第20章 24.竜の卵
そんなこんなで、修行初日はあっという間に過ぎて行く。
無論、クラリスとリグにとっては、その時間は無限に続くようにも感じられる地獄だったのだが…。
そして…
「うむ…、そろそろ陽も沈むじゃろうて、今日は次で終わりにしようかの…。最後は…、森で竜の卵を取って来るのじゃ」
“竜の卵” …、通常この里でその固有名詞は、クラリスたちも食べていた楕円形の果物を意味する。
普段人々に食されているのは栽培物だが、それよりも小振りで味が落ちるものは竜の森に自生している。
(えっ…、そんなことでいいの…?)
これまでの耐え難き苦行に比べたら、拍子抜けするほどに楽な課題。
訝しく思いながらも、言われた通りに “竜の卵” を採って来たクラリスとリグだったが……
「おぬしら…、何を勘違いしとるんじゃ? 誰が木の実など採って来いと言った?」
「えっ、でも…、“竜の卵” ってこれのことじゃあ……」
「わしは『竜の卵を取って来い』と言ったのじゃ。おぬしらが取って来たのは、卵ですらないではないか」
(この人…、一体何を言ってるの……?)
ルロドの真意が理解出来ない様子の二人。
ところが…
「ちょうど今の時期は竜の産卵も終わったばかりで、森の中には活きの良い卵がたくさんあるはずじゃ…」
「えっ…、それって……まさか……」
「今夜はオムレツなど食いたいのう……」
二人に仄めかすように、ルロドはまたもや邪な笑みを見せた。
そういうわけで…
グルアアアアッ…!
「う、うわあああぁっ…!、ヤバいっ、これっ…!、マジ死ぬっ!、死ぬってぇっ…!!!」
なんとか隙を見て、正真正銘の竜の卵を盗み出したクラリスとリグだが、すぐに親竜に見つかってしまった。
こうして二人は今、暗闇に包まれつつある森の中で、怒りに怒った巨大竜に追われている。
「てか、あいつ、めっちゃ怒ってるぞっ……?」
「そりゃあ、そうよっ…。だって竜って、1回の産卵で卵を1、2個しか産まないらしくて、それを人間と同じように大事に育て上げるって言ってたもんっ…。私たちがやってることって、誘拐と同じじゃないっ…! もう卵置いて逃げちゃダメなのかなっ…?」
「バカいえっ…、手ぶらで帰ったら、じいちゃんになんて言われるかっ…。せっかくもう今日は終わりだっつってたのに、それもなくなっちゃうかもしれねえじゃねえかっ…!」
「そうだけどっ……」
奪った卵を大事に抱えて、最早恐怖を突き抜けた妙なテンションで口数が多くなる二人。
いっそのこと、竜と戦う選択肢もなくはないが、さすがにそれは良心が痛む。
時折、クラリスが光幕術で目眩しを試みるが、我が子を奪われて激昂する親竜はそんな小細工に屈することなく、執念で二人を追う。
すると…
「あっ、そうだっ…、なあ、クラリスっ…、お前のそのペンダントって、確か一生に一度の願いを叶えてくれるんだろっ…? ちょっと、今使ってみてくれよっ…!」
「はぁっ…?、イヤよっ、一生に一度のお願いをこんなところで使うなんてっ……。それに叶うって言ったって、運命は変えられないってっ……」
「でも、このまんまじゃ、俺らあの竜に殺されちゃうぞっ…! 使うなら今しかねえだろっ…!」
「もうっ…、わかったわよっ……!」
リグに押し切られて、やけくそになったクラリスはペンダントを手に取った。
(でも、これに願いを込めるって…どうやるのかな…? とりあえず祈ればいいのかな……)
「お願いです…。今…私たちを助けてください…」
竜から逃げ惑いながらも、クラリスは念をしっかりと込めて、小声でペンダントヘッドの宝石に祈るが……
グアアアアッ…!、バキッ!、メキッ!………
竜は止まることなく、むしろさらに気が立って来たのか、一層荒々しく木々を薙ぎ倒して二人を追い詰める。
「なんだよぉっ…!、何にも起こらないじゃねえかよぉっ…!」
「うん…、これも運命だってことなのかな……」
「うわあああんっ、チクショーっ…!」
小悪党のようなチンケな台詞を吐き捨てるリグ。
二人の生きた心地がしない夕暮れは、もうしばらく続くのだった。
さて、その日の夜…
「いやぁ、竜の卵など久々に食うのう…。鳥にはないこの滋味深さ…、たまらんわい。ノアや、美味いじゃろう?」
「うんっ、おいちい!」
「そうかそうか、良かったのう…。滅多に食えぬ珍味故に、よぉく味わって食べるのじゃぞ?」
クラリスとリグが命からがら取って来た竜の卵に舌鼓を打ち、さらに愛しの孫娘ノアの喜ぶ顔も見れて、大層上機嫌なルロド。
しかし…
「もうっ…、お爺ちゃんったら、竜の卵だなんて…。竜の数を維持するためにも、卵は取ってはならないって決まりでしょっ? 族長たる者がそんなことしてたら、里の人たちに示しが付かないじゃないっ…。しかも、いくら修行だからって、この二人にそんな危険なことさせるだなんて……」
竜はこの里にとって貴重な生物…、実はその頭数は人々によって管理されていた。
暴れ竜対処と生態系を維持するための間引きを除いては、竜の捕獲と殺生は基本禁止されている。
当然ながら、卵の採取もご法度だ。
ルロドの族長としてあるまじき横道に、苦言を程するアイシスだったが……
「まったく…おぬしはうるさいのう…、死んだ婆さんそっくりじゃな……。バレなければよいであろう…、もうこれっきりじゃから安心せい。それに、この二人を一人で竜を倒せるぐらいにまで強くすると約束したのじゃ…。今から竜如きに怯えていてどうするのじゃ? のう、ノアや…、お姉ちゃんはうるさいのう…?」
「うん、おねえちゃんうるちゃい」
ルロドはバツが悪そうな顔は見せたものの、全く悪怯れる様子もなく、無垢なノアすらも味方に付けて開き直った。
「もう…、ノアに変なこと吹き込むのはやめてよ…」
自己中な祖父に対して、心底呆れ果てるアイシス。
クラリスとリグにはやりたい放題に情欲をぶつけているが、彼女は彼女で気苦労が絶えないようだ。
一方…
「これ、二人とも…、おぬしらが取って来た卵じゃぞ?、食わぬのか? 修行は明日からずっと続くのじゃ。しっかり食って精をつけておかんと体が持たんぞい、ほほほほ……」
心身ともに精根が尽き、げっそりと窶れて食事にも手が付かないクラリスとリグに対し、ルロドはいつもの優しいおじいちゃんの顔で声を掛ける。
そんな彼の邪気のない笑みを、虚ろな目でただ黙って見つめる二人。
「おにいちゃん、はいっ」
そんな中でノアは、リグだけに竜の卵のオムレツを装って、祖父とは違い裏表などない幼気な笑顔を振り撒くのだった。




