第4章 6.戻れない道
後半は説明パートが中心となります。
面倒であれば、読み飛ばしていただいても構いません(笑)。
航海は何のトラブルもなく順調に進み、私の船内での平穏な日々もあっという間に過ぎていく。
ガノン上陸が着々と近づくにつれて、船内の動きは徐々に慌ただしくなり、子供の私でもわかるぐらいに緊張感が張り詰めていった。
そして、遙か遠方にガノンのある西大陸が肉眼でも見え、いよいよ明日上陸となった前日の夜のこと…。
ベッドの中でアリアが私に、物静かに思い立ったように言葉を発した。
「なあ、クラリス…。明日いよいよ上陸なわけだが…、お前はやっぱり船内に残った方がいい」
「えっ…」
「お前はアタシの管理下に入ってるということになってるが、それは長官個人のご意思であって正式なものじゃない。そもそもお前の分類は非戦闘員だ。きっと長官…お父上もそれをお望みだろう…。ジェミスという娘のことなら、アタシが何としてでも探して助け出してやる。だからお前は……」
彼女は私の顔を見て何かを察したのか、途中で話を打ち切った。
間髪入れずに、私が話を繋ぐ。
「アリア姐さんのお気持ちはわかります…。でも…ダメなんです、私が行かないと…。ジェミスを最後に見たあの日…、彼女が私の目の前で虐げられていても何も出来ず、ただただ怒りと恐怖で立ち尽くすだけでした…。烏滸がましくも、お義父様が彼女を私みたいに助けてくれると思ったんですけど…、お義父様にはその浅はかな考えを簡単に見透かされてしまいました。お義父様はその時私に言いました、『あの娘を救いたければ強くなれ』と…。だから私、そのためにお義父様の元で頑張って来たんです! ジェミスを救うのはもちろんです…でも、弱かったあの頃の自分と決別するためでもあるんです! だから…お願いです、私を連れて行ってください…!」
アリアは私の顔をじっと見て…、少し呆れ顔で深いため息を吐いた。
「はあ…、一体どんな育ち方をすりゃあ、この歳でここまで強い心を持てるんだか…。まあ、お前に聞いたアタシが馬鹿だったよ。お父上にはアタシが説得しよう。さあ、明日は早い。さっさと寝るぞ」
「はいっ」
もう、明日の夜はこの温もりの中で眠ることは出来ないかもしれない…。
最後の船内での夜を感慨深く味わうように…、私はアリアにいつもよりも密着して寄り添って、安らかな眠りについた。
いよいよガノンの首都エクノカ上陸の当日になった。
船はすでにエクノカ湾に停泊しており、クラリスは甲板から目の前に広がるエクノカ港を見ていた。
さらに目を凝らすと、エクノカの市街地らしき光景が見え、所々から煙が上がっている様子が確認出来る。
彼女が近くにいた衛兵に尋ねると、恐らく体制派と反体制派との市街戦によるものだろうと言う…。
今から55年前…、このガノンでは民を搾取し国の財を放蕩、暴政の限りをし尽くした王室が市民革命によって打倒され、共和制へと移行した。
こうして新たに発足したガノン人民政府は、人民主体の政治を理念に掲げ、革命の熱狂が冷めやらぬ中、大多数の民衆に支持をされたが、新政府が真っ先に行ったことは、革命によって疲弊混沌としてしまった国や国民生活の立て直しではなく、徹底的な前王政の積弊清算であった。
王室と僅かでも関わりがあった者は反革命因子として連行され、私財は没収された。
政治家、役人、商人、職人、学者、医者、技術者、職人、教師、作家、芸術家…、ありとあらゆる職業の者たちが連れて行かれたが、その後、彼らが二度と姿を現すことはなかった。
そして、肝心の民の生活はと言えば、革命後の疲弊した国力を補うとの名目で、ただ名を変えただけの重税が人々に課せられた。
一方で、政権側に近い企業家や商人は、政府の庇護を受けて財を蓄えていく。
結局、革命が生み出したものは、支配階層の交代に過ぎず、為政者の搾取に苦しむ民の生活は何一つ変わることはなかった。
