第4章 15.消えない罪
アリアに連れられて船に戻ったクラリスは、医師の診察を受けた。
言葉が話せないので、彼女は筆談で医師の質問に答える。
診察の結果は…、魔素の昂揚のよる一時的な失語症と診断された。
クラリスのような成長過程の子供が、極度の感情の高ぶりによって半無意識に魔術を発動させると、脳に過度な負担が掛かり、このような症状がたまに現れるのだという。
問題はそれがいつ完治するのか…、医師の所見は数日とも数週間とも数ヶ月とも…、結局のところ医師にも見当がつかないようだ。
ところで、船内にて、クラリスは予期もせぬことを聞かされた。
彼女が殺した、あの奴隷商の男たち…、彼女は全く気が付かなかったが、実は彼らは魔導銃と短剣を所持していた。
つまり武装をしており、それは掃討の対象である武装勢力に分類される。
皮肉にも、彼女は敵兵2人を討伐という戦果を挙げたことにされていたのだ。
無論、それを聞かされたところで、彼女は何も嬉しくも誇らしくもなかった。
彼女の心に残るのは、13歳で2人の人間を殺し、それでもジェミスを救うことが出来なかったという、罪の重荷と虚しさだけだったのだから…。
さて、クラリスは言葉が喋れなくなったとはいえ、船内の皆のために役に立とうと甲斐甲斐しく働いた。
彼女が着ていた白いワンピースは激しい戦闘によってボロボロになってしまったため、彼女は船内で、ガノンの街で現地調達した服を着用していた。
何も装飾はなく質素だが、ふんわりとしたフレアスカート調でパフスリーブと丸襟の、年頃の少女らしい、水色の可愛らしいワンピース…、その上に白いフリルの付いたエプロンドレスを着用して雑務に勤しむ。
また長い髪は動きやすく邪魔にならないよう、二つ結びで三つ編みにしている。
薄暗い船内で、彼女の所作でワンピースとエプロンの裾がひらめき、それに合わせるように二本の白金色のお下げが軽やかに揺れる様は、まるで夜闇に舞う一羽の蝶のようだった。
まさか、このいたいけで可憐な少女が、先日死者数十人を出した戦闘に参加していたなど、誰も夢にも思わないだろう。
そして今、クラリスはノポリーの過剰摂取により昏睡状態で運ばれた、スコットの看病をしている。
彼は、翌々日には意識は回復したが、やはり中毒症状が起きており、体の震えや酷い倦怠感、時によっては幻聴が聞こえることもあるのだという。
クラリスはスコットの体を拭いたり…、体の震えが酷くてスプーンが持てない時は食事を口に運んだり…、トイレなどで彼が室外に出る時は体を支えて付き添いをしたり…、甲斐甲斐しく彼の世話をした。
”体調はいかがですか? 気になることがあったら、何でも言ってくださいね”
言葉が喋れない彼女は、そう書いたメモを彼に見せる。
「うん…、おかげさまで今は大丈夫だよ。いつもすまないね…クラリスちゃん、君も大変だろうに…」
スコットは申し訳なさそうに、クラリスに言葉を伝えた。
それを聞いた彼女は、力なく笑みを浮かべ軽く鼻息を吐いて、再びメモを書き始める。
”私のことなら気になさらないでください。体は全然健康ですから。それに私たち仲間じゃないですか!”
