第25章 46.愛される者と愛されない者
さて、いよいよ王城の中枢へと突入したレイチェル本隊。
とはいえ、すでに司令系統が崩壊し守備が麻痺している城内で、最早一行の行手を妨げるものはない。
直ちにゲネレイドの居室と執務室に向かったレイチェルたちだが、そこに目当ての首はなかった。
レイチェルはその場にいたお付きの者に、剣を抜く素振りを見せながら厳しく問い質す。
「ゲネレイドは何処にいるのです? 正直に申せば命は取りません。しかし虚偽を申せば…、“王”に直に仕える聡明なあなたならお分かりでしょう?」
「ひ、ひいっ……、わ、私めにはわかりませんっ……。す、少し前に、グアバガ様と南西の階段から上階に上られた御姿を見ただけですぅ……」
「『南西の階段』……なるほど、わかりました。皆の者、急ぎますよっ?」
すんなりと目星が付いた様子のレイチェルは、皆を引き連れてその場を後にした。
「レイチェル様…、『南西の階段』というのはもしや…」
「ええ、おそらくは監視塔でしょう。城内で最も高く、王都全域を隈なく見渡せる場所…。何やら、嫌な予感がしますね…」
「恐れながらレイチェル様…、先ほどの者が申していた『グアバガ』とは如何なる者なのでしょうか?」
「私も多くは知りません。城内でその姿を見たことすらないので…。ただゲネレイドの魔術の師だとかで、あの者は相当その人物に傾倒していたようです。いつしか政治の場にまで臨席させるようになったとか…」
「ゲネレイドと周辺の者しかその姿を見たことがないという、謎のジジイか…。アタシらの中でも予てから噂にはなってましたけどね…」
「マルコンさんの情報では、その奴がゲネレイドを闇魔術の道に引き摺り込んだとのことだが…」
「ならば…、そのグアバガという男が黒幕だということですか?」
「そういうことになりますね…。そもそもゲネレイドは矮小な男です。かような大それた真似を出来るような器は持ち合わせていません。その弱き心を付け込まれたと言ったところでしょうか…」
早足で移動しながらレイチェルを囲んで由々しく言葉を交わす、ヘリオ、アンピーオ、アリア、ブリッドの大人組。
ちなみにアルゴン戦で負傷したトレックとライズドの治癒に専念するために、アイシスとマリンはすでに離脱している。
そんな中、ただ彼らの後に付いて歩くクラリスとリグ。
「監視塔って城の一番高いあそこだよな? ずっと登ってみたかったんだ、楽しみだなぁ!……って、どうしたんだよクラリス…、なんかしけた顔しちゃってさぁ…」
「うん…、ちょっと思うところがあってね…」
「何だそれ?、あ、わかったぞ。そう言いながら本当は高いところが怖いんだろぉ〜?」
「違うわよっ…、だいたい私、そこ登ったことあるし」
「ええっ、何だよそれぇ〜、ずるいぞずるいぞ、いつもお前ばっかり!」
ぷんぷんと拗ねるリグを横目に、当のクラリスの心情は…
(魔導審査会のあの日、シエラが連れてってくれた場所……。まさかこんな形で再び来ることになるなんて思わなかったなぁ…)
シエラとの輝かしい思い出が曇らされた感じがして、何とも遣る瀬ない気持ちになった彼女だった。
そしてついに…
「暫くでしたね、ゲネレイド…」
塔頂部に辿り着いたレイチェルたちの眼前には、怨敵ゲネレイドの姿があった。
その横には、我関せずといった様子で飄々と佇むグアバガがいる。
ゲネレイドに対し、真っ直ぐ剣を突き付けるレイチェル。
だが意外にも、彼は薄ら笑みをすら浮かべて泰然と実姉に向き合う。
「これはこれは姉上様…、お久しゅうございます。せっかくの久々の姉弟水いらずなのですから…、まずはその物騒な代物と後ろの無粋な連中共を斥けられたら如何か?」
「ゲネレイドよ…、たとえ敵味方に別れ刃を交えようとも、あなたが血の繋がった私の弟であることには変わりはありません。故に、ここは王国義勇軍最高司令官としてではなく、同じ王家のあなたの姉、第一王女としてあなたの首を貰い受けます。あなたの心に王族としての矜持が微塵でも残っているのならば、潔く己の死を以って国と民への大罪を償いなさい!」
「ふっ、相変わらずの高慢ぶりですな、姉上。そういうところが昔から気に入らなかったのだっ。あなたが存在したせいで、この私が王宮内でどれほど惨めな思いをして過ごしたことかっ……。容姿、才能、強さ、そして父上からの寵愛にシエラからの敬愛……全てを持って生まれた姉上には到底わからないであろうなっ…!」
