第25章 39.たかが雑兵、されど雑兵
アルゴンは一歩一歩盤石な足取りで、四人の元に迫る。
「と、とにかくここから撤退しようっ………ッツ?、しまったっ……」
ライズドが急き込んだ時には時すでに遅し…、兵士たちに取り囲まれて退路を絶たれていた。
「くっ……」
焦慮に駆られる皆の前に、アルゴンは悠然とその威容を露わにする。
確かにライズドの光線が貫いた胸部からは、粘度を帯びた赤黒い鮮血が滴り落ちていた。
「儂としたことが…不覚であったわ……。貴様の放胆な剣捌きに誑かされたが……、そうであったな……貴様らは鼠のように狡猾な魔導士であったな……」
狂乱するほどの怒りで血走ったアルゴンの眼光…。
手負の状態ながら、重々しく言葉を吐く。
(何故だ…、急所を外したのか……、いやでも、胴体を貫かれて無事でいられるはずが……)
状況が飲み込めずますます焦りを募らせる一同に対し、アルゴンは淡々と独白を続ける。
「何故儂がかように立っていられるのか…、到底理解出来ぬ顔をしておるな……? 良かろう…、今生の別れの餞別として教えてやろう……。それは簡潔に言えば “憤激” だ……。貴様らへの際限なく溢れ出る烈火の怒り…、それを己自身の糧とすることで、血を煮え滾らせ肉を踊らせ精神を覚醒させる……。それにより、ついに儂は身体の限界をも超越したのだ……」
アルゴンが言う通りなのか…、いつしか重油のように垂れ流れていた鮮血も治っていた。
「な、何言ってんだ、このジジイ……、わけわかんねえ……。まさか不死身だって言いてえのかよっ……」
「落ち着けトレック…、そうは言ってても手負の状態だ…、俺たち四人で力を合わせればっ………ッツ!?」
ライズドが皆を鼓舞しようとした、もうその時には、アルゴンは自身が投げた剣を回収して彼の眼前に立ちはだかっていた。
「貴様だな、この儂を姑息にも狙い撃ったのは…。儂にとって剣闘の傷は勲章であるが、貴様のような駄豚に負わされた傷など屈辱以外の何物でもないわ……」
(……ッ!?、こいついつの間にっ……。ていうか間近でみると何て迫力だ……、こんなの…人間じゃない……)
その荒ぶる鼻息すら突風となるほどに、百獣の王の貫禄をまざまざと曝け出すアルゴン。
その威容に圧倒されて、無意識に脚が動かないライズドだが……、その瞬間っ!
ザッ………ボト……
「……ぐああああっ…!!!」
その恐るべき剣速に、ライズドの痛覚すら後れを取る。
利き腕が地に落ちると同時に、彼の痛ましい絶叫が響き渡った。
「ラっ、ライズドっ…!」
「ライズドさんっ…!」
ライズドの元に駆け付ける一同。
「ライズドっ、しっかりしろっ…!、今楽してやるからなっ…?」
トレックは切実にライズドに呼びかけると、自身の両手を彼の体に翳した。
その手からはほんのりと柔らかな光が溢れる。
そう…、これはなんと治癒術。
元々は攻撃特化型魔導士のトレックだが、エルパラトスでの一件以来、アイシスから治癒術を学んでいたのだ。
スケベ心という点で共通する二人は、意外にも打ち解けた関係となっていた。
(今の俺の術じゃあ、こいつの痛みを和らげてやることぐらいしか出来ねえ…。何がなんでも、一刻も早くこいつをアイシスのとこまで連れて行かねえとっ…!)
切迫した想いでライズドの治療に取りかかるトレックだが、その様をアルゴンは厭わしく見下す。
「そうか…、貴様ら魔導士は魔術で身体の治癒が出来るのであったな。ならばその斬られた腕も蜥蜴のように生えてくるのかのう。豚でかような話は聞いたこともないが、わはははっ」
「てっ、てめえっ…!」
「おいっ、気持ちはわかるが挑発に乗るなっ…、今はライズドさんの治療に専念しろっ…!」
「うるせえっ、てめえに言われなくてもわかってらぁっ!……くそっ……」
目の前で苦しむ友一人すら救えない、己の無力さに打ち拉がれるトレック…。
だがその隣で、もう一人自身の不甲斐なさに葛藤する男がいた。
(くそっ…、みんなが一生懸命戦ってこんだけ傷付いているっていうのに…、俺は一人だけ何をやってるんだ…。正直なところ怖い……不安と恐怖しかない……、とてもじゃないが俺なんかがまともに戦える相手じゃない……。でもっ…、ここで逃げてレイチェル様たちに顔向け出来るかっ……、俺はあの方から何を教わったんだっ……。ここで逃げたら……、レイチェル様に恩を仇で返すと同じだっ…!)
