第25章 49.クラリスを守れ!
「これは “闇の桎梏” よ。闇魔術を修めた者でなくては逃れることは適わぬ。力尽くで逃れようと思わぬことだ…。踠けば踠くほど、貴様らの脚に纏う桎梏は強さを増し、終いには切り潰してしまうでな」
「くそっ…!、ふざけるなぁっ!」
ヘリオら魔導部隊の面々は、動かせる上半身でグアバガに集中弾を浴びせる。
だがグアバガは魔導防壁を瞬時に展開して、最も容易く魔弾を防いだ。
さらに…
「うぐっ……」
反動と言わんばかりか、激烈な痛みがヘリオたちの全身を駆け巡る。
「まったく、聞き分けのない者どもだ。言ったであろう?、『踠くでない』と。立場を問わず、年長者の忠告は素直に聞き入れるものじゃぞ?、ふはははっ……」
闇魔術の本領を前にして、為す術がない一同。
グアバガは厭らしく哄笑を上げた後、仕切り直して話を続ける。
「さて、無論これで終わりではないぞ? これより本準備を始めるとしよう…」
グアバガは徐に両手を天に翳した。
すると、新たに発生した黒い靄が渦を巻きながら一点に収束して行く。
切迫するレイチェルたちに対し、グアバガは最早包み隠すことなく己の企みを打ちまける。
「これは闇の次元への転移術だ。クラリスよ…、これからお前を我が闇の世界へと誘おう。そこは外界からの光も音も空気も熱も…全てが届かぬ絶望の地だ。さあ、その我らが理想郷にて孫子二人きりで大いに語り合おうではないか。そしてクラリス、儂とお前は一つとなるのだ」
(い、一体何言ってるの…この人……)
グアバガの言葉が微塵も理解出来ないクラリスだが、全身全霊でそれを拒絶するほどに戦慄を覚えていた。
「やはり、狙いはクラリスですかっ? この子には指一本すら触れさせませんよっ!」
レイチェルたちは動けない無力な状態であっても、何とかクラリスを守るべく凛然と立ち向かう。
だがグアバガは、そんな彼女らを嘲るように飄々と話を続けた。
「しかし、この術は秘術中の秘術でな…、儂も試みるのは初めてだ。故に発動までには暫し時間がかかるであろう。その間、儂を攻撃したいのならばするが良い。まあ、『出来れば』の話ではあるがな、ははははっ……」
「……ッ、おのれっ…!」
あのレイチェルともあろう者がグアバガに嗾けられたのか…、それともそうせざるを得ないほどに後がなかったのか。
彼女はグアバガに向けて、一か八かで全力で剣を振り投げるが……
「ふん、小癪な…」
脚を踏み切ることが出来ず腕力のみで放たれたそれは、グアバガの手刀に呆気なく叩き落とされる。
「うううっ…ああああっ……」
「レイチェル様っ…!?」
次の瞬間、レイチェルの体にも激痛が走った。
その酷く苦しむ姿を見るに、先のヘリオたちが受けたものよりも甚大なようだ。
「言い忘れておったが闇の桎梏による負荷は、その軽重を自在に変えることが出来るのだ。儂の手を一瞬でも煩わせた貴様には、より一層の苦しみを与えてくれよう」
レイチェルの姿を嗜虐的に眺めながら、グアバガはなおも冗長に言葉を吐く。
「レイチェル様っ、お気を確かにっ……」
「問題…ありません……、これしき…の程度……。私のこと…などよりも……、クラリスを…守りなさい……」
激痛に身体中が支配されようと、決して心まで屈しないレイチェル。
掠れそうな意識の中で、気丈に皆を奮い立たせる。
「ふん、健気なことだ。しかしかような為体で、どのようにしてクラリスを守ると申すのだ? 儂を阻むことが出来ぬと言うのなら、貴様らが愛するこの娘が儂のものとなる様を大人しく傍観しておると良いわ、わはははっ!」
グアバガの卑劣な嘲謔に言葉を返そうとも、この有様では全てが意味のない虚勢となってしまう。
(神聖なる月の神よ……、我らに今一度の御加護をっ……)
神に対してあまりにも都合の良い話だと重々承知の上で、レイチェルは二度目の “神頼み” に懸けた。
ところがその時…
「……ッ!?」
突如、巨大な影がグアバガを覆った。
上空に目を遣ると、そこにいたのは…
「ミーちゃんっ……」
そう、それはターニーを塔頂に降ろした後、暫しの間近辺を周回していた竜のミーちゃんだった。
ターニーの窮地を察して馳せ参じたのだ。
「ピイイイイィッ!!!」
いつもの愛らしい声から一変…。
怒りに打ち震えるけたたましい雄叫びを発しながら、ミーちゃんはグアバガを急襲した。
「竜か…。我らがデール族の故郷に住まうとは聞いていたが、まさかここで見れるとはのう…。しかし所詮は図体だけの下等生物よっ」
グアバガは全く動揺する素振りを見せず、自身に滑空攻撃を仕掛けるミーちゃんを迎撃する。
「ピイイイイッ…!」
グアバガの高威力の魔弾を諸に受けて、痛ましい悲鳴を上げるミーちゃん。
それでも “彼” は、恐怖心を打ち捨てて果敢に特攻を繰り返す。
(お願い、ミーちゃん……頑張って……。あとちょっと…あとちょっとで……)
ミーちゃんのいじらしい勇姿をその目に焼き付けながら、ターニーは沈痛な表情を浮かべて思索に没頭する。
「ええいっ、下等生物が煩わしいっ…!」
ミーちゃんの執拗な “嫌がらせ” に、いよいよ苛立ちを隠せなくなったグアバガ。
「ピイイイッ……」
「ミーちゃんっ…!」
グアバガが放った渾身の一撃でついに力尽きたミーちゃんは、そのまま塔の下へと沈んで行った。
(ありがとうミーちゃん……。あなたの頑張り、決して無駄にはしないからねっ!)
