第23章 7.イヤなやつなのに…
さて翌日、ここはとある高層集合住宅の最上階。
チリーンッ…
「はい…」
ベルの音を聞いて、素っ気ない声で応対した中年と思われる男。
だが、訪問者の顔ぶれを見た瞬間、彼はその物臭な声と表情を弾ませた。
「タっ、ターニーちゃんっ…!?」
「お久しぶりです、マルゴスさんっ」
そう…、この家の主人はアルテグラの弟であり、ここフェルトにて魔導工学研究者として名を馳せるマルゴス。
一方やって来たのは、バラッドとフェニーチェ、そしてターニーだった。
「まさか、本当に来てくれるとは……。こんなやさぐれた中年男のことなんて、すっかり忘れられているものかと思ってたよ…」
「ごめんなさい…、遅くなっちゃって……」
「いやいや…、そんなつもりで言ったんじゃないんだ…。この時勢によくぞ来てくれたね。バラッド君もフェニーチェちゃんもようこそ。さあ、ともかく上がりなさい」
「はいっ、お邪魔しまーすっ」
…………………………
こうして、マルゴスと子供たちはテーブルを囲んで団欒している。
すると、そこに人数分のコーヒーと茶菓子を持って現れたのは、彼の弟子のレーンだった。
「こんにちわっ」
「ああ…、こんにちわ…」
個別に挨拶を交わすターニーとレーン。
「確か君は…ジオスで一度会ったよな…? なんかすげえ魔術使ってたような……。てか本当に黒髪なんだな……」
「おかしいですか…?、黒い髪…」
「そんなことねえよ、すげえ綺麗で似合ってるよ。俺だって、先祖がモールタリア出身でこんな褐色の肌だしな…。容姿なんて関係ねえよ。堂々と自分に自信を持っていりゃあ、何だって輝くもんさ。だから今のお前もすげえ輝いてるし可愛いよ」
「あ、ありがとうございます…」
クラリスが来た時もそうだったが、レーンは相手が異性だからといって決して物怖じなどしない。
その純朴で愚直な言葉に、さすがのターニーも顔を赤らめざるを得なかった。
ところで…
「お前らもよく来てくれたな、バラッド、それにフェニーチェ」
「ムキィッ〜!、誰が『チビスケ』よっー!、いっつもいつもわたしのことバカにしてぇっ〜!」
相も変わらず、フェニーチェ弄りを楽しむレーン。
「こらっ、レーン、フェニーチェちゃんが嫌がってるだろっ、いい加減にしなさい」
「フェニーチェっ…、やめろって…落ち着けって……」
そんなレーンとフェニーチェを、マルゴスとバラッドはそれぞれ窘める。
ちなみにおよそ1年前、クラリスたちと初めてここを訪れたフェニーチェだが、あれからもバラッドと共に数回程度訪れていた。
よって、レーンとのこんなやり取りは、最早挨拶代わりのお約束と化している。
「まあまあ、そう怒るなって。ほら、お前のやつだけ牛乳砂糖たっぷりのココアにしといたぞ?」
「ふ、ふん…、少しは気が利くじゃない……。しかたないから、今日のところは許してあげるわ…」
(すっごくムカつくやつだけど…、何でかこういう時に限って、すごく気が利くし優しいのよね……。本当にイヤなやつ……、これじゃあ、怒りたくたって怒れないじゃない……)
怒りが急激に萎えてしまったフェニーチェ。
感情の遣り場がなくなった膨れっ面を隠したいのか…、彼女はわざとらしく両手でマグカップを持って、無言でココアを啜っていた。
それから…
「ターニーちゃん…、君が僕の元に来てくれたことは嬉しいが…、実は魔導工学を取り巻く環境も大きく変容してしまっていてね…、率直に言うが、この先、魔導工学には未来がないのかもしれない……」
「『魔導工学に未来はない』って…、どういうことですか…?」
「魔導理論に依存しない機構や、魔燃料ではなく石炭や電気などの新時代のエネルギーを軸にした、“理論工学” と呼ばれる新たな技術群が台頭しつつあるんだ…。魔導工学理論と似通っている部分も多いし、何より魔導工学よりも遥かに発展の余地があるとされていてね…。だから近い将来、僕らも魔導工学に見切りを付けて、次の世界への扉を叩かざるを得ない……そんな日がやって来るだろう…」
「マルゴスさんのお話はよくわかります…。こっちに来る時に、空を飛ぶ乗り物に出会いました。確かによくよく考えたら、魔導工学だけでここまでの発展が可能なのかってちょっと疑問に思いましたし……」
「実は俺も通っているウェルザ国立大学でも、魔導工学部への予算が減らされ始めてるんだ…。大学側もいよいよ学部の再編に本腰を入れ始めた感じだな…」
「そうですよね…。通信関係に関してはまだまだ魔導工学の方が優勢なようですが…。理論工学の急激な発展を見る限り、その優位性もいつまで保てるか……。僕もウェルザ国立大の魔導工学部に進みたかったのですが、進路を変更した方がいいのでしょうか…?」
先ほどとは打って変わってお堅い空気に包まれ、魔導工学の未来について語り合うフェニーチェ以外の四人。
「おっとすまんすまん…、話に夢中になり過ぎて、フェニーチェちゃんを其方退けにしてしまっていたな…。レーン、悪いが小遣いやるから、この子を連れて近くで遊びに行って来なさい」
「わかりました、師匠」
空間から切り離されたように、ポツンと孤立するフェニーチェに気付いたマルゴス。
彼女を連れて近場で時間を潰して来るよう、レーンに伝えるが……
「はぁっ?、嫌よ、わたしっ、こんなやつと一緒だなんてっ…!」
湯気が出そうなぐらいに愛らしい顔を真っ赤にして、フェニーチェはレーンとの外出を頑なに拒む。
だが、当のレーンは…
「そう言うなって…。お前だってこんなとこいてもつまんないだろ? そういえばつい此間、近所におもちゃ屋が出来たんだ。お前の好きそうなぬいぐるみや人形もいっぱい置いてあったぞ? 師匠から小遣いもらったことだし、何か買ってやるよ」
「えっ…ほんとっ……?」
一転、フェニーチェはパッチリとした翡翠色の目をキラキラと輝かせる。
彼女の一見強固に見えた片意地も、物で簡単に手懐けられるほどに取るに足らないものだったようだ。
「はははは…、現金なやつだな。じゃあ行くぞ、フェニーチェ」
(えっ…、今わたしのこと名前で……)
これまで『チビッコ』とか『チビスケ』とか…、レーンからはロクな渾名で呼ばれていなかったフェニーチェ。
レーンが見せた爽やかな笑顔も重なって、彼女は胸がふわりと浮き立つような感覚を覚える。
(一体何なのよ……こんなやつに名前で呼ばれただけで、こんな変な気持ちになるだなんて……。なんだか…胸の奥がジーンと熱い……)
「おーい、早く来いよ、チビスケ」
「う、うっさいわねっ…、誰が『チビスケ』よっ…! てか、アンタが仕切ってんじゃないわよ! ほら、さっさと行くわよっ……」
どこか収まりが悪い未知の感情を掻き消すように、再び顔を真っ赤にして喚くフェニーチェ。
そんなこんなで、二人は仲良く?お出かけして行った。




