第4章 8.恐怖の暴走車
さて、他の隊はすでに馬車などで港を出立しており、残されたのはアリアの隊だけとなった。
三人の中では一番の年長、身長低めの小太りで、憎めない愛嬌ある顔をしたライズドがアリアに尋ねる。
「で、姐さん、ウチらどうするんですか? 馬車も何もないですけど…」
待ってましたとでも言わんばかりに、アリアはほくそ笑むようにライズドの質問に答えた。
「ふふふ…、よくぞ聞いてくれたな…。アレを見てくれ!」
そう言って彼女がドヤ顔で指差したのは……、一見すると、馬が連結されていない、ただの馬車の荷台だった。
てっきり、誰もが放置された廃車だと思い込んでいた物だが…。
「これはな…魔燃料動力車と言う。その名の通り、魔燃料を動力源にして走ることが出来る車だ。ガノンの魔導工学研究所を反体制派が制圧した時に接収したものでな、数台しかない試作品らしい。そんで、アタシらがせっかくだから使わせていただこうというわけだ」
魔導工学…魔術と機械工学を組み合わせた学問で、魔術の水準が劣るガノンやフェルトにおいて盛んに研究がなされて来た。
魔導灯や魔導コンロなどがまさにその代表例で、フェルトで開発されたそれらは、今や魔術大国ジオスでも当然のように人々の日常生活に浸透している。
特にガノンでは、革命後、人民政府は国力を付けるために重工業の振興を促した。
それによって設立したのが魔導工学研究所で、この研究所の運営に莫大な額の国民の血税が費やされた。
この魔燃料動力車は、人民政府が末期に国運を賭けて開発に乗り出したものだった。
マナタイトで内壁をコーティングしたタンクの中に、高純度の魔燃料を入れてエネルギーを取り出す…、そのエネルギーによるピストン運動で車輪を回転させる。
馬を養育する必要がなくなる画期的な技術と持て囃されたが、その前に人民政府は崩壊した。
辛うじて作れたのが、彼らの目の前にある、これを含む数台だったいうわけだ。
「す、すごい…、こんなの初めて見ました…」
「そうだろうそうだろう、ははははっ!」
感嘆気味にクラリスが吐いた言葉に対し、アリアは嬉しそうに上機嫌で笑った。
すると、三人の中で年中の、大きく屈強で野生的な顔立ちをしたトレックがアリアに尋ねた。
「で、誰がこれ運転するんっすか? この中で誰も馬車なんて運転出来ないっすよ?」
アリアはトレックの質問に笑って答える。
「バーカ、これは馬と勝手が違うんだよ。いいか、ここに取っ手が付いてるだろ? この取っ手を捻ると、その回転が車輪の車軸にまで伝わるんだ。それで車輪の進行方向を変えることが出来る。どうだ、すげえだろ!」
「で、結局のところ、誰が運転するんです?」
三人の中で最年少の、長身細身で優男のスコットが尋ねた。
「はあ…今の話の流れでわかんねえのか? アタシに決まってんだろうが!」
アリアが少々苛立ち気味にクラリスを除く三人に対して、言葉をぶつける。
それに対し、三人はこれから我が身に起こることを懸念するような、引きつった表情を見せた。
そんなことにはお構いなしに、アリアは再び上機嫌な様子で流暢に話を続ける。
「実を言うとアタシさあ、前から車で爆走してみたかったんだ。でも、馬車運転出来ないし、仮に出来たとしても馬を鞭で叩きまくるのも気が引けるからな…。これなら、いくら飛ばしたって問題ないってわけさ。そういうことだ、さあ、さっさと乗った乗った!」
アリアは皆を荷台に押し込むように乗せた。
そして、自らは前方の運転席に座った。
運転の方法は事前に聞いている…、まず座席の下のレバーを引いて前方に備え付けられたタンク内の魔燃料を昇華させて、それによって生まれたエネルギーがピストン運動を起こす振動を感じたら、車輪を制止させているブレーキレバーを開放する。
さすがのアリアも緊張で手汗を握りながらレバーを引くと、タンクから「ヴィーンヴィーン…」と得体の知れない音が聴こえ始めた。
音は次第に大きくなり、タンクが振動し出す。
それと並行して、彼女の座る運転席の真下からガタガタと言う音が鳴り響く…。
恐る恐る、彼女がブレーキレバーを開放すると…、大きな車体はゆっくりと前進を始めた。
「おおっー!」
荷台から歓声が上がる。
「さあ行くぜっー!」
アリアは興奮気味にそう声を張り上げると、魔燃料の昇華出力を一気に上げる。
車は瞬く間に加速し、これまで誰もが体験したことのない未知の速度領域に踏み込んだ。
道幅の広い市街地に出ると、周囲を走っている馬車を瞬時に追い抜く。
「ちょ…ちょっと姐さん、飛ばし過ぎじゃないっすか…? クラリスちゃん怯えちゃってるんですけど…」
トレックがアリアに声を掛けるが、アドレナリン全開状態の彼女にその言葉が届くわけもなく…
「ヒャッハー!すげえよ、今アタシ風になってるよ!」
意味不明な言葉を叫びながら快楽に耽るアリアとひきかえに、クラリスは背嚢袋をギュッと抱き締めながら、身を縮こまらせて目を固く閉じたまま震えている。
三人はクラリスを心配しながらも、その小動物のようないじらしさに癒しを感じていた。
こうして街中を疾走すること約30分…、終わりは突然やって来た。
ギイイイイィィー!!!
「きゃっ!」
「うわあー!」
突然、野獣の断末魔の叫びのような耳障りな異音が辺り一帯に響くと、車輪の回転が止まり、荷台に座っていたクラリスたちは反動で前に投げ出された。
「ちょ、ちょっと、姐さん……、何があったんですか…?」
ライズドが荷台から出ると、アリアはすでに車を降りていた。
「チッ、このポンコツがっ!」
そう激昂しながら車体を蹴るアリアの姿を見て、三人は言葉を掛けるのをやめた。
ところで、一体全体どこまでやって来たのだろうか…。
そもそもアリアは、目的地である自分たちが担当する地区を、ちゃんと目指していたのだろうか…。
彼らの目指すのはガノン東第1区だ。
そしてここは…、周囲を見渡すと看板には東第2区とある。
地図で照らし合わせると、ここから歩いて1時間ほどで目指す第1区に入れる。
「姐さん、どうします? 第1区まで歩きますか?」
「ああっ?、……ああ…そうだな…。行くぞみんな…」
未だ怒りが収まらない様子のアリアだったが、ようやく現実に目覚めたのか…、珍しくしおらしい様子で、目指す地へと歩み出した。




