第23章 9.父の想いと母の想い
さて、その日の夜のこと…
「父上、母上…、失礼します…」
エクノス夫妻が水入らずで過ごす部屋に、突然バラッドが現れた。
あれから悩みに悩み抜いたのだろうか…、彼らしくなく、知的な温顔を仰々しく強張らせている。
「何なんだ…改まって……。まあ、とにかく掛けなさい…」
「一体どうしたって言うの……?、そんな怖い顔して……」
息子のただならぬ気配に困惑を隠せずも、とりあえずエクノスはバラッドをソファーに座らせた。
「話は長くなりそうか…?、もしそうなら何か飲み物でも用意させるが……」
「いえ、大丈夫です…。実は今日、フェニーチェとターニーと一緒にマルゴスさんの家に行って来ました…。そこでマルゴスさんから伺ったんですが…、父上の伝でアスタリア号に合流して、ジオスに戻って戦争に参加すると仰ってました…。それに…ターニーも……」
(まさか……、いや…フェニーチェじゃあるまいに、この子に限ってそんなことは……)
重い口振りで話を切り出した我が子に、不穏な空気を感じ取ったエクノス。
「そ、そうか…、黙っていてすまなかったな…。ただ、お前たちは何にも関係のないことだったからな…。あえて言う必要はないと思ったんだ…。それで、話はこれで終わりか?」
エクノスは言葉に牽制を含ませて、バラッドにきつめに問い返す。
いつもは温和で懐が大きい父が見せた厳しい反応に、バラッドも思わずたじろぐ。
それでも、彼は決して萎縮することなく、己の意志をぶつけた。
「単刀直入に言いますっ…、僕もマルゴスさんたちと一緒にジオスに行かせてくださいっ。クラリス姉様が、リグが、ターニーが……みんながセンチュリオンの誇りを懸けて戦おうとしてるのにっ…、僕だけ安全な場所で現状に甘んじたくないんですっ…」
冷静沈着で優等生気質のバラッドだが…、実は思いの外、気概ある心熱き少年だった。
「論外だな…、そんなこと許せるわけがないだろう…」
「そうよっ…、戦争が起きてる場所に行くだなんてっ……。というか、あの子たちは戦いに参加しようとしてるのっ…!?」
冷たく一蹴するエクノスと、今になって真相を知って取り乱すペリア。
ところが、その時…
ガチャッ…
ノックもされずに、ドアが外側から開けられた。
「フェ…フェニーチェ……」
そこに立っていたのは、顔を真っ青にさせたフェニーチェ、さらには苦々しく表情を沈ませたターニーだった。
就寝前のネグリジェ姿で、仲良く部屋で遊んでいた二人…。
だが、バラッドが張り詰めた空気を纏って両親の部屋に向かう姿を見て、気になって様子を伺いに来たのだ。
「どういうことなの……お兄様…ターニー……。なんで…わたしには…何も言ってくれなかったの……」
「…………………」
憤りで声を震わせて問い質すフェニーチェの前に、バラッドとターニーは返す言葉もなく押し黙る。
一方、最悪のタイミングでのじゃじゃ馬娘の登場に、思わず頭を抱えるエクノスとペリア。
それでも、エクノスは気を取り直して言った。
「落ち着きなさい、フェニーチェ…。いくらなんでも、そんな馬鹿げたことを聞き入れるわけがないだろう…。それにな、ターニーちゃんは確かに見た目はお前たちと同じ子供だが、王国義勇軍の実質的な軍事顧問まで務めた、大魔導士と称されてもおかしくない人物だぞ? お前たちとは根本が違うんだよ…」
ターニーの前でこんな物言いはしたくなかったが、我が子を守るためにエクノスは厭な役回りを引き受ける。
しかし…
「確かにそうかもしれません…。でも…それでもっ、僕らだってセンチュリオン一族なんですっ…。フェルトにいる僕たち南家は、ジオスの他の家々とは違ってる部分はありますが…、それでも一族の誇りに恥じない生き方をしたいんですっ…。父上、一生のお願いですっ…、僕をジオスに行かせてくださいっ…!」
バラッドはついに跪いてまでして、エクノスに懇願した。
「バラッドっ…、あなた一体何をやってるのっ…? やめなさいっ、そんなことっ…」
息子の行動が奇行に映ったペリアは、咄嗟に彼の元に駆け寄って立たせようとする。
