第20章 33.クラリスの隠し事
翌日…
「二人とも…、よく厳しい修行に耐え、わしが課した試練を乗り切ったのう、見事であったぞい。さて…、蒼月の日まであと残り10日足らずとなった…。そろそろ、転移術の伝授に本腰を入れるかとするかのう…」
「はいっ…、お願いしますっ!」
ハキハキと声を揃えて、ルロドに返事を返すクラリスとリグ。
いよいよルロドは二人に、遥か昔に先人たちが使った転移術を教えることに決めた。
「ついにこの時が来たね、リグくん」
「ああ、そうだな。でもお前大丈夫か?、前に転移術で体がおかしなことになっただろ…?」
「う、うん…大丈夫…。ああなったのは、あの時だけだから…。たぶんおじいちゃんも言っていた通り、慣れてなかっただけだと思う……」
最初に島内間の簡単な転移術を試みた際、謎の体調不良と情緒不安に襲われたクラリス。
それ以降も何度も転移を行っているが、確かにああなったのはその時だけであった。
だが一方で、同時にクラリスが覚えた不穏な胸騒ぎ…、それは転移術を発動させる度に彼女に付いてまとった。
違和感を覚えながらも、かと言って特段苦になるというほどでもない。
何より、皆に心配を掛けたくなかったクラリスは、それを誰にも打ち明けずにいた。
「では、早速だが、実践をしてみようかのう…。蒼月の夜でなくとも竜谷でなくとも、今ここで擬似体験は出来るはずじゃ。それを繰り返し行い、術の精度と互いの融和性をより高めることで、成功を確実のものにするのじゃ。これまでとは比べ物にならん難易度故な…」
ルロドに促されて準備が始まった。
彼が以前に見せてくれた、先人たちのものと同じ七重円の術陣。
その紋様の複雑さは、これまで使って来た術陣とは比較にもならない、最早別物である。
ルロドの指示の下、クラリスとリグも手伝い、1時間かけてようやく地に術陣を描き終えた。
「やっと完成したのう…。よく見ればわかる通り、この術陣に描かれておる月は、外側から渦巻状に流れるようにしてその形が連続的に変化しておる。実はこの術陣が書かれた元の書物は、わしの子供時分に当時の長に危険文書とみなされてな…、焚書の憂き目に遭ったのじゃ。じゃがわしは、子供ながらにこの術陣に得も言われぬ様式美を感じてしもうてな…、『これを失わせてはならぬ!』と、焼き尽くされる直前に書物庫に忍び込んで必死に書き写したのじゃ…」
「ああ…、だから本じゃなくて、紙切れに書かれていたんですね?」
「うむ、そうじゃ。そして、その紙切れを適当な目立たぬ本に挟んで、書物庫の奥に隠しておった。とはいえ、それはもう何十年も大昔の話じゃ…、おぬしらが言ってくれるまでは、すっかりその存在を忘れておったのじゃがな、わははははっ……」
「そ…そうなんですか……」
てっきりルロドが、門外不出の秘蔵の書を見せてくれたぐらいに思っていたクラリス。
他愛もない顛末を聞いて、彼女は反応に困ったように薄ら笑いを浮かべる。
「すまぬ、話が逸れたのう…。さて二人とも、この移り変わる月が行き着く先…、陣の中心を見るのじゃ」
ルロドが指し示した先には、少ないスペースにまとまるようにして象形文字が書かれていた。
「この中心に、転移する先を古代文字で表すのじゃ」
「じゃあ…、これは『ジオス』って書かれてあるんですか…? それにしては随分と長い表記に見えますけど……」
「そんなわけなかろう。我々は “ジオス” などという国どころか、この島の外のことすら知らぬのじゃぞ? これは『月昇りし場所』と書かれておるのじゃ」
(『月昇りし場所』…、確かにこの世界の東大陸ではあるけど……。そっかぁ…、昔の人たちがジオスに辿り着いたのは偶然だったんだ……)
何百年何千年と生活様式を大きく変えることなく、この里で永年の平和を享受するデール族の人々。
この世界がクアンペンロードと呼ばれているとか、大洋を挟んだ東西の二つの大陸で構成されているとか、そこには様々な政治体制や文明文化を持った国々が存在するとか……、そんな些事は知ったことではない。
“月の民” であることを自負し、選民意識が強い彼らにとって、外の世界とは『月が昇る場所』と『月が沈む場所』…その二つしかないのだ。
「さあて、では始めるぞい。やり方はこれまでに実践した転移と大して変わらぬ。修行によって、おぬしらの魔素も随分と鍛えられた…、きっと、何かしらの手応えがあるはずじゃ。まあ、これはあくまで擬似体験に過ぎぬ…、術が発動したところで飛んで行ったりなどせん。故に、少しでも成功に近づけるために、その “ジオス” なる国での、おぬしらの心に最も強く残っておる情景を思い浮かべると良いじゃろう…」
「私たちの『最も強く残っている情景』……、それって…リグくん……」
「ああ、アレしかないよなっ…!」
その瞬間にクラリスとリグ、二人が出したイメージは、見事ピッタシ一つになった。
いつものように術陣の中心を囲む形で、両手を繋ぎ合わせる二人。
精神を統一させて、クラリスとリグが一心に思い描いたものとは……
(私たちの(俺たちの)、家!)
そう…、それはジオスのセンチュリオン本家邸。
喜怒哀楽に満ちた、掛け替えのないたくさんの思い出を育んだ、今はもう帰れない…帰れたとしてもそこで待っていてくれる人はもう誰もいない…、二人の我が家だ。
自分たちの部屋…、姉フェルカの部屋…、留学に来ていたフェニーチェの部屋、父アルテグラの執務室…、重要な用件がある時しか入れなかった応接室…、晩餐会が行われた大広間…、食堂に姉と料理を楽しんだ調理室…、広大で美しい花々が咲く庭園…、厳しい修行に励んだ森の空き地……
クラリスとリグの記憶の中から無尽蔵に溢れ出る情景が交差し、織物を編み上げるように有機的に絡んでいく。
そして、それは二人の心の中で、一つの心象に昇華されようとしていた。
だが、その時…!
(えっ……なんだろ…?、これ………火事…?、女の子……?)
テレビの砂嵐のようなノイズが、一瞬クラリスの心象を掠るように過ぎる。
その直後、そこには電波ジャックでもされたが如く、彼女の意識外の映像が朧げに映り込んでいた。
 




