第23章 10.出発までの日々
そんなわけで、マルゴスとともにジオス行きが決まったバラッドとフェニーチェ。
出発は3週間後だが、それまでは今までと何ら変わりのない、平穏な日常を送っている。
さて、フェニーチェ…、いつものように、大親友のカレラとの下校中のこと…。
「ねぇ…、カレラ……、大事なお話があるの……」
「どうしたの…?、一体……」
「うん…、実はわたし…3週間後にジオスに行くことになったの……。だから…あなたとはしばらく会えなくなっちゃうの……」
表情をどーんと曇らせて、カレラに打ち明けるフェニーチェだったが……
「まーたそういう話ぃ…?、なんか去年もおんなじこと言ってなかった? それとも夏になると、なんだかすっごく冒険したくなるとか、そういうアレなの…? 泣きべそかかないうちに、さっさとあきらめたほうがいいよ?」
カレラから散々な言われようのフェニーチェ。
それもそのはず…、ちょうど1年前、クラリスたちの旅に付いて行くと強情張って調子に乗りまくった結果、誘拐されるわ、純潔を汚されそうになるわで、これでもかと醜態を晒す羽目となった。
あの時、見栄っ張りな彼女が見せた無様な素顔を思い出して、カレラは心底呆れ果てながら返事を返す。
「違うわよっ…!、本当にお兄様と一緒にジオスに行くことになったのっ。ちゃんとお父様の許しももらったし、お父様の知り合いの人たちに護衛もしてもらうし……」
「えっ……、じゃあ…本当にジオスに行っちゃうの……?」
「そうよっ…、だから最初っからそう言ってるじゃない………ちょっ…わっぷっ……」
衝動に駆られるようにして、カレラはフェニーチェに抱き付いた。
「いやだよぉ〜、なんでっ?、どうして行っちゃうのっ…?」
「……お兄様がどうしても行きたいって言うから…。それに…ジオスでどうしても会いたい人たちがいるの…。なんていうか…、今会えないと、もう一生会えないような気がして……」
「そんなことないよぉ〜、気のせいだよぉっ…。今向こうはすっごく危ないんでしょっ…? もしかしたら、わたしたちが一生会えなくなっちゃうかもしれないんだよっ…? お願いっ…、行かないでよぉ………ううううっ……」
「……ごめんね…カレラ……」
気付けば、愛らしい純朴な顔を涙でくしゃくしゃに濡らしていたカレラ。
(そういえば去年も、わたしがお姉様たちと旅に出るって言って、この子をこうやって抱き締めてたっけ……。でも今は…あの時と違ってすごく心が痛い……。もう一生会えなくなるわけじゃないのに、友達との別れがこんなにも辛いだなんて……。あの頃のわたしって…、本当に自分に酔ってたのね……ほんとバカみたい……)
カレラを抱き締めるフェニーチェの心は、1年前に比べて心なしか成長していた。
所変わって、ここはフェルトの最高学府、ウェルザ国立大学の本部キャンパス。
広大な敷地の中央を幅広い並木通りが縦断し、それに主役を譲るようにして、数多の教場棟や研究棟が整然と立ち並ぶ。
大学は夏季休講中…、学生がまばらな大路を地図片手に歩くのは……
(うっわぁ…、広いなぁ……、まるで一つの街みたい……。これが全部学校だなんて…、本当にフェルトってすごいなぁ…)
マルゴスの研究室に呼ばれたターニーだった。
ところで…
「おい…、あの子黒髪だぞ……、いくらなんでもウィッグかなんかだよな……。仮装みたいな奇妙な格好してるし、もしかしたら単位互換とかで来た美術学院の子かな…?」
「でもすげえ風に靡いてるぞ…、地毛じゃないのか…? どこの国の留学生だろうか…、あの黒尽くめの格好も民族衣装か何かとか……」
「い、いやっ……こ、これはっ……。魔素遺伝学の権威であるゼルファー教授の研究によると、魔素遺伝因子D-6型とZ-1型がスピン衝突を起こして相殺反応することにより、0.0数パーセントの確率で強大な魔素を持った子が生まれる…。そして、そのような子は他者とは似ても似つかぬ髪色をしていると……」
スクエア眼鏡をクイっと掛けて学術書を片手に抱えた、如何にもな秀才キャラが横から解説を加える。
突然颯爽と現れた、見たこともない珍奇な黒尽くめの少女に、周囲の学生は騒然としていた。
