第24章 3.後悔先に立たず
ところで、クラリスとリグの心配を他所に、マリンは大層緊張頻った様子でアイシスの前に立っている。
そして、彼女は意を決して言った。
「聖女のアイシス様でいらっしゃいますよねっ…? 私はマリン・リーベ・レジッドと申しますっ。あのっ…、お願いがありますっ…、私を…アイシス様の弟子にしてくださいませんかっ…?」
「ええええっ…!?」
クラリスたちにどれだけ失望されようとも、依然市井では、アイシスは聖女として崇められる存在であった。
とはいえ、イメージが神聖のベールに包まれて一人歩きした結果、今や彼女が街に出ても本人だと気付かれることすらないのだが…。
“聖女アイシス” というパワーワードもさることながら、『弟子にして欲しい』というマリンの申し出に、開いた口が塞がらないクラリスとリグ。
「ちょ、ちょっとっ…マリンさんっ……」
「な、何よ……」
二人はマリンを玄関外に引っ張り出して、アイシスに聞かれないよう小声で説得を試みる。
「『あの人の弟子になりたい』だなんて…、一体どういうつもりなんですかっ…? どこかで頭でも打ったんですか?」
「そうだよっ、今日のマリン姉ちゃん、なんかおかしいぞ? 何か悪いもんでも食ったのか?」
「二人とも何言ってんのよ…、私がフェルカちゃんの意志を継いで治癒術師を目指していることは知ってるでしょ? アイシス様がエルパラトスで起こしたという奇跡を聞いて、直感でこの方の元で治癒術を学ぼうって決意したの」
「そりゃあまあ…、確かにそれは本当のことだけど…、でも弟子になるなら他の人にした方がいいですよ…?」
「悪いこと言わないから、あの人の弟子だけはやめとけって…。もっと自分を大事にしろよ」
「どういう意味よ、それ…。言っとくけど、どんな辛い修行でも乗り越えてやるぐらいの覚悟は持ってるわよ? 私だって魔導部隊の厳しい訓練に耐えて来たんだから…。小っこいからって甘く見ないでよね?」
マリンは、アイシスが聖人君子であると信じて疑わない。
当然ながら、クラリスたちの言葉の真意などわかるはずもなく、訝しげに返事を返す。
「ねえ、二人とも…、何こそこそやってるの? このマリンちゃんは私に話があって来たんじゃないの? せっかくわざわざ来てくれたんだから、邪魔をしちゃダメでしょう?」
こういう時に限って正論を宣うアイシスに、思わず心の中で舌打ちが出るクラリスとリグ。
アイシスは “聖女” の二つ名に違わぬ慈悲深い笑みを作ると、優しくマリンに声をかけた。
「マリンちゃん…、わざわざ私を尋ねて来てくれてありがとうね。あなたの決意は相当なものみたいだけど、私の言うことは何でも聞く…、その約束を守れるかしら?」
「はいっ…、もちろんです!」
「そう…、あなたの覚悟はしっかりと伝わったわ。でもね、悪いけど、私は弟子は取らないことにしてるのよ…」
「ええっ…、そんなっ……。お願いしますっ。そこを何とかっ……」
藁にも縋り付く勢いで、アイシスに弟子入りを懇願するマリンだったが……
「ふふふふ…、言い方が悪かったわね…、そんなつもりで言ったわけじゃないのよ。私、師匠だとか弟子だとか…、そういう上下関係がどうも苦手でね…。“聖女様” と称賛されるのもなんだか落ち着かないし…。だからあなたとは…、そうねぇ…姉と妹みたいな…、そんな関係になれたらいいなぁって思うの。お姉さんが可愛い妹に、手取り足取り色々教えてあげる……悪くない関係でしょ?」
「は、はいっ……、では…『お姉様』ってお呼びしても……」
「ええ、もちろんよ。よろしくね?、マリンちゃん」
「はいっ…、お姉様」
アイシスはマリンを抱き締めた。
力が加減された柔らかい包まれ心地ではあるが、その手を組む指の絡み付きは極めて強固だ。
蟻地獄の如く、捕らえた獲物は絶対に逃さないという強い執念を感じる。
そんな中で…
(はあぁ〜…、なんて素敵なお方なの……、まさに “聖女様” だわ…。それに何となくだけど、フェルカちゃんの面影も感じる…。きっとあの子が生きていて大人になっていたら、この人みたいになっていたんだろうなぁ……。あの子のためにも…、それに私を快く送り出してくれた部隊長のためにも…、私頑張らなきゃ! どんな辛いことがあっても、耐えてみせるんだから!)
