第20章 22.蒼月の夜と月神節
さて、それから数十分後…
「すまぬ、待たせたのう…。書庫の奥に埋もれておって、探し出すのに時間がかかったわい………って、おぬしら…、一体何をやっとるんじゃ…?」
埃に塗れた一冊の書物を持って戻って来たルロド。
ところが、彼がその場で見たのは……
「うえっ……うううう………」
上着を脱がされて、寄り添いながら涙目で怯える、クラリスとリグの姿だった。
あれから情欲がエスカレートしてしまったアイシス…。
結局いつものように、その魔の手はクラリスにも伸びた。
「な、何でもないわよ……ほほほほ……。待ってる間ちょっと遊んでただけ……ねぇ…?、二人とも…」
涼しく笑って済まそうとするアイシスを、クラリスとリグは軽蔑も含んだ白い目で見る。
「なあ、クラリス……、アイシス姉ちゃんって、結構ヤベえやつだよな……」
「今頃気付いたの…?、この人は危ない人よ…。私なんてしょっちゅうこんな目に遭ってるんだから……」
「そ、そうか…、なんかごめん……。お前も苦労してるんだなぁ……」
ひそひそ声で話を交わすクラリスとリグだが……
「これ、二人とも、何無駄話をしておる? おぬしらのためにわざわざ持って来てやったのじゃぞ? まったく…、この老体を扱き使いおってからに……」
自身をそっちのけの二人に、ルロドはやや顔を不機嫌にさせる。
「ご、ごめんなさい…、おじいちゃん……。私たちのために、ありがとうございます…」
「よいのじゃ、よいのじゃ、気にするでない、ほほほほ……」
クラリスが申し訳なさそうに謝ると、ルロドは一転、恩着せがましく表情を和らげた。
そんなこんなで、他愛もないやり取りを経て……
「これが…、外の世界へ行くための転移術が載っている本ですか…?」
ルロドが持って来た、相当年数埃が被ったままだったと思われる、色褪せて草臥れた一冊の題なき書籍。
「如何にもじゃ。確か、ここに記されておる……おお、これじゃ」
探るようにページを捲って行くルロド。
こうして彼が提示したのは、ページというよりもそこに挟まっていた一枚の紙切れだった。
その紙には擲り書きされた文章と、円形の紋様が描かれている。
紋様は七重の同心円で、その中には古代文字のようなものと月の様々な形の象形が、体系的に配置されていた。
「これがおぬしらのお目当ての転移術の術陣じゃ。陣の中心に書かれた象形文字が転移先を表しておる。この陣の中に転移する者が入り、術を発動させるのじゃ。普段の生活で使われている転移術は、これをさらに一層簡素化したものじゃな…」
「すっ、すっげえっ…!、じゃあこのやつがあれば、俺たちも転移術が使えるってことっ…?」
ルロドの説明に興奮したリグが、餌を求める鯉のように彼に迫るが……
「これこれ…話は最後まで聞かんか…。転移術を使い熟すにはそれなりの修練が必要じゃ。それにこれには、確とした条件がある。ここに書いておろう?」
ルロドは呆れ顔で、魔術陣と共に記されてある文言を指差す。
「え…ええっと……、これ…何て書いてあんの……?」
世界共通語とは全く異なる言語体系を持つ、このデール族の里。
当然ながら言葉のみならず、使用文字も独自のものだ。
「まったく、おぬしは…、未だに文字の一つも覚えられんのか……。毎日毎日悪餓鬼どもと、下らぬ玉遊びなどしておるからじゃぞ?」
「うっ……」
ルロドの小言に、リグはぐうの音も出ない様子で押し黙る。
すると…
「『蒼月の夜…、月の光が竜谷を照らす時』………って書いてます…」
斜め横から覗き見していたクラリス。
リグが遊び呆けている間も、彼女は文字を覚えようとこまめに勉強していた。
もちろん生活のためもあるが、それだけでなく自身のルーツでもあるデール族の言語に、心なしかシンパシーを覚えたからだ。
「おお、さすがにクラリスは賢いのう、誰かさんとは違ってえらい子じゃ。如何にも…、“竜谷” とは竜の森の中心部にある谷のことじゃ。竜の森はこの島でも相対的にマナが強いが、竜谷はその中でも特に強い…、すなわちこの島で最もマナの濃度が高い場所じゃ。そして “蒼月の夜” …、この島には青き月光と共に精気が富饒に降り注ぎ、島全体がマナの一層なる活性化によって恩恵を受けるのじゃ。竜谷は鬱蒼とした森の奥のさらに深部であり、本来なら月の光など届かぬ場所なんじゃが、その夜だけは特別でな…、青き月光は谷底までをも不可思議に照らすのじゃ。つまり…、マナの力が極限にまで高まったその夜のその場所でのみ、転移は成功するということじゃ」
「それって…、最初におじいちゃんが言っていた、『デール族が月の力を司る民族』っていうことですか?」
「そうじゃ。故に我々は崇高なる選ばれし存在なのじゃ。下民どもが崇めることしか出来ぬ月を、わしらは生きる糧としておるからのう………おっと、すまぬ…、もうそういうことは言ってはならぬのだったな……」
アイシスに冷たい目で釘を刺されて、ルロドは咄嗟にその軽率な口を慎む。
一方のクラリス…、彼の言葉からふと何かを想起した。
「あのぅ…、その青い月が出る日は、私たちの国ジオスでは月神節って言われていて、とても神聖な日でもあるんです。それに…、ちょうどその頃、海の真ん中では気温が大きく下がったり……、この島と何か関係があるんでしょうか…?」
この世界に3ヶ月に一度やって来る、淡青に輝く月が現れる日…。
ジオスでは月神節と呼ばれ、月理教の御神体が降臨する日とされている。
ちなみに、ガノンやミグノンなどの西大陸でもこの青い月は現れる。
ただ月理教ではない彼の地では、そのような神聖な意味を付与されることはなく、それは単なる自然現象でしかない。
「島の外のことなど知らん。ただ蒼月の夜は、この島では何かと暑い日が続くのう…。今までそれが当たり前と思っておったが…、確かによくよく考えれば摩訶不思議なことではあるかのう?」
(ええ…?、それってまさか…、この島が周囲の熱を吸収しちゃってるってことなの……?)
思いもかけず、クラリスの脳裏の片隅にちょこんと留めてあった、この謎多き世界の疑問の一つが解明された瞬間…。
そのあまりにもスケールが途方もない話に、知識として理解は出来ても、なかなか実感は出来ないクラリスだった。




