第2章 7.幸せなひととき
さて、お義父様が去ってからすぐに、入れ替わるようにバラッドとフェニーチェがやって来た。
「クラリスお姉さまぁ〜!」
フェニーチェは私を見るなり駆け寄って来て、その勢いのまま抱きついて、私の胸元に顔を埋める。
「フェニーチェちゃん、今日はありがとうね…」
私が彼女の頭を撫でながら労りの言葉を掛けると、彼女は「えへへ…」と幸せそうな表情を浮かべた。
「あらあら…すっかり懐かれちゃったわね。クラリスちゃんももうお姉さんか…。私としては何だか寂しいわね…」
私たちの様子を眺めながら、フェルカが感慨深げに言葉を吐く。
そして、タイミングを見計らったように、バラッドが発言した。
「本日のご姉妹が仲睦まじくあの場に立つ姿には、感銘しました。そして、クラリスお姉様の機転も大変素晴らしかった。さすがは本家の次女に相応しいお方ですね」
「あ、ありがとうございます…」
バラッドの明晰な言葉に、思わず私は彼が年下であることを忘れて、畏まって返事をする。
すると彼は、少し首を後方に向けて、壁に向かって話すように、唐突に言葉を発した。
「おい、アルタス、そこにいるんだろ? 話があるなら出て来い」
隠れていたのがバレたアルタスは、バツが悪そうに、もぞもぞしながら壁の背後から出て来た。
リグはまだ遺恨があるのか…、彼を睨むように凝視している。
「あんた今頃何なのよ! お姉様にあんなひどいこと言って…、わたしあんたのこと許さないんだからっ!」
感情昂ぶったフェニーチェは彼に突っかかろうとする勢いだが、私はそんな彼女を何とか宥める。
アルタスは私たちの前に出て来てからも、しばらく押し黙っていたが、ようやくその重い口を開いた。
「……さっきはひどいこと言って…ごめんなさい……。本当はリグが羨ましかったんだ…。あんなに優しくて綺麗な姉ちゃんがいるのに、さらにこんなに可愛い女の子が兄弟に増えてさ…。リグも…悪かったな……」
しおらしく謝るアルタスを見て、リグの彼を見つめる目から敵対心が消えたようだった。
「実はアルタスは一人っ子なんです。僕たちは両家ともフェルト在住で、アルタスの家とは昔から家族同然の付き合いで、彼とも兄弟同然の関係だったのですが、やはりそれでも、一人子故の寂しさが、ずっと彼の中で燻っていたのかもしれません…」
バラッドがまるで分析をするかように、言葉を挟む。
「……そう…。でも私もね、本当に血が繋がった兄弟はいないの。でも、この家に来て、フェルカお姉様やリグくんと血が繋がった以上の兄弟になれた…。もし、アルタスくんが良ければ…、私たちも兄弟にならない…?」
「……許して…くれるのか…?」
「許すも何も、私は何にも怒っていないよ? 私の方こそ、大人気ない真似しちゃってごめんね…」
「……うっ…うっうう……うわぁ〜んっ……!」
突然、アルタスはその場で泣き出してしまった。
あれだけぶっきらぼうに振舞っていた彼だが、実はかなり感傷的な子のようだ。
大声で号泣する彼を見て、リグは戸惑いを隠せない様子で、一方フェニーチェは「男なのに、みっともないわね…」と呆れている。
私は徐にハンカチを取り出し、アルタスの涙を拭いて、彼の頭を優しく撫でた。
しばらくして、ようやく泣き止んだアルタスは私とすっかり打ち解けて、私を『クラリス姉ちゃん』と呼び始めた。
それに対し、リグが過剰に反応する。
「おっまえ、ふざけんなよっ! うちのクラリスに気安く触れんじゃねえよ!」
「お前こそ、何そんなムキになってんだよ。まさか姉ちゃんのことが好きなのか?」
「そ、そんなわけねえだろ…! か弱い女だからな…男として守らなきゃいけないと思っただけだ……」
その様子を側から見ていたフェルカが、悪戯っぽい笑顔でリグに言う。
「あらあら…、リグったら、いつだったか、クラリスちゃんに『大きくなったら俺の嫁にしてやる』とか言ってなかったっけ? あれは嘘だったの?」
「い、いや…あれは……。嘘ではないけど…、言葉のあやというかなんというか……」
「ちょっ…ちょっと…、それは許されないわよ! お姉様はわたしだけのものなんだから!、誰にも渡さないんだからっ!」
「お前何様のつもりだよ…」
フェルカの意地悪な指摘に、リグがしどろもどろに弁明をして、そこに何故かフェニーチェが食い付き、妹の支離滅裂な発言に兄のバラッドが冷静に突っ込む…。