どうしても一歩踏み込めず、ここまで事態を静観してきたビバダムだが、ついに覚悟を決めた。
「待てっ…!、次は俺が相手だっ…!」
意を決して、アルゴンに挑戦状を叩き付けるビバダム。
しかし…
「……何だ、貴様は?、かような者この場におったかのう?」
アルゴンはその獰猛な面構えを訝しく歪めると、素で返事を返した。
なんとビバダムの存在は、最初から彼の眼中にすら入っていなかったのだ。
教え子であるヴィット、魔導部隊のローブを纏ったトレックとライズドにひきかえ、存在感が大きく欠けているせいでもあるが…。
「……ッ!、うるさいっ…、とにかく俺と勝負しろっ…!」
「ふん、賤陋な駄犬こそ良く吠える。何故この儂が、貴様のような雑魚の相手をしてやらんとならんのだ…、下らん」
すっかり興が醒めた様子のアルゴンは、その場から下がって行く。
それに変わってビバダムを取り囲んだのは、三人の重装兵だった。
「アルゴン様が貴様などと手合わせされるわけがないだろうっ。雑兵の分際で調子に乗りおってっ」
「手負のアルゴン様なら勝てるとでも思ったかっ、この卑しい雑兵めがっ!」
「何とまあ、間抜けな面をしているな。あの者らは、何故こんな雑兵を引き連れて来たのか…。我らが相手をしてやるのも馬鹿馬鹿しいぐらいだ」
兵士たちはビバダムに散々な罵声を浴びせるが…
(ああ、そうだ…、いくらレイチェル様たちに認められようと、知らない人間からしたら、俺の評価なんて衛兵時代と何にも変わらないんだ…。ならばこの剣で俺という存在を証明するしかないっ…、今までずっとそうやって来たじゃないか……。そうだ、今だって俺のやることは変わらないっ…、この剣で道を切り開けっ…!)
明鏡止水の境地で、己の進むべき道が真っ直ぐに見えたビバダム。
「なら俺から行くぞっ、うおおおおっ!」
完全に吹っ切れた彼は、豪胆に敵兵に向かって突撃した。
(くっ…、何だこの男の剣は……、恐ろしく速く重いっ…?、それでいてこの繊細な剣捌き……、なんてやり辛いっ……)
(何なんだっ…、この捉えどころのない剣筋はっ……。この男…こう見えて実は相当な手練れなのかっ……)
レイチェルから叩き込まれた “技” に特化した剣流に、ヴィット譲りの剛強さ。
それらを厳しい修行の末、ビバダムは己の剣技として昇華させた。
乱戦の中で彼は、数的優位の精鋭兵を相手に互角か、あるいはそれ以上の戦いぶりを見せる。
その予想だにしない展開に、後方で備える兵士たちからも響めきが沸き起こる。
そしてまたアルゴンも、ビバダムの勇姿を小難しい顔で凝望していた。
だがその心中は…
(……あの者の剣筋…、どうも記憶に引っかかるのう…。よもや……)
ビバダムの強さというよりも、彼自身に何かしらの興味を持ったようである。
そうこうして…
「ええいっ、たかが雑兵一人に何を手こずっているっ!」
「アルゴン様の前で、何処の馬の骨かもわからん者に負けるなど許されんぞっ!」
膠着状態に痺れを切らした数人の兵士が、さらに仲間の助太刀で駆け付ける。
ところが…
「やめいっ!」
突如アルゴンは、兵士らを厳しく一喝して勝負を停止させた。
(な、何だ……?)
困惑するビバダムに対して、アルゴンは神妙な面持ちで告げる。
「なるほどのう…、達者なのは口だけではないということか。儂の目の方が少々狂っておったようだ。良かろう…、失礼した詫びとして、望み通りこの儂が相手になってくれよう。早う舞台に上がるが良い」
(何なんだ、いきなり…、あんだけ俺のことを蔑んでいたのに……)
突然のアルゴンの心変わりに対し、その言葉を額面通りには受け取れないビバダム。
それでも…
(いいやっ、余計なことは考えるなっ…、俺がやることは目の前の男を倒して、皆と一緒に先へ進むっ…それだけだっ!)
最早決して覚悟が揺らがないビバダムは、徐にアルゴンが待つコートへと上がった。




