第25章 45.恩より大切なもの
一方、時ほぼ同じくして王城内。
“アルゴン死す”
そのセンセーショナルな知らせは、瞬く間に城内に伝播して行った。
「なっ、何だとっ…、アルゴン様が敗れたというのかっ…?」
「やばいぞっ…、鉄の王女が自ら兵を率いて攻め込んで来てるらしいっ。このままでは我々はっ……」
「ゲネレイド様はあの謎の爺と共に姿を晦ませたという…、もうおしまいだぁっ…!」
先のレイチェルの予測通り、城内は大混乱に陥っていた。
『レイチェル軍が大軍で王都に攻め込み、ゲネレイドに付いた人間を悉く粛清しようとしている』
そんなデマまで発生し、城外へと脱出を図る者たちも多々現れる。
そんな中、例に漏れず通用門を目指して、人気のない小廊下を一目散に駆ける一人の男がいた。
城内では多く見かける、質素な下級文官の出立ち。
ただ、まるで泥棒のように大荷物を担ぎ、また文官らしからぬ大きく引き締まった図体をしており、やや悪目立ちをしている。
さて、その男が前方確認をロクにせずに角を曲がった時だった。
ドンッ
対向から歩いて来ていた、とある人物と衝突した。
「チッ、急いでるっていうのにっ…、気を付けろっ!………ッ!?」
自身の不注意にもかかわらず悪態を吐く男だったが、その相手を知って彼は顔面を蒼白にさせる。
「一体何なのだ…、そっちからぶつかって来たんだろう………き、君はっ……?」
その正体を看破されて、顔を逸らしながら苦々しく表情を歪める男。
「こんなところで何をやっているのだ、シェファード団長…。しかも何かね?、その出立ちは…。いつから君は文官なんぞに転身したのだ?」
そう、この不自然な文官姿の男は、重曹兵団団長のシェファードだったのだ。
そして、どことなく哀愁を帯びた知性的な顔立ちの相手の男…。
彼は王国財務庁長官で重臣筆頭のゴルベットだった。
ゴルベットから問い詰められて、しばらく押し黙っていたシェファード。
だが、彼の鋭敏な眼光を前に隠し立ては出来ないと観念したのか、漏らすように自白した。
「もう…ゲネレイド様の治世は終わりです……。そもそも私は…、ただ前王デュラ様の我々に対する薄遇の改善のために、ゲネレイド様を支持したに過ぎません…。しかし実際は何も変わらず…、いやむしろ民への搾取の駒に使われるだけで、我々の誇りすら踏み躙られました…。私はゲネレイド様に裏切られたのです。故に…、私はこの城を去る決意をしたのです」
「配下を見捨てて、変装までして己一人で逃げ…、しかも持てるだけの金目の物を掻き集めてか……。“王家の剣” たる誉高き重装兵団団長が聞いて呆れるな。いずれにせよ、仮にも兵団団長であった君を、レイチェル様がみすみす見逃すとは到底思えぬがな。どこに逃げようとも、あの方は世界の果てまで君を追い詰めるだろう」
「……ッ、そ、そういうあなた様はどうなのですかっ…? あなた様だってゲネレイド様の下で散々悪事に加担されていたのでしょうっ?、ただでは済まないはずだっ…!」
返す言葉もなく焦れ込むシェファードは、自身を棚上げして矛先をゴルベットに向けるが……
「わかっている…。だから今、贖いのための身辺整理をしているところだ」
「どういうことですか…?」
「ゲネレイド様の命の下で私が主導していた民への重税政策などの資料を、悪政の証拠としてレイチェル様に差し出すために整理しているのだ。そしてそれらの作業を全て終えたら、私は自らこの命を絶つ所存だ」
ゴルベットが見せた高潔さを前に、流石のシェファードも心咎めを覚えずにはいられない。
しかし次の瞬間…、貪汚な “生” への執着は、彼にとんでもない悪知恵を与えた。
「ふふふふ……ふははははっ!」
「何が可笑しいのだ? 私は戯言を言ったつもりなどないのだがな」
「いいえ、可笑しくなどありませんよ…、むしろあなた様の潔さに感銘を受けているんですよ」
「……一体何が言いたい………ッ!?」
なんとその時、シェファードは隠し持っていた短剣をゴルベットの首元に突き付けた。
「どうせご自分で捨てる命なのでしょう? ならばその命、この俺がもっと有意義に使ってやるって言ってるんですよ…」
口角を引きつらせて陰険な笑みを浮かべるシェファード。
聡明なゴルベットは、それだけで彼の企みの大凡を察した。
「なるほどな…、私をこの場で殺し、私がまとめた資料をレイチェル様に呈上して、その見返りに助命を乞う魂胆か…。あまりにも小賢しいな。大体あの方にかような小細工が通用するとは思えぬがな」
「ふっ、『賢い』って言ってもらえませんかねぇ。それに何事もやってみないとわからないでしょう。俺はね、僅かでも光が差し込む場所があるのならそこに賭ける…、そんな執念深き男なんですよ」
「そこまでして生き延びたいのなら、何故兵団なんぞに入ったのだ…。団長がこの有様では、アルゴン殿も浮かばれんな」
「チッ、あのジジイの名を出すなっ!、死ねぇっ!」
ついに感情を露わにしたシェファードは、衝動的に短剣を振り下ろす。
(このような下劣な男の手に掛かる最期など無念でならないが…、これもまた運命か…。マルコン、フェレア…父はここまでのようだ……元気でな……)
一瞬で潔く死を受け入れたゴルベットの脳裏には、子どもたちと過ごした掛け替えのない日々が走馬灯にように駆け巡っていた。
ところがその時…!