姉の言葉一つ一つに屈折した悪感情を衝かれて、ゲネレイドは次第に声を荒げ始める。
「愚かな…。そんな私怨で闇魔術などにのめり込み、王都の民たちを虐げたと言うのですか。やはりあなたは王族として生まれてはならなかった人間のようですね」
「ふん、何とでもほざくがよいっ。かような忌まわしき世界など、もう間も無く魔神様の御神託の下、崇高なる終焉を迎えるのだ! 姉上様よ、空を御覧になられるがよい」
「……ッツ?、こ、これは…なんと禍々しい……」
上空を支配していた黒濁の蠢く巻雲は、なんと宙を雄壮に泳ぐ龍の如く躍動していた。
それはまさしく、見る者全てに “世界の終わり” を予感させる光景だった。
ドオオオンッ!!!、ドオオオンッ!!!、ドオオオンッ!!!………
未曾有の規模の雷が、神の鉄槌が下るかのように王都とその周辺域を襲う。
「おのれっ…!」
最早対話の余地はないと、直感的判断でゲネレイドとグアバガに斬りかかったレイチェルだが……
「くっ……」
まるで意思を持っているかのように、猛烈な向かい風が突如吹き荒れる。
ゲネレイドの元に進むことすら儘ならず、ただでさえ風が強い塔頂で留まるのがやっとだった。
さらには…
「ううっ…、何なのこれ………頭が痛い…気持ち悪い……」
「うあああっ……。やばい…頭が割れそうだ……」
「お前らっ、しっかりしろっ……。くそ…アタシも目眩が……」
「急激に周辺のマナの総量が不安定化してるんだろうな…。それによって俺ら魔導士の精神に失調が起きてるんだ…」
「大の大人である我々ですらこの有様なんです…。まだ子供であるこの子たちには、この環境は過酷過ぎますね…」
「リグちゃ〜ん、僕が介抱を……って言いたいとこだけど…それどころじゃ……うぷっ…」
この超常現象はマナの濃度をも突発的に変動させ、それはヘリオたち魔導士を大いに苦しませた。
「ふはははっ、選りすぐりの精鋭たちを引き連れて来たのだろうが、とんだ役立たず共ではないかっ。それにしても老師様、なんと神々しき眺めでしょうか…。まさに私はこの光景を見るために生まれて来たと言っても過言ではありません。この数年間、私はあなた様の下で御教えを賜ることが出来、誠に幸せにございました…」
ゲネレイドは感涙で塗れた顔を、厭わしく蕩けさす。
一方のグアバガは特に中身のない短い返事を返すだけで、その表情を変えることはない。
(月の神よ…、我らが神聖なるジオス王国に、そこに生きる民たちに、悪を滅ぼし不条理を正し弱きを救う光明を与え給え…)
ゲネレイドたちの為すがままに破壊されていく王都を前に、レイチェルが最早出来ることは荒唐無稽な神頼みしかなかった。
それは、皆の絶対的主柱である “鉄の王女” が意思を放棄したも同然である。
普通に考えれば、これほど絶望的な状況はないだろう。
だが、ゲネレイドが妬むように、彼女は月理神から甚く愛されていたのかもしれない。
……………………
「ろ、老師様…こ、これは……」
その異変に最初に気付いたのはゲネレイドだった。
雷と猛風を伴って龍の如く鳴動していた黒濁の巻雲が、いつしか動きを止めていた。
それはそのまま散開し、個々の暗雲へと戻って行く。
そして、ついには闇の支配の終焉を告げるように、暗然とした空からは一筋の光が照らされた。
グアバガは言葉こそ発しないものの、明らかに表情を強張らせている。
その様子は、ゲネレイドをさらに動揺させた。
そんな中…
「……ッ!?、あ、あれはっ……?」
空から塔頂へと差し込む光の中から、何やら影が飛び出して来た。
するとその時だった!
「残念でしたっー!、悪さもここまでですよっー!、よくわかんないけどー!」
なんとそこからは、張り詰めた空気にそぐわない快活な少女の声が響き渡る。
ピィッー!
さらには、何らかの巨大生物のものと思われる、愛らしくも重厚な雄叫びが続く。
“影” はそのまま塔頂へと接近し、その姿を威風凛々と顕にする。
「ター…ニー……」
己の目に映る愛娘の姿に震えが止まらないアンピーオは、感慨の声を漏らした。
そこにいたのは…、“偽の龍” ではない、正真正銘の本物の竜ピーちゃん。
そしてその愛竜を駆るターニーだったのだ。