そんな混沌とした状況を皆が楽しいと思ったのだろう…、気付けば私たちの間には笑い声が飛び交っていた。
この楽しい幸せな時間は、まるで今日一日を頑張って乗り越えた、私へのご褒美のように思えてならなかった。
こうして互いのわだかまりも氷解し、私たち子供が時間も忘れて楽しいお喋りに耽ていると、私たちの方へ、一人の男性が歩み寄って来た。
今日の来客の中では比較的若く、年齢は30代半ばか…、がっしりとした体格で、魔導士というよりも戦士や格闘家のような風貌だ。
ただ、温和そうな顔つきをしていて、人柄の良さが垣間見える。
すると、フェルカの方から、その男性に話し掛けた。
「ごきげんよう、アンピーオ叔父様。先ほどは全くお構いできずで、申し訳ございません」
「やあ、フェルカちゃん、さっきはお疲れ様だったね。いやいや…しょうがないよ、あれだけの大人数じゃ。まあ、本音を言うと、僕も美少女たちのおもてなしを受けたかったけどね…」
その男性ことアンピーオ叔父様は冗談混じりに笑いながら、軽快にフェルカと会話を交わした。
そして、フェルカは私に対して彼の紹介をした。
「この方は、フォークのセンチュリオン北家のアンピーオ叔父様よ。まだお若いのに、ご当主を務められているの」
「はじめまして、当家次女のクラリス・ディーノ・センチュリオンです。お目にかかれて嬉しいです」
「こんばんわ、クラリスちゃん、アンピーオ・ミスト・センチュリオンです。さっきは大活躍だったねえ。本当にしっかりした良い子だ。こらっ、リグ、お前もこの子を見習えよ。いつまでもお父上に恥かかせるんじゃないぞ」
「ちぇっ…、俺関係ないじゃないですか…叔父様…」
唐突にリグが槍玉に挙げられて、彼がふてくされる様を見て、皆から微かに笑いが溢れる。
暫しの談笑の後…、アンピーオ叔父様が私たちに向けて、改まって話を切り出した。
「実はな…、みんなに折り入ってお願いがあるんだ…。うちの子も仲間に入れてやってもらえないだろうか…?」
「うちの子?」
皆が頭の中で疑問符を浮かべている。
それもそうだ、ここには叔父様一人しかいないのだから…。
「ああ、すまんすまん…。こら、ターニー、いい加減出て来なさい!」
彼が大きめの声で、後方の壁に向かって声を掛けると…、数十秒ほど経って、近くに置かれていた観葉植物の陰から、小さい女の子が恐る恐る出て来た。
肩にかかるぐらいの短めの黒髪…、晩餐会の席で見た、あの女の子だった。
よく見ると、まん丸な顔にパッチリとした黒い瞳…、素朴で可愛らしい子だ。
物陰から出て来たターニーという名の女の子は、小動物のように素早く動き、大きいアンピーオ叔父様の背後にサッと身を隠した。
「こら、ターニー、隠れていちゃわからんだろう…」
呆れ気味に彼女を窘めつつ、彼は私たちに話を続ける。
「これがうちの娘のターニーだ。年は10歳。実は当家は本家とは違って、子供には学校に通わせているんだが、この子はこの髪色のせいで、学校でも友達が出来ず、いつも一人で塞ぎ込んでしまうクセがある。同じ一族で年齢も近い君たちなら、この子と打ち解けることが出来るんじゃないかと思ってね…。どうだろう…頼めるだろうか…?」
「もちろんですわ叔父様! さあ、ターニーちゃん、私たちと遊びましょ?」
フェルカが満面の笑みでターニーの前で両手を広げたが、彼女は恐れたように叔父様の背後から動こうとはしない。
これには、さすがのフェルカも苦笑いを浮かべる。
アンピーオ叔父様が、ターニーを私たちの前に残して立ち去った後も、彼女は怯えた様子でモジモジしている。
「ターニーちゃん、そんなに怯えなくても大丈夫よ…。みんなあなたと仲良くしたいんだから…。私たちみんな、同じ魔導士の一族なんだから……お友達になれると思うなあ…」
フェルカは優しくターニーに語り掛けるが、彼女からの応答はない。
いや、実際には唇を動かして、何やらボソボソ言っているようなのだが、全く聞き取れないのだ。
「ちょっと、あなた!、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよっ!」
煮え切らない彼女の態度に、気の短いフェニーチェが苛立ちをぶつけるが、「おい、やめろ」と兄のバラッドがそれを咎める。
結局、この後もターニーの口から明瞭な言葉が出ることはなく、この日はもう夜も遅かったこともあり、そのまま解散となった。




