第4章 16.誇るべき強さ
こうして日数は過ぎ、ガノンに駐留する最後の日となった。
クラリスの言語能力は、今も回復する気配は全くない。
そして、その日の夜、彼女は父アルテグラに執務室に呼ばれた。
彼女がアルテグラと対面するのは、ガノン上陸初日に彼に送り出されたあの日以来だ。
彼は、国から託された終戦処理という重要な任務があり、ガノンに滞在した2週間、関係各所を駆け回っていたため、船内にはほとんどいなかったのだ。
亡命政府やガノン軍部との交渉の結果、フェルトにおけるガノンの権益の10%をジオスに明け渡すこと、関税優遇でのジオスとの交易の開始、ガノンの持つ魔導工学技術の一部開示…、まさにアルテグラの外交手腕が発揮された内容となった。
「クラリス、失語症になったと聞くが…、大丈夫か?」
”はい、言葉が喋れない以外は、何も問題はないです。ご心配をおかけして申し訳ありません”
今やクラリスにとって手放せない必需品となってしまった手帳に手慣れたようにサッと書いて、彼女はアルテグラに意思を伝える。
「いや…、謝らずとも良い。船内で忙しなく働いているようだが、無理をするでないぞ」
挨拶代わりに軽く意思疎通を交わしたところで、アルテグラが本題に入った。
「さて…ピレーロ部隊長から報告は聞いたが、戦果を挙げたそうだな。見事だったぞ」
”ありがとうございます”
暗い表情でメモを見せるクラリスを見て、それが本心ではないことを見抜いた彼は、彼女に問いかけた。
「何か言いたいことがあるようだな? 構わん、言ってみなさい」
一瞬、クラリスは躊躇するが…
(この状況では言わなくては逆に叱られる…)
不安に駆られながらも、彼女は恐る恐るペンを揮った。
”私はあの男たちを殺してしまいました。生かして拘束する選択肢もあったはずなのに、感情に煽り立てられて周りが見えなくなってしまって、術を放ってしまったんです”
クラリスの本音を見たアルテグラは、一慮することもなく、淡々と彼女に対して答えた。
「確かに、感情に支配されて理性を失ったことについては良くはない。しかし、連中は非常に狡猾だ。今回のように武装していたり、簡単な術を使える者もいる。両手を挙げて完全投降の意思を示さない限りは、その場で始末するのが基本だ。お前の行動は我々にとっては至極当然の対応だ。行動に関しては、何も間違ってはいない」
腑に落ちない様子で、神妙な表情を浮かべて押し黙るクラリスに対し、アルテグラは彼女を諭すように、さらに話を続ける。
「クラリスよ…、どのような正義や大義名分を掲げようと、我々の仕事は人を傷つけ殺すことだ。それと引き換えに守るべきものを守る…。魔導士として王国に仕えるとはそういうことなのだ。まだ幼いお前には重過ぎる現実だったかもしれないが、いずれは直面しなくてはならない現実でもある。私はお前にそれを知って欲しかった…、だからこそ敢えて戦地に送り出したのだ」
(これまでの血と汗にじむ努力は、全て戦場に出て人を殺すためのものだったのか…、そして…それなのに自分は何も守れなかった……)
父によって、再び残酷過ぎる現実を突き付けられたクラリスは、虚しさと悔しさとで、その場で酷く打ち震える。
すると、彼女の様子を見かねたのか…、それとも、予め言うタイミングを見計らっていたのか…、アルテグラが失意に陥った彼女に言った言葉は……
「お前が救おうとしたジェミスという奴隷の娘だが…、あの娘は生きている」
「えっ…!?」
アルテグラの予期もせぬ一言に、一瞬、クラリスから声が漏れた。
「あの場で連中に殺されて投棄された子供たちだが、その中に数人、まだ息のある者がいたのだ。無論、長きに渡る酷い虐待で、生きていると言うよりかは、一命を取り留めたと言った方が適切だが…」
アルテグラの言葉の衝撃、ジェミスが生きていたという喜び、彼女の容態が気が気でならない焦燥感、彼女をあのような目に遭わせた男たちに対する激しい怒り…、雑多な感情が、打ち震える彼女の心の中を駆け巡る。
気持ちを整理出来ずに言葉に詰まるクラリスを察したのか、アルテグラは彼には珍しく、優しい労わるような口調で彼女に語りかけた。
「あの連中はあの場で、証拠隠滅のために、子供たちに油をかけて無残にも焼き殺そうとしていたようだ…。あの娘を救ったのは言うまでもなくお前だ。お前の強さが、あの娘を救ったのだ。それだけは誇ってもいい…いや、誇るべきだ。……よくやったな、クラリス…」
そう言うと、彼は執務机の椅子から移動して、机の前にいるクラリスの元まで行き、彼女に目線を合わせるようにしゃがみ込んで、彼女の頭を軽く撫でた。
その顔は、これまた厳格な彼には珍しく、愛しむような優しい表情をしていた。
「うっうっ……うあああん……!」
アルテグラの言葉で、胸につっかえていたものが綺麗に落ちたのか…、クラリスは押し殺していた胸の内を暴発させるように、その場で号泣した。
それに対し、彼は慰めも優しい言葉も掛けることなく、ただ黙って、彼女にハンカチを差し出しす。
目の前で泣きじゃくる我が娘に対して、それぐらいしかしてやれない…、それだけアルテグラは不器用な男なのだ。
それでも……、クラリスは彼のハンカチを、有り難みを感じるように両手で受け取り、必死に涙を拭う。
ずっとアルテグラを慕って付き従い、彼のことを知り過ぎている彼女には、その一枚のハンカチだけで父の愛が十分に伝わったようだった。
さて、クラリスが落ち着いたところで、彼女は彼女でアルテグラに用事があった。
”お義父様、これお返しします。ありがとうございました”
メモを見せて、彼女が持参した布包から取り出したのは…、あの日アルテグラが彼女に授けた、ジオス魔導部隊の青のローブだった。
あの戦闘でローブも酷く汚れてしまったが、彼女はそれをしっかりと洗って、アイロンも掛けて、新品同然に綺麗に折り畳んで…、大事そうに両手で彼に差し出した。
しかし、アルテグラはクラリスが差し出したローブを受け取ろうとせず、彼女に告げる。
「これは此度の戦役への参加と戦果を挙げた褒賞として、お前にそのまま授ける。大事に持っていなさい」
”こんな大切なもの、私なんかがいただけません”
「クラリス、褒賞というのは言われた通り、有り難くいただくのが礼儀だ。お前もセンチュリオンの令嬢である以上、今後公の場で恩賞を賜る機会もあるだろう。これを機に覚えておきなさい」
当惑した表情を浮かべるクラリスだったが、アルテグラにそう諭されて…、差し出したローブを懐に引っ込めるように、愛おしそうに両手で抱いた。
「うむ、よろしい。ただしあまり他人には見せるな。部屋の奥にでも閉まっておきなさい。リグにでも見つかったら厄介そうだからな…」
クラリスの様子を見たアルテグラは、そう言ってやや苦笑いをした。
ようやく一仕事を終えて、明日には家族の待つジオスへと船は出港する…、そのことで少し気が緩んだのだろうか…?
そして、クラリスも『リグ』という、もはや懐かしい名前を聞いて、思わず笑みが溢れた。