それを見た彼は、物悲しげな笑顔を浮かべる。
「ははは…、そうだな、そう言ってもらえると嬉しいよ。ありがとう…クラリスちゃん…。でもな…、俺がこうやって姐さんたちと戦えるのは、たぶんこれが最後だ…。ノポリー中毒になっちゃったら、もうアレを使うことは出来なくなる。そうなったら持久戦は戦えない…。俺の魔導部隊員としてのキャリアもここで終わりだよ……」
スコットの話を聞いて、クラリスは重々しい表情を浮かべる。
しかし、そんな彼女の顔を見て、彼はこう言った。
「そんなに、無理に悲しい顔しなくてもいいんだよ」
そのクラリスの心の内を見透かすかのような言葉は、彼女の動揺を誘った。
「ああ…うっ……」
咄嗟に声を発しようとしたクラリスを見て、スコットは彼女を落ち着かせるように語り掛ける。
「ああ…ごめんな…。でも、落ち着いて聞いて欲しい。君が本心で思っていることは俺にはわかるよ。俺は魔導部隊に入って、18歳の時にデール族の残党狩りで初めて戦場に出たんだ。その時、たぶん今の君が思っていることと同じ感情を持ったよ…。そして、その感情は確かに現実にはそぐわないかもしれないけど、決して間違ってはいない。俺はあの時からズルズルここまで来てしまったけど、君が俺たちと同じ道を歩まなくてはならない理由なんてないんだ。姐さんが君に『戦わなくてもいい』って言ったろ? あれは自分の目を見たものを自分の心で感じて、自分はどうしたいのか考えろって意味だと…俺は思う…」
25年前にジオス北部に位置するフォークの街を戦場に、強大な魔術を使い熟す少数精鋭の民族デール族を討伐したフォーク戦役…、戦いは終わっても彼らの生き残りはジオス周辺に逃れ、今から6年前までは王国はその残党狩りを積極的に行っていた。
ちなみに6年前を境に、今日まで国による残党狩りが行われなくなった背景には、クラリスの父アルテグラのジオス王への進言があったという。
スコットの言葉はクラリスに安堵を与えた一方で、さらなる罪の意識を負わせ、結果、彼女の心を惑わせることになった。
(どんな正義を掲げようとも、結局やってることは人殺しだ…もう戦いなんてしたくない……)
あの戦場で彼女に芽生えた本心を理解してくれる人がいた一方で、それは彼女があの場で二人の人間を殺したという、悍ましい現実に向き合わなくてはならないということである。
二律背反する二つの思いに、クラリスは当面苦しむこととなった。
それでも……
「おーい、スコット、調子はどうだ?」
病室にアリアとライズドとトレックが入って来た。
ちなみに彼らは、先日の東第1区での作戦終了後は、エクノカ市内の巡回警備を担当したり他隊と行動を共にしている。
「あっ、姐さん、お疲れ様です。今はだいぶ楽になりましたよ…。この子のおかげです…」
スコットが感慨深げにクラリスを見つめると、彼女は照れるように皆から視線を逸らす。
「そうか…。偉いぞクラリス」
アリアが満面の笑みで彼女の頭をゴシゴシと撫でると、彼女は俯きながらも、親に褒められた子供のように嬉しそうに微笑んだ。
「チクショー!、こんな可愛い子に看病してもらって、羨ましいなあ、お前。俺もノポリー中毒になろうかな…?」
「バカなこと言ってんなっ!」
冗談を言うトレックに対し、アリアがバシッと彼の頭を叩く。
「痛って…、冗談ですって…姐さん」
トレックの反応に、皆から微かに笑いが漏れる。
すると、クラリスがまた徐にメモを書き始めた。
そして、それを物憂げな面持ちで、アリアたち皆に見せた。
”この度は色々とありがとうございました。皆さんにたくさんご迷惑をかけてしまってごめんなさい”
「あははははっ…!」
彼女の予想とは裏腹に、皆から大きな笑い声が起きた。
「どうしちゃったんだよ?、そんな畏まってさあ…。俺たちそんな他人行儀な仲じゃないだろ?俺たち同じ死線を潜り抜けた仲間じゃないか」
「そうそう。こんな言い方は変かもしれないけど、俺、君と一緒に戦えて、共に行動出来て、すごく楽しかった…。今回ほど、生きて帰れて良かったって思ったことはないよ」
トレックとライズドがそれぞれクラリスに声を掛ける。
思わぬ彼らの反応に対する驚きと、心に込み上げてくる感慨とで、打ち震えるようにその場で固まる彼女に対し、アリアも声を掛けた。
「お前がどんな考えを持とうと、お前はアタシらの仲間だ。お前の居場所はもうここにあるんだぞ。何も遠慮することなんてないんだ。お前はお前なんだから…」
アリアのその言葉は、気持ちの整理を付けられず、彼らに対してどう顔向けすればいいのか酷く悩み苦しむクラリスの心に深く沁み入った。
その言葉がそこまで彼女の心に響いたのは、きっとそれがアリアの言葉だったからだろう。
「ううっ…うぐっ……」
気付けばクラリスは、感情が極まって泣きじゃくっていた。
「おいっ、誰だ?、クラリスを泣かせやがったのは!」
(それはあなたでは…?)
躍起になってクラリスを泣かせた犯人探しを始めるアリアに対し、三人は皆、全く同じことを想起するが、決して口には出せない。
喋れないクラリスは、泣きながら必死に首を横に振って、アリアに何とか意思を示そうとする。
この賑やかで騒がしく、そして尊い仲間たちの存在は、葛藤に苦しむ彼女に安らぎという名の救いを与えた。