ミーちゃんの意志を確と引き継いだターニー。
彼女は不意に、以心伝心術で横にいるリグに話しかけた。
(お兄さん…、聞こえますか?)
(えっ…、ターニーか?)
(はい、突然ごめんなさい。実は、この拘束術を解くための反作用術の術式がやっとわかったんです)
(マジかよっ…、でもどうやって…?)
(大きな声では言えないですけど、実は私、興味本位でちょっとだけ闇魔術を齧ってたことがあって…、それで…)
(すげえなぁ…、本当に何でも出来んのな、お前…)
(いいえ、でもこれはミーちゃんが体を張って時間を稼いでくれたおかげですよ。ただ、その術式はとても難解で…、おそらくこの短時間では一人解術するのがやっとだと思います…。だからお兄さん、あなたに頼みます)
(え、俺が…?)
(はい、それでお姉さんを助けに行ってあげてください。きっと誰よりも…、あの人はお兄さんのことを必要としてると思うから…)
(わかったっ…、頼んだぜ、ターニー!)
………………………
いつしかグアバガの前には、まるで場の光景が雑に切り取られたように暗黒空間が存在していた。
「これが闇の世界への入り口だ。クラリスよ…、恐れるとこはないぞ。さあ、共に来るのだ」
グアバガはクラリスの足に纏う桎梏を操り、彼女を闇の入り口へと引き摺り込む。
「クラリスっ…!」
「貴様ぁっ…!、やめろぉっ…!」
「くそぉっ、こんなところでっ…!」
皆の悲愴な叫びが虚しく宙へと響き渡る。
そんな中…
(あーっ、違うっ、こうじゃないっ…。この記号はここに置いて…、あれはこう掛け合わせて……。急がなきゃっ…、でも落ち着け、私っ……焦るなぁ…焦るなぁ……)
ターニーの脳内での時間との戦いは熾烈を極めていた。
そうこうしている間にも、クラリスの体は闇の入り口へとますます近付いていた。
(みんな私のことを助けようとしてくれてるのに……、私、みんなの何にも役に立てなくて…、それどころかみんなに迷惑ばっかかけて……。私何のために、レイチェル様に我儘まで言ってここまで来たんだろ…。こんなんじゃ……私の存在なんて………リグくん…ごめんね……)
自身を飲み込もうとする暗黒空間はもう眼前に迫っている。
何も出来ない己の無力さに絶望して、最早クラリスは皆との永遠の別れを覚悟していた。
するとその時…!
「お兄さんっ、出来ましたっ」
「よっしゃっ、動くっ、ありがとな、ターニー!」
苦心の末、ついに解術に成功したターニー。
桎梏から解き放たれたリグは、一目散にクラリスの元に突っ走った。
「何だとっ…、儂の術を破ったと言うのかっ…。しかし一足遅かったのうっ、もうこの娘は儂のものよっ!」
グアバガの言う通り、クラリスの体は闇に触れる寸前だった。
一方…
「リグっ…!?」
「あいつどうやって……、いや、そんなことは今はどうだっていいっ、クラリスを頼むっ…!」
皆は泥臭く駆けるリグの姿に、自分たちの命運の全てを懸ける。
そして…
「うおあああっ!!!、クラリスっ!!!」
「リグくんっ…!」
クラリスが闇に飲み込まれるその刹那、リグはついに彼女を捕まえる。
次の瞬間、暗黒空間はそれが質が悪い幻であったかのように消滅した。
“幻覚” から醒まされて、ほんの一瞬だけ意識がぼやけたレイチェルたち。
ハッと気付くと、クラリスとリグ、そしてグアバガの姿が忽然と消えていた。
「クラリスちゃんっ…、リグっ……!?」
「奴の姿もないっ……、まさか本当に闇の世界とやらに連れ去られてしまったのかっ……」
「くそっ…、アタシたちがいながら何でこんなことにっ……」
ターニーに “闇の桎梏” を解いてもらった一同。
グアバガの魔の手からクラリスとリグを守れなかった、自身の不甲斐なさに打ち拉がれる。
ところが…
「……ッ!?、な、何ですかっ…あれは……」
それとなく空を見上げたレイチェルが驚愕の声を漏らした。
なんとそこには…、巨大な暗黒の球体が満月の如く威容を誇っていたのだ。




