第2章 9.黒髪の天才少女
私の顔を見たターニーは、まるで恐怖に支配されたかのように、酷く青ざめた表情を見せる。
彼女の異変を察知したのか、群がっていた動物たちは四方に離散して、瞬く間に目の前からその姿を消した。
「あの…ターニーちゃん……?」
私の声が聞こえたのか聞こえてないのか…、ターニーは私から逃げるように、深い森の中へと飛び込む勢いで駆け出した。
私は咄嗟にターニーの腕を掴んで、衝動に駆られた彼女を制止する。
「ちょっと…、何してるの!? 落ち着いて…私の話を聞いて…!」
私の必死の呼び掛けで、ようやく彼女は思い留まったのか…、その足を止めた。
ただ、またいつ逃げ出すかわからないので、腕は掴んだままでいる。
「……ターニーちゃんって、動物と会話することが出来るの…?」
私が恐る恐るそう尋ねると、ターニーは重々しく頷いた。
「……さっき見せた、あの白い光は…、もしかしたら…治癒術…?」
ターニーは青ざめた表情を変えることなく、体を僅かに震わせて、ゆっくりとさらに重々しく頷く。
彼女のこの様子…、よっぽど何か忌まわしい記憶があるのか……。
そう思ったその時、目の前の怯えているこの女の子が、昔の自分の姿と重なった。
…………………………
次の瞬間、私はターニーをギュッと抱き締めた。
これが衝動的に出た行動なのかと問われたら、そうでもあるしそうでもない。
衝動的なのは確かだが、自分の中にはっきりとしたイメージがあったのだ。
それは…、私が初めてこの屋敷に連れて来られた時、過去を打ち明けた私に対し、フェルカが何も言わず私を抱き締めてくれた記憶だった。
この場で、ターニーに対してどう接するのが正解だったのかはわからない。
それでも…、そのイメージが強く脳裏に残っていたので、私は迷わずそれを選んだ。
私はターニーを抱き締めたまま語り掛ける。
「いきなり、こんなことしてごめんなさい…。ただ、今のあなたが昔の私の姿とすごく重なってね…。……実はね…私、本当は奴隷の子だったの…。ガノンの街で奴隷として売られていたところを、今のお義父様に救われてこの屋敷に連れて来られた。その時、不安でいっぱいだった私を、フェルカお姉様がこうして何も言わずに抱き締めてくれたの…。ごめんね、迷惑だったかな…」
ターニーはしばらく私の問いかけに応じることもなく…、とはいえ、抱き締められている状況を嫌がる様子もなく…、ただ俯いて押し黙っている。
静寂の中、どれだけの時が過ぎたのか全く見当もつかないまま、彼女の体から手を離そうとしたその時だった。
「……私のこと、気持ち悪いとか怖いとか思わないんですか…?」
ついにターニーが私に対して…、というよりも、私が知る限りで人に対して初めて口を開いた。
その言葉は小声ながら、しっかり聞き取れる、芯のある声だった。
「思わないよ。何でそんなふうに考えるの?」
「……私、何故かわからないけど…、物心付いた時から、動物が気持ちがわかったり、習ってもいないはずの魔術を使えたんです…。それが理由で、学校ではみんなから気持ち悪いと虐められて、先生方も当たり前のように術が使える私のことを疎外したり……。この黒い髪を見て、私のことを『悪魔の子』だと詰ってくる子もいました……。それで…、結局学校にも行けなくなって…、家に閉じこもるようになってしまったんです……」
「この黒髪も生まれつきなの?」
「はい…、本当に気持ち悪いですよね……。一回、嫌で嫌で髪を自分で全部切ってしまったことがあったんです。でも、その時、お母さんがとても悲しそうな顔をしていて……。だから、今はお母さんを悲しませない程度で、短くしてるんです……」
ターニーは物悲しげな表情を浮かべて、淡々と語った。
「気持ち悪くなんてない…。黒い髪、とても綺麗だよ?」
「慰めはやめてください…。どこの世界に、こんな髪の黒い女の子がいるんですか……」
ターニーは意地になったように私の言葉を拒むが、私は諦めずに、彼女に対し語り続けた。
「確かにあなたと同じ髪の子は二人といないかもしれない…。でも、それはターニーちゃんの個性なんじゃないかな? あなたが他の人には持っていない、素晴らしい才能を持っている証明でもあると思う…。私はもっとターニーちゃんに自分に自信を持って欲しいな……」
「…………………」
「少なくとも、このセンチュリオンの子供たちには、あなたのことを悪く言ったり疎ましく思ったりする人なんていないよ? それでも、まだみんなと打ち解けるのが難しいのなら、私のことだけでも信じてもらえないかな…、私とだけでもお友達になってもらえないかな…?」
「……お姉さんって、本当に変わった人ですね……」
ターニーが初めて、僅かながらの笑みを浮かべた。
「ここまで真剣に私に拘って私と友達になりたいだなんて…、そんな人初めて見ましたよ…。本当に可笑しい……、ふふふ…………うっ…ううぅ…」
