髪で片目を覆っており、立っている姿も心なしか覚束ない。
年齢はクラリスよりやや上ぐらいだが、これまで相当苦労して来たのか、年不相応な皺とくすみが顔に浮き出ている。
「あ、あの……、クラリス…ディー…ノ……センチュリ…オン?の墓って…ここで良かったかな……?」
なんと辿々しくクラリスの名を口にした少女。
確かに献花に来たのだろうか、両手に花束を携えていた。
「……何だ、お前は?」
彼女との面識がないアリアは、不審に思い無意識のうちに口調を強める。
一方、元軍人の鋭い目に睨みつけられた少女は、思わず萎縮してしまう。
「い、いや…、け、決して怪しい者じゃないんだ…。ア、アタシはガノンから来たんだけどさ…、クラリスとはちょっとした知り合いというか…、ちょっと色々あってさ……。それで新聞で、こないだの内戦であいつが死んでしまったって記事を見て…、墓参りでもって思ってさ……」
「『ガノン』…だと……」
ガノンでのクラリスの知り合い…。
そう聞いてアリアの記憶にあるのは一人しかいなかった。
そして今、目の前にいる少女の姿は、クラリスから聞いていた話とほぼ重なった。
「お前……まさか…ジェミスか…?」
「えっ…、何でアタシの名……うわっ…!?」
「そうかっ、お前がジェミスかっ…!、会いたかったぞっ!」
居ても立っても居られず、アリアは一目散に少女ことジェミスを抱き締めた。
一方のジェミス…。
何故か自身の名を知られており、しかも敵意を向けられたと思いきや次の瞬間には熱い抱擁をされ…、何が何やらわけがわからない。
「なっ、何なんだよっ…あんたっ……、どうしてアタシの名前をっ……」
「あ、ああ…すまんすまん…。クラリスからお前のことを聞いてたもんでな…、つい……」
「えっ…、クラリスから……? あんたはあいつとどういう関係なんだ…?」
「クラリスはアタシの教え子だ。まあ、それ以上に色々とあるがな」
「ああ、そういうことだったのか…。じゃあ、アタシとの関係も……」
「うん…、まあ大体は聞いてるよ…」
アリアにある程度素性を把握されていることを知って、むしろジェミスの緊張は和らいだ。
心なしか気が楽になった彼女は、ガノンでのクラリスとの再会…、そしてその後の顛末に至るまで赤裸々に語る。
悪人共に逆らえず利用されていただけとはいえ、クラリスを裏切って陥れようとしたのは事実。
そんなジェミスの “自白” を、アリアは神妙な面持ちでただ黙って聞いていた。
「あの時、クラリスに『お前なんか嫌いだった』って言ってしまったけど、それをすごく後悔しててさぁ…。奴隷として売られてたあの辛い生活の中で、あいつの存在だけが唯一の救いだった……。アタシが先に売られてって、街中で鞭に打たれて扱き使われてる時に、あいつを偶然見かけたんだ…。どっかのお嬢様みたいな高そうな服を着て、怖そうな…でもすごく威厳があって紳士そうな男に連れられてた…。その時、『そっか…、あの子はあの男に引き取られたのか…、あの子はきっと幸せになるんだなぁ…』って…、心の底からよかったって思った…。でもあれから、アタシはそこらの野良犬以下の扱いを受け続けて……ついには片目を片脚まで失ってしまって……、奴隷から解放されたって何もゴミみたいな人生は変わらなかった…。そんな生きることに絶望していた時に、ちょうどガノンでクラリスと出会ったんだ…。生き生きと笑顔を振り撒くあいつの姿を見て、いけないってわかってながら怒りとか悔しさとか妬みが湧いて来ちゃってさ……。『何でアタシだけこんな目に遭わなきゃならないんだ』って……」
ジェミスの言葉は遣る瀬ない感情に満ち溢れ、彼女の片目には次第に涙が滲み始めていた。