「……ッツ!?」
血と思われる生温かい液体を浴びるゴルベットだが、それはあろうことか自身のものではなかった。
彼が反射的に固く閉じていた目をゆっくりと開けると、そこにはなんと……
「こ、これは………ッ!?、お、お前はっ……?」
眼前には首を見事に切り落とされて、呆気なく屍と化したシェファードの姿…。
そしてその後ろでは、血みどろの剣を持ったまま立つ重装兵姿の男…。
「お久しぶりです、父上…」
「マ…マルコンっ……」
それは別行動で城内に潜入していた息子マルコンだった。
その刹那、もう20年近く顔を見ていなかった我が子への感慨が込み上げるゴルベット。
だがすぐに父の威厳を立て直すと、厳しい顔で不肖な息子への説教を始める。
「まったくお前という奴は…、何が『お久しぶり』だ…。未だにかような危険な真似をしているのか? 目の前で我が子が人を殺める…、その親の気持ちにもなってみろ。それにフェレアも、いつも手紙の中でお前のことを心配していたぞ? この世のでたった一人の血が繋がった妹に、そんな辛い思いをさせるんじゃない」
昔と変わらぬ父の前に、マルコンは説教すら心なしか嬉しく思えて苦笑いを浮かべた。
「父上の仰ることもごもっともです…、長い間心配をかけてすみませんでした…。事が落ち着いたら、フェルトにいるフェレアにも会いに行こうと思っています。ただ今はそれよりも、もうしばらくもしない内にこの城は落城するでしょう。ここに留まっていては危険です。さあ、一刻も早くこの場から離れましょう」
実は城内に残る父を救うために、ここまで来たマルコン。
ところが…
「すまないが…、私はお前と一緒に行くことは出来ない…」
「どういうことですか…?」
「私はゲネレイド様の命の下、数々の悪政に関与して来た…。元々は王国民の幸せを思ってゲネレイド様を支持したにもかかわらず、いつしかあの方の下で民を苦しませていたのだ…。先ほどシェファードを散々詰ったが、私もこの男と同じようなものだ…。故に、私には最早生きる資格など無い…。この城と共に、自ら果てる所存だ…」
ゴルベットは息子の前で、苦しく息を吐くように心境を綴った。
そんなこれまで見たことのない侘しい父の姿を、マルコンは戸惑いすら見せずに優しく受け入れる。
「そんなこと言いながら、僕は実は知っているんですよ? 父上がその一方で民に巧妙な “抜道” を用意して、彼らが生きる道を守っていたことを…。仕事柄、ありとあらゆる情報が僕の耳には届くのでね。あなたは自分が出来ることで、人々のために必死になって戦っていた…、それだけです。レイチェル様もきっと事情を理解して下さるでしょう。それに自分が言うのも何ですが、あの御方は僕に相当な借りをお持ちです。僕が父上の免罪を請えば、決して悪いようにはならないはずです。孤児だった僕ら兄妹を我が子として迎え入れてくれたあの時の恩義、今お返しします」
「……この大馬鹿者が…、我が子に恩を背負わせる親がどこにいる…? そもそもお前は恩義に重きを置き過ぎているのだ。恩も結構だが、それによって振り回される自分の身近な人間のことをよく考えろ」
「本当に…その通りですね…。デュラ様への恩義に報いようと必死になり過ぎたがあまり、自分にとって大切なものを見失っていました…。これからはしっかりと家族に向き合って、今まで犠牲にして来たものを少しずつでも取り戻していこうと思います。だからそのためにも…、父上、あなたも僕らと共に生きて下さいっ」
マルコンは父を真っ直ぐに見据えて、手を差し伸べた。
「……そうだな…。お前への説教もまだまだ終わっていないしな…」
差し出された手を握り返すゴルベット。
息子の言葉にしてやられたように、彼は知的な顔立ちによく似合うニヒルな笑みを浮かべていた。




