第22章 10.“お姉ちゃん” と呼ばれたくて…
「おーいっ!、手を貸してくれぇっ…!、また死人が出ちまったっ…!」
一人の兵士が帷をバッと捲って、小屋に飛び込んで来た。
「ああ…、これはアリアさん……失礼しました……」
「いや、気にしなくたっていい…。それよりも…、これで何人目だ…?」
「はい…12人目です……」
「そうか…ご苦労だったな……。トレック…悪いが行ってくれ…」
「はい…」
さっきまでの陽気な表情に、途端に陰りが差したトレック…。
アリアの指示を受けて、彼は兵士とともに外へと出て行った。
「一体…どういうことなんですか……?、『これで12人目』って……」
「ああ…、実はこの野営地には、今現在およそ100人もの重傷者がいるんだ……。鉱山都市ガーミンを奪還するために、このエルパラトスに我々の軍事拠点を築こうとしたんだが、敵軍の徹底抗戦に遭って戦況が泥沼化してしまってな……」
「そうだったんですね……。確かに…この野営地に入った時から、暗い雰囲気が漂っていたのはわかってました…。トレックさんは何のために呼ばれたんですか…?」
「遺体を術で凍結させて腐敗を防ぐためだ…。今は夏場だし、墓を作るにもなかなか人手が足りず、すぐには弔ってやれないからな……。とはいえ、ここでこうして人間らしく死ねるのは、まだまだ幸せな方なのかもしれない……。もっとそれよりも遥かに多くの者たちが戦場で朽ちて、そのまま鳥獣にその亡骸を食い荒らされちまうんだからな……」
唐突にクラリスたち三人に突き付けられた、戦場のあまりにも残酷な現実…。
重苦しさに心が押し潰されるほどに打ちのめされた三人は、言葉も出ずにただ顔を陰鬱に強張らす。
特にそんな世界とこれまで全く無縁であったアイシスは、地獄に落とされたように顔を真っ青にさせていた。
「………これから……どうするんですか……」
何とか声を振り絞って、アリアに尋ねたクラリス。
「実はな…、本当のことを言うと、少し前にフォークから魔光通信が送られて来て、レイチェル様から撤退命令が出されたんだ…。だが、これだけの重傷者を抱えて、動くに動けない状態でな……。ここにいる治癒術習得者は僅か十人余り……、とてもではないが治療は追い付かない……。しかも先のマルコンさんからの情報で、近々この野営地への総攻撃が計画されているらしい……。完全に八方塞がりってわけだ……」
苦しむ…そして無情にも死んでいく兵士たちを救えず、自身の不甲斐なさに苛まれるアリア。
「先生……」
尊敬する師のそんな姿を見たくなかったクラリスとリグは、居た堪れなく表情を沈める。
ところが、そんな時…
(あっ……!)
全く同時に何かを思い立った二人…、衝動的にバッと視線を向けたのは……
「えっ……、な、何っ……?」
二人のすぐ後ろにいたアイシスだった。
「アイシスさんっ、お願いっ…!、みんなを助けてくださいっ…!」
「頼むよっ、姉ちゃんっ…!、姉ちゃんならできるっ…!」
「えっ……えええっ……!?」
ぐいぐいとアイシスに懇願するクラリスとリグ。
一方のアイシスは、突然のことに酷く狼狽える。
「な、なあ…お前ら……、『この人なら出来る』ってどういうことだ……?」
「この女性は…一体何者なんだ……?、確かに強い魔素は感じられるが……」
二人の豹変ぶりに、当然ながらアリアたち三人は困惑を隠せない。
「細かい話は後ですっ…。とにかく大丈夫ですからっ…!」
「そうだよっ、見た目はこんなんだけど、腕は確かだからさぁっ」
横でどんどん勝手に話が進んでいく中で、完全に置いてきぼりな当事者のアイシス。
「ちょ、ちょっとぉっ…、リグくん、『見た目はこんなん』ってひどくないっ…? それに…あなたたちの気持ちはわかるし、私だってそりゃあ救える命は救いたいけど……、いくら何でも100人もの人を助けるなんて……私には無理よ……。ただでさえ里と違って、マナの濃度も薄くて本来の力も出せないっていうのに……」
アイシスは大層心苦しそうに、クラリスとリグの願いを拒絶した。
(多少は覚悟はしていたけど……、下の世界がこんなにも過酷だったなんて……。この子たちはずっとこんな世界を生き抜いて来たっていうの……。おじいちゃんたちには偉そうなこと言っちゃったけど…、やっぱり私には無理よ……、来るんじゃなかった……)
確かに『マナの濃度』も理由の一つではあるが…、本当の問題は、すっかりと絶望に慄いてしまったアイシス自身の心にあった。
そんな中でクラリス…
(アイシスさんすごく怯えてる……、そりゃあ無理もないよね…、私だってすごく怖いし辛いもん……。でも…今この場でみんなを助けられるのはアイシスさんしかいないっ……。そうだっ…この人だけに大変な思いはさせられないっ……、私も頑張らなきゃっ…!)
何やら腹を括ったクラリス…、彼女は一か八か賭けに出た。
「お願いっ、お姉ちゃん!」
「へっ…?」
クラリスから飛び出た『お姉ちゃん』という言葉に、アイシスは目をパッチリとさせて締まりのない声を漏らす。
その変化を決して見過ごさなかったクラリスは、勝負を決めるべく一気に畳み掛けた。
「もしみんなを助けてくれるんなら、これからはずっと『お姉ちゃん』って呼んであげるからっ…! それに好きなだけ……あ、いや…1日30分だけ、好きなだけお触りさせてあげるからぁっ…!」
「……1日30分だけぇ…?」
「えっ……じゃ、じゃあ…1時間で……」
「もう一声!」
「えええ……じゃあ……2時間……」
「クラリスちゃん……、今の言ったこと…本当ぉ…?」
「う、うん……」
ニタァと表情を蕩けさせるアイシス。
そして…
「よーしっ、まっかされよ〜!」
これまでの塞ぎ込んだ顔が全くの別人かの如く、アイシスはドーンッと胸を張って声高らかに願いを聞き入れた。
「はぁ……」
これから先のことを思うと憂鬱なクラリスは、それはもう重い重いため息を吐く。
「クラリス…よくやったな…。しんどかったら、たまには俺が変わってやるからな…」
極力関わりたくはないが、それでもクラリスへの後ろめたさで、最低限の慰めを掛けるリグ。
そんな中で、何が何やら…、流れに全く付いて行けずに呆然としたままのアリアたち。
何はともあれ、クラリスの捨て身の妙策によって、打つ手無しだった窮状に希望の光が差し込もうとしていた。




