第25章 29.あの日のこと
不意にのそっと現れた大男の存在に、意表を突かれたクラリスとリグ。
だが次の瞬間、二人は身の毛がよだつほどの生理的忌避感を覚えた。
(こ、この人……顔が……)
二人が見たその男の顔…、鼻が削ぎ落とされて片目も潰され、顔筋の神経が切れて常時表情を引きつらせている。
その悍ましい形は地下牢という場の空気も相まって、まさに “化け物” と形容するに相応しかった。
(こいつ…ここまで見て来た敵の奴らとはまるで雰囲気が違う…。でもとにかく敵であることには違いねぇっ…)
厭わしい圧を纏う謎の大男を前に、クラリスとリグは咄嗟に構える。
ところが、男は二人にとって予想だにしない言葉を発した。
「闇夜にも輝くほどに美しい、白金の髪と碧き瞳……。もしや…、あなた様はセンチュリオン家のご令嬢であらせられるクラリス様では……」
「えっ……」
なんと男はクラリスのことを知っているらしい。
当惑のあまりに言葉に詰まるクラリスとリグ。
男はそんな二人の前で跪くと、さらに話を続ける。
「かような醜い形でのご拝顔を御許しください。私はドルグ・クレトリアと申します。かつては重装兵団に所属しておりましたが、現在は牢内におられるシエラ様の御世話を司っております」
「……なんで私の名前を…、いや、そんなことよりシエラは無事なんですかっ…?」
「はい、お辛い境遇にありながらも、強い御心で気丈に長き日々をお過ごしになられていました…。あなた様のことを存じ上げている理由は、シエラ様がよくあなた様のことをお話になられていたからです。さあ、シエラ様の元へご案内致しましょう…」
目元を細く歪めることで微笑みを表した、男ことドルグ。
彼は入り口の鍵を開けると、二人を牢内へと導き入れた。
こうしてドルグの案内の元、クラリスとリグは薄暗い牢内廊下を進む。
(なあクラリス、本当に大丈夫なのか…?、あのおっさんなんか怪しくないか? まさかこの先で敵に待ち伏せされてるとか…)
(そりゃあ私だって、あの人のこと完全には信用できないけど…。でもこの先にシエラがいるのは間違いないんだから、進むしかないんじゃない? ただ不測の事態に備えて、すぐに動けるようには準備しておこう?)
ドルグのことを強く警戒する二人だが、そうこうしているうちに彼はある一室の前で止まった。
そして…
「シエラ様…、お迎えが参りました」
(えっ…?)
ドルグが牢の鍵を開けたその瞬間、クラリスは居ても立ってもいられずに駆け寄る。
「シっ、シエラっ…!」
廊下の灯が隅まで行き渡らない狭い檻房の中で、一人人形のように佇む薄幸の少女…。
それは紛うことなきシエラの姿だった。
「ク…クーちゃんっ……」
「シエラっ、助けに来たよ!、もう大丈夫だから…」
「本当に…本当にクーちゃんなのね…?、私、夢見てるんじゃないのね…」
「うん、夢じゃないよ、私はちゃんとここにいるよ………うううう…本当に無事でよかった……うううう……」
「ありがとう…クーちゃん……、ずっと会いたかった……ううう…うああああんっ……」
陽の光など一寸も届かない暗鬱な部屋の中で、ずっと堪えて来た想いが堰を切ったように溢れ出したのだろう。
クラリスの胸の中で泣き崩れるシエラ。
そんな彼女をクラリスは優しく、それでいて強く抱き締める。
ところで…
(シエラ確かに弱っているようだけど、肌の色もそんなに悪くないし、髪も艶があって綺麗……、ああそうか、ドルグさんたちが…。あの人たちは自分たちが出来ることで、この子のことを守ってくれてたんだ…)
辛い幽閉生活にありながらも、シエラがドルグたちから大事にされていたことを察して、心なしか救われたクラリス。
さてそのドルグだが、二人の様を暫し温かく見守った後、その場からそっと離れて行った。
「でも本当にクーちゃんも無事でよかった…。それにしても一年ぐらいしか経ってないのに、なんだか逞しく見えるというか…、すごく成長したのね…」
「うん…、あれから色んなことがあってね…。自分でも夢だったんじゃないかって思うくらいに…」
積もる話を互いに山ほど抱えているクラリスとシエラであるが……
「あのね、シエラ…、話があるの……あの日のこと……」
クラリスの『あの日』という言葉で全てを察した様子のシエラ。
唇を少し噛み締めて小さく俯いた。
「あの日…、二人で出かけた城下であなたが私に言ってくれた言葉……。申し訳ないけど、私はあなたの気持ちを受け取れないの…。私とあなたは大切な友達……それ以外何物でもないから……」
およそ一年半前、シエラの誘いでお忍びで城下へと出たクラリスは、彼女から唐突な告白を受けた。
唇を奪われるという衝撃もあって、ショックのあまりにその場から逃げ去ってしまったクラリス。
(なんで逃げてしまったんだろう…。もっと冷静に向き合って、シエラに言葉で私の想いを伝えてあげるべきだった…)
あの時の自身の行動を、クラリスは甚く悔やんでいた。
だがその後、シエラは二度と学院に現れることなく、一方のクラリスはゲネレイドの謀略で捕えられ、二人はもう会うことはなかったのだ。
さて、その一年以上抱えて来た衷心の想いを、今クラリスから受け取ったシエラ。
そのまま表情も変えずに押し黙っていたが…
「はあぁ……」
シエラは突然、仰々しく大きなため息を吐く。
そしてわざとらしく呆れ顔を浮かべて言った。
「クーちゃん、あなたって見かけによらずデリカシーがないのね…。こんなにも弱ってる私に、そんな酷い言葉を浴びせるだなんて…」
「ご、ごめんね……、で、でも、これだけはどうしても言わなきゃってずっと思ってたから……」
シエラの意地悪な反応に、しどろもどろ気味に言葉を返すクラリス。
そんな彼女の様子を楽しんでいるのか、シエラはクスクスと無邪気に笑った。
「ふふふふ…、冗談よ、冗談。確かにあの時は、私はクーちゃんに対して恋愛感情に似た気持ちを持っていたんだと思う…。だから衝動的にあなたに口付けまでしちゃったわけだけど……」
「えええっ…、く、口付けぇっ…!?、お、おいっ、クラリスどういうことだよっ…?」
ここまでやや蚊帳の外だったリグが、『口付け』という単語に過剰に反応する。
返事に困るクラリスを尻目に、シエラは話を続ける。
「今思えば、それは単なるあなたへの憧れに過ぎなかったって思うの。あなたはずっと私にとって輝かしい存在だったから…。それに私だって多感で年頃の一人の女の子だもの…、若気の至りぐらいあるわよ。だから今はクーちゃんのことを尊敬こそすれ、恋愛感情なんてこれっぽっちもないわ。そういうわけだから、弟くんも気にしないでね?」
「は、はい……」
シエラから含みのある笑みを投げかけられて、思わずそう答えるしかないリグであった。