むしろ、王政の頃の方が、秩序は保たれていて、文化芸術の振興も盛んで、暮らしやすかったという声すら聞こえる。
言うまでもなく、上の腐敗は下々の風紀秩序の乱れや倫理観の崩壊を生む。
さらに、人民政府が導入した市民相互間の密告制度は、人々の間の信頼と絆をズタズタに引き裂いた。
ある者は法や役人の目を掻い潜って…、またある者は役人を丸め込んで…、他人の不幸を顧みず、自分の利益や幸福のみを追い求めることが良しとされる風潮が蔓延した。
奴隷制度もその一つだった。
元々、王政下でも奴隷制度はあったが、それは最低限の人権は保障された内容だった。
所有者は自身の奴隷に対して虐待行為をすれば、法によって厳しく罰せられていた。
革命後、人民政府は奴隷制を廃止し、奴隷解放を宣言した。
しかし、一般民衆でさえ日々のパンに困る状況下で、解放された奴隷は途方に暮れ、餓死する者も多々いたという。
すると、政府側と癒着して新たに台頭した商人や起業家が、救済という名目で元奴隷の人々の保護を始めた。
しかし、それは新たな、さらに過酷な奴隷制度の始まりに過ぎなかった。
例外はあったかもしれないが、こうして保護された彼らの大半は、厳しい強制労働に従事させられた。
政府と癒着をしているので、国も取り締まろうとしない。
そして、一般民衆においても、生活苦や口減らしで子供を売りに出すケースが目立った。
こうして新政府の奴隷解放宣言は数年で形骸化し、さらに10年後ぐらいには、普通に街中で奴隷売買がされる光景が見られるようになった。
そんな中、今から10年前、退廃する祖国を憂いた活動家たちが、人民政府打倒を掲げて立ち上がった。
当然のごとく、政府側は彼らを弾圧するが、彼らは間一髪フェルトに逃れ、彼の地で亡命政府を発足させた。
そこで、彼らに目を付けたのが、東の王国ジオスだった。
ジオスは、クアンペンロードに残る貴重な王室で、交流も深かったガノン王室を滅ぼした人民政府をひどく敵視しており、また最大の港湾都市フェルトでの経済的な権益を巡っても対立していた。
亡命政府を支援して、人民政府の打倒を目論んだのだ。
亡命政府は魔光通信でガノンに向けて自らの声明を流したり、時には直接ガノンに潜入してビラ貼りを行うなどして、ガノンの民衆相手に政府への反抗と蜂起を訴えかけた。
4年前には、ガノン国内にも彼らの影響を受けた反体制を掲げる地下組織が結成され、後に亡命政府の最前線の拠点となった。
その彼らの10年間の運動の集大成が、およそ3週間前に起きた民衆の一斉蜂起であった。
このタイミングで、蜂起が起きたのには理由がある。
ガノン国軍が亡命政府側につく意思を表明したのだ。
人心が完全に離れてしまった政府と、もはやこれ以上運命を共には出来ない…、ここで亡命政府に恩を売っておけば新政権発足後でも軍部の影響力は維持できる…、軍上層部の賢明な判断によるものだった。
そして、亡命政府と軍との接近の裏には、アルテグラ・ディーノ・センチュリオンの影があるという…。
さて…、船内では上陸直前の最終確認のための、会議が行われていた。
出席者はアルテグラ、同行の文官、各部隊部隊長、補佐…、当然のことながらクラリスの出席は許されていない。
彼女は部屋で、一人緊張感を漂わせながら、アリアの帰りをただひたすら待っていた。
着慣れた修練用の白い簡素なワンピース…、彼女なりの戦闘服に身を包んで。
腰のベルトには、没収されたナイフの代わりに刃長30センチほどの短剣が差さっていた。
これは彼女を慕う、とある衛兵の青年からプレゼントされたものだ。
もちろん業物ではない、普通に城下で販売されている商品ではあるが、それでも安い買い物ではないだろう。
そして、実際には1時間程度だったが、彼女には数時間にも感じられた。
会議を終えて、ついにアリアが戻って来たのだ。
「クラリス!、お父上の元へ行くぞ!」
「はいっ!」
クラリスはついに、もう戻れぬ道への一歩を踏み出した。