「でもあいつも何故か知らないけど国から追われて、色々大変な目に遭ってたんだよな…。それでやっと国に帰れたと思ったら死んぢまって……。だからせめてあの日のことを墓前で謝りたくて、こうやって遥々ガノンから来たんだ…。それに何やかんやで、ジオスはアタシを助けてくれた国だしな…。『魔導部隊』だっけ…?、その人たちが助けてくれてなかったら、アタシは無残に焼かれてたから……」
ジェミスの独白を終始一言も挟むことなく傾聴していたアリア。
彼女はようやく真相を語る。
「なあジェミス…、あの時、お前を救ったのはクラリスだ」
「は…?、どういう意味だよ…?」
「お前、魔導部隊に助けられた時の状況覚えてるか?」
「ああ…、確かもう使い物にならなくなって他の奴隷と一緒に焼かれる寸前に、目の前が青白い光に包まれたんだ…。それで気付いたらベッドの上にいた……」
「その光を放ったのがクラリスだったんだよ。あいつを引き取った人物は、魔導士一族センチュリオン本家当主のアルテグラ様だ。クラリスはその方から魔術の才能を見出されてな…、魔導士になるべく厳しい修行に明け暮れた。そして罰を受けることすら厭わずに、一人勝手にガノン派遣隊に潜り込んだんだ。何故あいつがそこまでしてガノンに行こうしたと思う? 他ならない、お前を助けるためだよ、ジェミス…」
「え……そんな……」
歪み切った自身の心にとって、あまりにも不都合な真実を突き付けられたジェミス。
「お前がクラリスたちにした仕打ちについては、もちろん責める気なんてない…。お前だって非道な人間たちの犠牲者なんだからな…。でもなジェミス、あいつが一時も忘れることなかったお前への想いだけはわかって欲しいんだ…。そうでなきゃ、あいつが浮かばれないだろ…?」
「そ…そんな……そんなぁ……クラリス……うっ…うああああっ……ごめんっ…ごめんよぉっ……クラリスっ……うわああああんっ……」
ジェミスは墓石に縋り付きながら、大号泣とともにクラリスへの懺悔の言葉を叫び続ける。
アリアがせっかく磨いたばかりの墓石は、残念ながら涙に塗れてしまった。
それからしばらくして、陽が落ち始めた墓地というただでさえ陰鬱な場に、居た堪れない空気が流れる。
すると、唐突にアリアが話を切り出した。
「なあジェミス…、ちょっと提案があるんだが?」
「『提案』って…?」
「ああ、お前もしよかったらジオスに来ないか? 確かにもうクラリスはいないが、ここにはあいつを今も慕う人たちがたくさんいる…。きっとお前のことも受け入れてくれるはずだ。どうだ、悪い話じゃないだろ? それにお前だって、辛い過去しかないガノンに思い入れなんかないだろ?」
アリアの提案を受けて、ジェミスは暫しその場で考えるものかと思われた。
だが…
「いや、悪いけど気持ちだけ受け取っておくよ…、ありがとう…」
ジェミスは薄らと笑って、躊躇なく返事を返す。
「どうしてだ…?、だって………」
その理由を咄嗟に問おうとしたアリアだが、その時ジェミスはいじらしくお腹に両手を当てた。
ここまで意識していなかったが、よく見ると彼女の腹部は僅かに膨らみを帯びている。
「お前っ…、まさか妊娠してるのかっ…?」
「うん、アタシみたいなボロボロな人間でも、ちゃんと “女” として見てくれる人に出会えたんだ…。旦那の名は『ゴレット』って言うんだけどね…」
そう、ジェミスの伴侶…、それはガノンにてクラリスとリグもお世話になった、“街のヒーロー” ゴレットだったのだ。
アリアもジェミスも一人称が『アタシ』なので、ややセリフがわかりづらいかもしれません。すいません…