ターニーは突然、吹き出すように笑い声を上げたかと思いきや、次の瞬間にはそれが流暢に転調するように、泣き声へと変わった。
これまで、卑屈に自分の本当の感情を押し殺して、人前で泣いたことなんてなかったのだろう…。
彼女は堰を切ったように、号泣した。
そんなターニーを、私は再び優しく抱き締め、胸元で泣く彼女の頭を摩る。
「今まで一人で悩んでたんだね…。ありがとうね、私に打ち明けてくれて……」
私がそう言葉を掛けると、彼女は泣きじゃくりながら、しっかりと頷いた。
ちなみに、私がターニーに言った『私だけでも信じてもらえないかな』という言葉…、これは完全にフェルカの受け売りだ。
初めてこの屋敷に来た時に、彼女が私に言ってくれた言葉だった。
当時、新天地で右も左も分からない私は、この言葉にどれだけ救われたことか…。
烏滸がましいかもしれないが、フェルカが私に手を差し伸べてくれたように…、私もターニーに手を差し伸べてやりたいと思ったのだ。
さて、少々捻くれ気味だったターニーも、私に感情をぶつけてからは、すっかりとしおらしく素直になった。
こうして今、私たちは手を繋いで屋敷への帰路についている。
「ところで…、こんな深夜に、何であの場所に行こうと思ったの?」
「……ものすごくマナの含有量が高い空気を感じたんです…あの場所に。それで気になって、つい…。ご心配かけて本当にごめんなさい……」
最初、彼女が言っていることが理解出来なかった。
マナの含有量…?、マナは待機中に無尽蔵に含まれているもの。
そんなこと考えたこともない…。
「あの場のマナの濃度は、周囲と比較しても不自然に高いです。あの場所には何かあるんですか?」
心当たりがあるとすれば、あそこは私たちの魔術の修練場だ。
それをターニーに伝えると、彼女は疑問が解決されたようなスッキリした面持ちで答えた。
「なるほど…、術発動の媒介とされたマナは、瞬間的に高い魔導エネルギーを持つと言います。そのエネルギーのほとんどは瞬時に大気中に放出されるのですが、これまでの度重なる演習でそれがこの場に蓄積されて、時間をかけてマナに変質しているのかもしれないですね」
ターニーはまるで研究者であるかのように、理路整然と語った。
「何で……、そんなこと知ってるの…?」
「私、今は学校に通えていないので、家で本を読んだりして自習しているんです。それで学びました」
私もカンタレ先生からは秀才だと褒められたが、この子の実力はそんなレベルではない…。
先生がこの子を見たら、腰を抜かすのではないか…。
そして、もう一つ気になるのは、彼女がマナの濃度を感じることが出来たということだ。
「はい…何故だかわかるんです。説明するのが難しいんですけど、目の前の光景とはまた別の世界が私には見えるみたいで…。その世界は全体的に均一に青色で覆われているけど、マナの濃度が高い場所だけ紫になっている感じでしょうか…。ごめんなさい、説明が下手で…」
「ううん、ありがとうね。ところで…、ターニーちゃんって他に何が出来るの?」
「そうですね…、通常の魔術なら一通りは使えますし、あと魔素が強い人が近くにいれば気配で何となくわかります。お姉さん、すごく強い魔素をお持ちですよね…?」
この子は将来、歴史に名を残す大魔導士になるのではないか…、私はそんな予感がした。
この髪の色も、彼女の持つ人並外れた才能に対する、代償みたいなものなのだろうか…。
屋敷に戻ると、ターニーの寝室がある来客用の別館の扉が閉まっていた。
どうやら、夜番の警備係の人が、彼女が出ている間に鍵を掛けてしまったようだ。
途方に暮れる彼女を見て、私は声をかけた。
「とりあえず、私の部屋に行こうか?」
「えっ…でも…そんなの申し訳ないです…。元はと言えば私が悪いのに……」
「いいの、気にしなくても。先客もいることだしね…」
「先客…?」
困惑するターニーの背中を押すように、私は彼女を自分の部屋へと連れて行った。
「先客って…、この子ですか…?」
「ああ〜…そこはいけません、お姉さまぁ……うへ…へへへ……」
ベッドで寝言を囁きながら、幸せそうな寝顔で熟睡しているフェニーチェを見て…、ターニーは少し戸惑いつつ私に尋ねた。
「うん、そう。ベッドは一つしかないけど、私はソファーで寝るから、悪いけどターニーちゃんはこの子と同じベッドで寝てくれる?」
「そ、そんな…、私がソファーで寝ますし、お姉さんはベッドで寝てください…! 何なら私、地べたでも全然構いませんし……」
「ダメよ、そんなの…!、我が家のお客様なんだから。そんな真似したら、私がお義父様に怒られちゃう…」
「……わかりました。ではお言葉に甘えて…」
こうして、再び部屋の灯りを落とす。
程よい運動をした後だからか、私はぐっすりと眠りにつくことが出来た。