マリンはすっかり、身も心もアイシスに籠絡されていた。
そしてそんな彼女を、最早憐憫の目で距離を置いて見つめるクラリスとリグであった。
さて、それから1週間後…、学校帰りのクラリスとリグ。
あれから、学校や自宅周辺でアイシスの姿を見ることもなく、あくまで偶然なのだろうが、街角の『不審者注意』のポスターも貼られなくなった。
特にこれといったこともなく、帰路に着いていたのだが……
「んっ?、あれって…マリンさんじゃない…?」
「あ、ほんとだな…、何やってんだ?、あの人……」
遠目から小さなマリンの姿に気付く二人。
彼女は往来のど真ん中で、挙動不審にうろうろしていた。
「あのぅ…マリンさん……?」
「ひっ…!?」
気になって声をかけたクラリスだが、マリンは一瞬怯えた子猫のように過敏な反応をする。
その後クラリスの顔を見ると、涙目で安堵の表情を見せた。
「一体どうしたんですか…、それにその格好……」
何故か、フリルとリボンがふりふりの女児服に身を纏ったマリン。
年齢的には大変痛々しい装いではあるが、彼女の外見的には大変よく似合っている。
「うううっ……、毎日毎日こんな恥ずかしい格好させられて…、修行だとか言われて、あの人の慰み者にされて……ううう……」
「だから俺らがあんだけやめとけって言ったじゃんかぁ…」
「だ、だってぇ……、あんなにもフェルカちゃんに似ている人が、あんなド変態だったなんて夢にも思わなかったんだもん……。酷すぎるわよぉ…こんなの詐欺よぉ……うっううう……」
何て声をかけてあげたら良いのか…、居た堪れずに佇むクラリスとリグだったが……
「ひっ、ひいっ……!、来たぁっ……」
「あっ、ちょっとっ、マリンさん……」
遠目に何者かの姿を見たマリンは、クラリスの静止を聞くことなく、その場から一目散に逃げ去った。
それから数分後…
「あら?、二人とも久しぶりね」
(げっ……)
クラリスとリグの元にやって来たのは、よりにもよってアイシスだった。
「ねえ、二人とも、マリンちゃん見なかった?」
「み、見て…ないよ……」
「そうなの…。まったく…あの子ったら、修行中なのに外に飛び出しちゃって…、イケナイ子なんだからぁ…ふへへへ……」
「あ、あの……、お姉ちゃん……、手に持ってるのは……」
何故か手には、哺乳瓶と涎掛けを持っていたアイシス…。
「ああ、これ?、これは次の修行のための道具よ。今度はマリンちゃんに赤ちゃんになってもらって、私がママになるの。生まれた時の原初に立ち返ることで、内に秘めた魔素を最大限に引き出させるってわけ」
(ひいいぃっ……)
もしもマリンがいなかったら…、自分らの身に危険が及んでいたかもしれないと思うと、クラリスとリグは身の毛がよだつほどの悍ましさを覚える。
「あなたたちにも構ってあげたいけど、今はマリンちゃんを調教…育て上げるので精一杯だから…。お姉ちゃんがいなくても、拗ねたりしちゃあダメよぉ?、ムフフフ……」
最後、意味深に不穏な笑みを残して、アイシスはマリンを追って去って行った。
「マリンさん…、大変そうだね……」
「でもなぁ、マリン姉ちゃんが自分で決めた道だしなぁ…。それに俺らも、一応は止めたわけだし……」
「それもそうだね。戻ってこないうちにさっさと行こっか」
意外にも淡白な反応を示すクラリスとリグ。
内心では、アイシスの矛先がマリンに移ったことに胸を撫で下ろす二人であった。
 