そんな四方八方から浴びせられる、興味本位の視線の嵐など物ともせず、涼しい顔を浮かべるターニー。
こうしてやや道に迷いながら彼女がやって来たのは、コンクリート建築の研究棟ではなく、敷地の外れにある簡易的な倉庫だった。
「やあ、ターニーちゃん、よく来てくれたね」
ターニーの到着を、数十分前から今か今かと待ち侘びていたマルゴス。
「すいません、遅くなっちゃって…、あまりにも広くて道に迷っちゃいました。ここが全部学校だなんてすごいですねえ…」
「はははは…、“学校” じゃない、大学だよ。生徒に勉学を教えるだけでなく、自ら考えて行動を起こして、研究も行う場だ。まさにフェルトの “知” の集積地と言ってもいい場所だな。実を言うと、こないだはもう研究者を引退したいなどと言ったが、本当はジオスで大学を作りたいという密かな夢があってね…」
「へえっ〜、そうなんですねっ、すごいです! ところで、レーンさんは今日はどうしたんですか?」
「ああ、レーンなら部の大会で地方に行っててね…、ここ数日は留守にしてるよ」
こんな感じで会話に花を咲かせる二人。
そうこうして…
「それで…、なんでこんな場所に来たんですか?」
「ああ、前に君に言った “秘密道具” がこの格納庫の中に入っててね…。それを見せてあげようと思ったんだ」
「ほんとですかっ?、それにしても随分と大きそうですねぇ…?」
「まあね……」
ターニーの問いかけに、マルゴスは敢えて詳細に答えることなく、黙々と倉庫の扉を開けた。
「うわぁ〜…、なんかすごいですねぇ……。こんな形のやつは初めて見ました…。すごくカッコいいですね!」
「ふふふ…、いい反応だ。僕もここまで秘密にしておいた甲斐があったよ。ジオスでは道も十分に整備されてないからね…、その対策も含めてこれを作ったんだ。ただね…、まだ完全に完成とは行かなくてね…。普通とは違う、特注の高出力エンジンを搭載してるから、魔燃料燃費が頗る悪くて、走行距離が全く伸びなくて、現状では実用性に欠ける。そこで、ちょっと君の力をお借りできないかなと思ったわけさ」
「はいっ、私でよければっ。じゃあこれは、マルゴスさんと私との共同研究ですね!」
「はははは…、こんなにも可愛らしいのに、下手な研究者なんかよりもよっぽど頼もしい顔をしてるな。ではよろしく頼んだよ?、ターニー君」
ターニーを君付けで呼んだマルゴス。
これは、彼がターニーを “お客様” としてではなく、自身と対等な共同研究者として受け入れたことを意味していた。
これまた所変わって、ここはウェルザ市街から数十キロ離れた場所に広がる、真緑に染まった広大な森。
さらに人気など全くないその深部…。
そこに何故かいたのは、一人の中年の小太りの男だった。
側から見れば、自殺志願者と思われてもおかしくない状況ではあるが……
「ミーちゃん、今日は果物を持って来たぞ。さあ、たーんとお食べ?」
鬱蒼とした森の中で、不気味にギラめく青黒い鱗と黄金の瞳…、そこにはウェルザからこっちに移動した竜のミーちゃんがいた。
そして “彼” に食事を運ぶためだけに、片道2時間もかけてこんな辺鄙な山奥にやって来たエクノス。
その横には、リンゴやオレンジが入った箱がどっさりと積み上げられていた。
ところが、ミーちゃんはプイッと外方を向いてしまう。
果物も食べないわけではないが、今はそっちの気分ではないようだ。
「ええ〜…、頼むよぉ〜、食べてくれよぉ〜、こんな場所までわざわざ持って来たんだぞ〜…」
人外生物に泣き付きながら懇願するエクノス。
先日、バラッドたちに見せた父親としての威厳など、最早微塵も感じられない。
そんな反応を楽しんでいるかのように、ミーちゃんはその厳つい外面を意地悪そうに歪める。
その様は、まるで駄々をこねて親を振り回すことに喜びを覚える、タチの悪い子供さながらだ。
とはいえ、相当年齢で換算したら、エクノスもミーちゃんもそう歳は変わらないのだが…。
そんなわけで、“おっさん竜” にいいように弄ばれる、結局どう足掻いても三枚目のままのエクノスであった。




