第20章 12.改心
すると…
「おおっ…、ノアっ、どこに行ったかと思えば、こんなところにおったのかっ…? 大丈夫かのう…?、怪我はなかったかのう…?」
その瞬間、ルロドは険しい表情を一変させ、孫を愛おしむ優しい顔で少女を抱き締める。
彼の目には、なんと涙すらも見えた。
大好きな祖父の温かい胸の中で、少女ことノアの表情にも徐々に安楽の色が戻り始める。
「ごめんなちゃい……おじいちゃん……」
「いや、よいのだ……、無事で本当によかったっ……。おぬしの身に何かあったら…もうわしは……」
最早、族長としての威厳すらも失墜するほどに、ルロドは年甲斐もなく喜びの感情を露わにする。
ところが…、次にノアの口から出た言葉に、彼は脳みそをガンッと撃ち抜かれるほどの衝撃を受けた。
「あのおにいちゃんが……ちゃいろいおけけのおにいちゃんがたすけてくれたの……」
そう言って、ノアはなおも倒れたままのリグを指差す。
「なっ…何だとっ……、あの下人の小僧が…だと……。ノアよ……、本当にお前を助けたのはあれで間違いないのか……?」
俄には信じられない…というよりも、凝り固まった理性が事実の受け入れを拒む。
だが、それでも強く頷くノア。
それを見て、ルロドは真理であると信じて疑わなかった自身の価値観を、見つめ直さざるを得なくなった。
(我々は月の力を司る崇高なる民……、その外界に住む者など取りに足らない下等な存在であると、代々教えられて来た…。事実、かつてこの島に流れ着いた下人共は、私利私欲しか頭にない魔獣にも劣る者たちばかりだったらしい…。だが、あの小僧は…、我々にあれほどの過酷な仕打ちを受けても…、その命をかなぐり捨ててまでしてノアを救った……。いや、ノアに限ったことではないが……、わしが…我々が間違っていたのか……)
痛切に内省を巡らせたルロド…、すっかり神妙になった彼はアイシスに言った。
「アイシス…、すまぬが、至急あの子の治癒を頼む…」
「はいっ…!」
ルロドの心の変化をしかと感じ取ったアイシス。
彼女はリグを担いだ従者二人と共に、その場から去って行った。
一方…
「リ、リグくんっ…!」
運ばれていくリグを遠目で見て、意識をハッとさせたクラリスは、取り乱したように声を張り上げる。
ルロドはノアを胸元にしがみ付かせたまま、そんな彼女に静かに語り掛けた。
「大丈夫じゃ…、アイシスに任せておけば何の心配もいらん…。それよりも…、よくぞわしが来るまで、勇敢に戦ってくれたのう。その甲斐あって、被害は些か食い止められたようじゃ。おぬしたちには深く感謝しよう…」
(えっ…、今お爺さん…『おぬしたち』って言った……? それって…リグくんのことも……)
ルロドの言葉にただならぬ予感を感じたクラリス。
ところで、先ほどまで暴れ竜と果敢に戦った少女の残像など、まるで頭の中にないように……
「さすがはルロド様だっ!、あんな巨大竜を一撃でやっつけちまうだなんて!」
「本当によかったわぁっ!、一時はどうなることかと思ったけど……」
「街の復興はまた明日から頑張るとして、今日はルロド様を祝して大いに乾杯しようっ!」
能天気に騒ぎながら、ルロドを讃える周囲の人々…。
数時間ぶりに戻って来た安穏を噛み締めるようにして、喜びを溢れさせていた。
ところが…
「この馬鹿者共がぁっ!!!」
こんな皺に塗れた顔から、竜の咆哮にも匹敵するほどの大怒声が出るなど、誰が思っただろうか…。
恐怖から解放されてすっかり浮かれ切った人々を、ルロドは激烈に一喝した。
「こんなにも小さな子供たちが勇猛にも竜と戦い、命を惜しむことなくより幼き命を救おうと覚悟を決めたにもかかわらず、己らは我が身可愛さにただ逃げ惑うばかりっ…! そもそも、我らは崇高なるデール族っ…。にもかかわらず竜如きに怯えおってっ…、貴様らにはデール族としての誇りがないのかっ!?、恥を知れっ!」
「……………………」
ルロドの怒涛の逆鱗に対し、人々は立つ瀬なく、ただ従順にそれに聞き入る。
すると、煮え滾る義憤を全て吐き出せたからか…、ルロドは声を落ち着かせて話を続けた。
「とはいえ、わしも大変な過ちを犯しておったのじゃ…。生まれ育った場所や民族の血統など大した問題ではない…、人を崇高な存在にせしめるものは、その者が持つ心の強さと有り様なのだと…。わしは愚かにもこの歳になって気付かされたのだ…。孫娘のアイシスはかようなことにとっくに気付いておったというのにな……。よって、此度の二人の恩義に報いるためにも、わしは今この場で宣言しようっ…。下界よりこの里へと流れ着いた、ここにいるクラリスとリグを我が養子とするっ!」
「えっ……ええええっ…!?」
声をひっくり返らせて驚声を上げるクラリス。
それは森の木々が強風で揺れるような、人々のざわつきをも掻き消すほどだった。
理解不能な様子で困惑を露わにする人々。
だが族長ルロドの前で、異を唱える者など誰一人いない。
そして当然ながら、クラリスはそれ以上に酷く動揺している。
(ど、どういう…ことなの……? リグくんのこと受け入れてもらえたみたいだけど……これは素直に喜んでもいいのかな……)
心の準備が何にも出来ていないクラリスに構うことなく、ルロドは孫向けの和やかな笑みを彼女に投げ掛ける。
「そういうことじゃ。これからよろしくのう、クラリス? 困ったことがあれば何でも言いなさい。わしのことはおじいちゃんと呼んでくれても構わんぞ?」
「は、はぁ……、よろしく…お願いします……」
皺々の温かい手で、クラリスの手をギュッと握ったルロド。
彼女は表情を引きつらせながら、何ともぎこちなく返事を返すだけだった。