ところがバラッド…、母の切実な声にも耳を傾けることなく、頑なに膝を床に着けて訴え続けた。
聞き分けの良さが自慢の息子が見せた、初めての強情張り…。
その様を黙って見ていたエクノスの心にも、自ずと変化が起こらざるを得なかった。
(まさかこの子から、『一族の誇り』などという言葉が出るとは……。僕に似た非好戦的で温和な子だと思っていたが…、やはり子は、なかなか親の思う通りには育ってくれないようだ…)
自身が期待していたのとは別の方向での息子の成長を垣間見て、エクノスは寂しいような残念なような…それでも少しだけ嬉しいような……、雑多な感情が押し寄せて、胸が詰まる感覚を覚える。
彼は一父親として、しばらく閉ざしていた口を開いた。
「わかった…、いいだろう……」
「ええっ…?、本当ですかっ…?」
「ちょっとっ、あなたっ…、一体何を言っているのっ…!?」
「お父様っ……」
「伯父様っ……」
エクノスのまさかの一言に、その場にいる皆は各人各様に驚倒する。
「ただし条件がある…。絶対に現地での戦闘には参加するな。お前には南家の代表として、レイチェル様への表敬訪問という体で行かせる。我々一族の故郷ジオス…、国が変わろうとしているその世紀の瞬間を、しっかりとその目で見て来るといい…」
「はいっ…!、ありがとうございますっ…、父上っ…」
父が苦渋の思いで言った言葉に、バラッドは感涙を流して深謝する。
すると…
「あのっ…、お父様っ……」
フェニーチェが居ても立っても居られない様子で訴えようとするが……
「ああ…、言わずともわかる……。バラッドに許しを出してしまったんだ…、お前だけ駄目だとは言えないな…。いいだろう…、お前もバラッドとともに行って来い…」
フェニーチェの言葉に被せるようにして、なんとエクノスは彼女にもジオス行きを許した。
「ほんとですかっ…?、うわーいっ、ありがとうっ、お父様!」
さっきまでの世界の終わりが訪れたような顔は何だったのか…、一転、小躍りするほどに無邪気に喜びを表すフェニーチェ。
しかし…
「ちょっとっ、あなた正気なのっ…?、ふざけないでよっ…! この子たちを戦地に行かせるなんて…、そんなこと許せるわけないでしょうがっ…!」
とてもではないが、ペリアはエクノスの判断に納得がいかない。
彼女は顔を真っ赤にして、声を甲高く荒げながら夫に詰め寄る。
ペリアの怒りを甘受するが如く、しばらく押し黙っていたエクノスだったが……
「うるさいっ!、静かにしろっ!」
なんとエクノス…、これまで頭が上がらなかった妻を厳しく一喝した。
夫から出たまさかの “一撃” に、ペリアは途端に言葉と表情を失う。
とはいえエクノスの方も、追い詰められたがあまりに、咄嗟に出てしまった反応のようだ。
その証拠に、「はぁ…はぁ……」と重く掠れた吐息を漏らしている。
「怒鳴って悪かったな…ペリア……。だが、ここフェルトで安穏とした生活を送るうちに、すっかり忘れてしまっていたが、我々も誇り高きセンチュリオンの血を引いているんだ…。まさか我が子にそれを気付かされるとは思わなかった…。そして、その誇りを胸に、自ら行動を起こそうとしている……。だから親として…僕はこの子たちを止める理由をこれ以上持ち合わせていない……。どうか、わかってくれないか…?、ペリア……」
「わかんないわよっ……、だって私は、元々センチュリオンの人間じゃないものっ……。そんな『一族の誇り』だとか言われたって、わかるわけがないでしょっ……。『我が子を大事に想う』……それ以上に親として大切なことって、他に何があるって言うのよっ……うっ…ううううっ………」
「そうだな……お前の言うことも正しい……。大丈夫だ…、アスタリア号の皆にはこの子たちをしっかり頼むと確と伝えておく…。それにいくらジオスと言っても、フォークの街に滞在する限りなら安全ではあるだろう…。僕を信じてくれ…ペリア……」
センチュリオン一族としての矜持と、我が子を慈しむ親としての愛情…。
今この場では相容れなくなってしまった二つの観念を、柔らかく一つに包み込むように、エクノスは深い失望に沈む妻をそっと抱き締めた。




